第12話 父が残してくれたもの






「――――では安曇さん、こちらを首から下げて下さい」

「え、え? あ、はい……」


「入室管理のため、こちらの書類に記入をお願いします」

「は、はい……」


 大した説明もせず研究棟に連れてくると、面白いほど動揺する玲香が見れた。


 紅月さんの指示で記入を行っている玲香を横目に、俺はこちらに歩いてくる人に声を掛けた。



「蒼司さん、急にごめんね」

「いやいや、未来の社長にはごまをすっておかないとね」


「給料は上げませんよ?」

「それは賢明な判断とは言えないなぁ~」


 相変わらず飄々とした態度で現れた蒼司さん。


 大間かな説明はメッセージで伝えていたが、肝心の答えはまだ聞いていない。


 玲香と一緒に、その答えを聞くつもりだった。



「ね、ねぇ? 未来の社長って……ど、どういうこと?」


 記入を終わらせた玲香がいつの間にか後ろに立っており、俺達の会話を聞いていたようだ。


 目を丸くして驚く玲香の隣には、やはり目を細めて険しい顔をする紅月さんもいた。



「行人君、彼女がそうなのかい?」

「うん、そう」


 そう言うと蒼司さんは玲香に向き直り、軽く頭を下げつつ挨拶をする。


「初めまして、碧陽蒼司と言います」

「あ、安曇玲香と申します……」


「あはは、そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ」

「は、はい。あの……それで、さっきの社長って?」


 説明していないのか? とでも言いたげな目を俺と紅月さんに向ける蒼司さん。


 俺は目でしていないと伝え、紅月さんは目を反らし無視した。



「安曇さんはアースロード製薬って知ってるかな?」

「も、もちろんです。CMとかでも見ますし……」


「行人君が、そのアースロード製薬の次期CEOだよ」

「……嘘ですよね?」


 まるで決まっているかのような言い方だが、本当に決まってはいない。


 周りは確かに俺を次期社長というが、現社長の母親はそんな事は一切口にした事がない。



「いやいや、嘘じゃないよ?」

「この男の言葉が信じられないのは無理もありませんが、嘘ではありませんよ?」


「おや? 紅月さん、いたんだね」

「相変わらず、その目は節穴のようですね」


 二人がやり始めてしまったので、代わりに俺が玲香に説明をした。


 俺の母親がアースロード製薬の社長である事、紅月さんは母の秘書である事、蒼司さんが研究者である事を。


 信じられないと言った玲香だったが、急に何かを思い出したのか得心がいったように頷き始めた。



「そういえば、鞄にめっちゃ薬が入ってたわね……」

「そこで納得するの?」


 ともあれ信じてくれたようなので、話を次の段階に進める。未だに言い合っている二人の間に入り、行動を促した。


 そして蒼司さん案内のもと、俺達は会議室へと足を運んだ。



 ――――

 ――

 ―



「――――行人! 久しぶりだな! 元気だったか?」


 会議室には先客がいた。白髪混じりの短髪で、白衣を身に付けている初老の男。


 五十代とは思えないほど若々しく、そしてなによりその筋肉ッ! ほんとに研究者にだろうか?


