憂悶
♤
南東部で一騒動があった、その日の夜。
聖堂敷地内にある母屋――俺とクラン、エリスが住む家にパフィーリアが泊まることになった。
ヒルドアリアとリエルテンシアは離れ
この離れ屋はクランがエリスを産んだ時、世話を手伝ってくれたヒルデの補佐官が寝泊まりするために建てられた。
母屋より小さいがしっかりした作りで、エリスが育ってきた今は来客用の建物として利用している。
「水回
離れ屋の前でヒルデ達と話しをする。
「ありがとうございます、御主人様!あたしも泊めていただけるなんて……あと、勝手に話を決めてしまってすみません」
わずかに顔を曇らせる彼女だったが、正直助かってもいた。
最初こそ、この離れ屋にリエルを
一夜だけでも泊めるのは、出来る限りの温情ともとれるだろう。
とにかく、信頼のおける巫女の少女が保護してくれるのなら、今回も世話になる他ない。
「こちらこそ、いつもすまないな。このお礼は後で必ずするよ、ヒルデ」
「えへへ、楽しみにしてますからね。御主人様!」
そうして、二人の少女は体を休めるために離れ屋へと入っていった。
▱
リエルテンシアさんとともに離れ屋の中に入ると、揃って居間へと進みました。
部屋の中は暖かく、家具はモダンな落ち着いた色調でとてもリラックスできそうです。
これはヒツギさんの趣味でしょうか。
以前、御主人様の部屋に入れてもらった時と雰囲気が似ている気がします。
キッチンにはパンと野菜の盛り合わせ、カボチャのスープが用意されていました。
クランさんの好きそうなメニューなので、彼女が作ったのでしょう。
あたしは料理が出来ないので思わず声が出ます。
「おぉ……美味しそうですね。いえ、あたしも目玉焼きくらいは作れます!」
食事は良しとして、お風呂の準備……も、済んでますね。
二部屋ある寝室のベッドも整えてありますし、クランさんは何事もそつがな
「……私は、これからどうすれば良いのでしょうか……記憶もなく、帰る場所もわからない。私の持つ不思議な力は何に使えばいいのですか……?」
居間のソファーで
あたしは彼女の傍に立って答えます。
「あなたが為すべきこと――あなた自身が望むことをすれば良いのです。それが神様の思し召しとなります。その結果、あなたの隣人と対立することになったとして……それも運命なのだと言えるでしょう」
「……運命、ですか。まるで神様なんて、存在しないかのような……宗教国家都市に――この世界に神様が本当にいるのなら、なぜ悩み苦しむ私達を救ってはくれないのですか……?」
リエルさんは思い悩みながら、言葉を絞り出しました。
一呼吸をおいて。
あたしは隣にそっと座り、説法を説きます。
「――リエルさん。神様というのは、願いの成就や救済を求めるものではありません。そもそも、その存在の有無を問うこと自体に意味を成さないのです。子供部屋の中に両親がいないからといって、生みの親がこの世に存在しないとは決して言えないように。生を与えてくれた親に畏敬の念を
宗教における主や神様とは人の心の支えであり、自らの信念や生き様を示す存在であるべきだとあたしは思います。
たとえ他人との共生に背き、傷つけることになってしまっても。
ただ神様だけは自分に寄り添う理解者であるということに意義があるのです。
だからこそ宗教の教え、救済や裁きはあたし達のような聖職者、代行者が必要なのでした。
ちなみにあたしの神社で配布する、様々な祈願の御守りも本質的に同じです。
それを手にすることは神様への個人的な意思表示、願い事の
断じて、神頼みの道具ではありません。
「神様を信じて生きる、神様を信じずに生きる。どちらもあなたの自由です。ただ人は死ぬために生きているのか、人知を超えた存在に見守られて生きていると考えるのか。どちらを幸せに感じるのかはあなた次第なんです」
隣に座る、見た目の上では少し年上の少女は小首を傾げて逡巡して。
「私のしたいこと……私のやるべきことは……」
やはり、すぐに答えは出てこなさそうです。
記憶もなく、先行きの見えない状況で無理はありません。
あたしは声の調子を少し上げて告げます。
「兎にも角にも、まずはゆっくり休んでからですよ。健康な体に健全な魂が宿り、日々の生活は人格や思想に多大な影響を与えるのですから」
新しくお茶を淹れて気分転換して。
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