 名を山吹黄雅やまぶきおうが。アースロード製薬第一研究棟の所長を務めている人だ。



「黄雅さん、お久しぶりです。相変わらずの筋肉ですね」

「研究ばかりだと体を壊すからな! 行人は……うむ! ちゃんと鍛えているようだな!」


 俺の肩に手を置き、何かを確かめたと思ったら満足そうに頷いた。


 相変わらずのフランクさだ。蒼司さんが兄ならば、この黄雅さんは父みたいな存在で昔から可愛がってもらっていた。



「そうだお前たち! 新しいプロテインを作ったんだが良かったら――――」

「――――所長、だめですよ」


「な、なんでだ? やっぱマロン味がだめだったか?」

「そうじゃなくて、お客様です。筋肉は後にして下さい」


 蒼司さんがそう言って、玲香の事を黄雅さんに紹介する。


 あまりの筋肉に面を食らった様子の玲香だったが、最終的には筋肉を触らせてもらうほどの仲になった。


 玲香は筋肉フェチなのだろうか? プロテイン、もらっておこうかな。



 そしていよいよ話し合いの場が設けられた。


 テーブルを挟んだ反対側には黄雅さんと蒼司さん。こちらには俺と玲香、紅月さんだ。


 蒼司さんは資料の準備を行い、黄雅さんはタブレットで何か操作をしながら声を出した。



「さて行人に安曇さん、――――病の事だったな」

「はい。昔、父が研究していた病気だったと聞きました」


「確かに尚登が携わっていた。もちろん、研究は引き継いだ」

「……それで、今はどうなっているのですか?」


 隣には真剣な目で話を聞いている玲香と、長くなりそうだと考えたのか紅月さんは飲み物を準備し始めた。



「――――臨床試験、ですか?」

「そうです。聞き馴染みのある言葉で言えば、治験ですね」


「治験……」


 現在の状況を黄雅さんに代わりに蒼司さんが説明する。蒼司さんは玲香に分かりやすいように色々と説明を行っていった。


 黄雅さんが時折フォローを入れ、俺と紅月さんは黙って玲香を見守っていた。



「――――病は患者数が少ないので、まだまだデータが少ないのですが……これを」

「こ、これは?」


「同じ――――病を患ってしまった方のデータです。治験に参加頂き、我々が開発した薬品を投与しました」

「…………」


 そんな資料を見せられても分からないだろう。専門用語が多いので、関係者でないと理解出来ない。


 しかし玲香は渡された資料を食い入るように読んでいる。そこに書かれているたった数文字に心を奪われていた。


 投与――――変化――――緩和――――回復――――正常――――完治――――


 中身は分からなくても、たった数文字だけは誰でも理解できる言葉だった。


「時間は要しましたが、その方は――――完治致しました」


 資料から目を上げた玲香の目には涙が滲んでいた。しかしその涙が、希望の涙である事は明らかだった。


 俺は再び、玲香の頭に手を置きながら、優しく話し掛けた。



「言っただろ? 治せない病気はないんだ、病気は治せるんだよ」

「うん……うんっ!」


「流石は尚登の息子だな。それアイツの口癖だったなぁ」

「尚登さんの基礎研究がなければ、まだまだ研究中でしたねぇ」


 父さんが残してくれたものが、また一つ見つかった。


 父さんの研究のお陰で、目の前の少女は笑顔を取り戻せるだろうし、病に怯える大勢の人を救う事が出来る。



「ではさっそく、担当の者を手配致しましょう」

「はい。お願いします!」


 玲香の元気な声に優しく微笑んだ紅月さんは、席を離れてどこかに電話を掛け始めた。


 あの人に任せれば全て大丈夫だろう。俺は姿勢を正し、みんなにお礼を言う。



「黄雅さん、蒼司さんも、本当にありがとう」

「あ、ありがとうございますっ!」


「研究を引き継いだのはコイツのチームだからな、礼ならコイツと尚登に言えよ」

「いやいや、ほとんど尚登さんの成果ですよ」


 改めてになるが、俺の夢は父のようになり、父の夢を叶える事だ。


 いつか絶対に万能薬を作る。玲香のような人を少しでも減らすために。



「ここに就職させてくれません?」


「はぁ? いやいや、お前は経営陣だろ!?」

「尚登さんの息子の才能は惜しいけれども、僕達のためにも上に立ってもらわないと困るなぁ」


「じゃあ社長兼研究者で」

「おぉ、流行りの二刀流だね」


 夢は絶対に諦めない。


 今回の事でも、再びその意思は強固な物になった。



「ところで行人、安曇さんは未来の社長夫人なのか?」

「おぉ、じゃあ彼女にもごまをすっておかないとね」


「いや残念ですけど、違いますよ」

「ざ、残念なんだ……あたしは別に……いいけど」



「彼はこう言ってるけど、どうなんだい?」

「優良物件だろ? なかなかこんな奴いないぞ」


「あ、あははは……」

「二人とも、玲香が困ってるぞ」


「しかしライバルは多そうだねぇ、あそこの女もそうだろうし」

「えっ!? 朱音さんもですか!? そういえばずっとあのイヤリング……」



「おい、そろそろいい加減に――――」

「――――僕は断然君の味方だから。あの女にだけは弟を渡せない」


「頑張れ若者、恋は戦争よっ!」

「は、はい! がんばりますっ」


 いやお前ら、さっきまであんな真剣な顔して話をしていたのに。


 まぁ玲香が楽しそうに笑うのならいいけど。


 そんな話は、紅月さんが電話を終え戻ってくるまで続けられた。

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