第二話 穢れなき信仰

聖母なき神の子達

    ♢


 私は宗教国家の北部都市に訪れていた。

 

 北西部都市から連なる山脈、鉱山や採掘加工場、源流を治水するダムによって、蒸気機関を高度に発達させた工業地域。

『聖なる教』による教会主導の国家を工業と技術の面で支える中枢とも言える都市。

 そんな北部の街を一望出来る高台に、巫女神官専用の聖堂は建てられている。

 

 大小様々な雲が浮かぶ青空を見上げると、心なしか普段より眩しく雄大に感じた。

 もしかしたら、ここは最も天国に近いのかもしれない。

 私は一般人が決して立ち入れぬ教会敷地の聖堂へと足を運び、西正面の扉を開く。

 

 広大な空間の中は荘厳できらびやかな装飾が施されていた。

 繊細で躍動的な彫刻の数々。

 四十メートルを超える巨大なアーチ状の天井画。

 

 長い身廊を抜けて、翼廊の真ん中に立つ。

 東奥にある聖書台の先、幾段か高い位置にある礼拝堂の大きく美麗な祭壇画。

 その絵を車椅子に座った紅い髪の少女が眺めていた。

 私はその少女へと声をかける。


「いつ訪れてもこの場所は神聖で、おそれ多くも素晴らしいものだ。筆頭巫女神官様」


 車椅子の少女は答えず、祭壇画を眺めながら言葉を紡ぐ。


「天はふたのように世界を覆い隠し、星の魂が生まれては儚く消え輪廻を繰り返す」


 静謐せいひつ聖堂に凛とした声が響き渡る。

 ※静かで穏やかなこと

「悠久に輝く信仰の光の導きによって、世界に新たな秩序とことわりもたらされた――しかし、それは神の使いである我ら巫女神官への試練でもあった……幻想は絶えず生まれ広がり続け、同時に歪みを創り出している」


 そこで、紅い髪の少女は車椅子をこちらへ向けて、私と目を合わせた。


 「わらわの元へ来たということは、あらかたを把握できたのか。二位巫女神官、ヴァリスネリア」


 彼女は宗教国家都市の国教『聖なる教』の七人の巫女神官、その序列筆頭で我々を率いる存在。

 名はアルスメリア。

 十歳ほどの幼い容姿だが、その視線は剣より鋭い。


 紅髪の少女の正体――宗教国家都市の創始者であり『子なる神』たる神鎧アンヘルの恩恵によって、千年以上を生きる不老不死の『神の子』だった。

 彼女は赤子の時分に幽閉され、神の教えと神語のみを教え込まれて育った真の神子みこに他ならない。


 私は背を正し、ゆっくりと一礼をしてから答える。


「南西部都市から派生した宗派は原理主義派、福音派の二つ。原理主義派は南西部を管轄する五位巫女神官パフィーリアの教会に寄り添っているが、福音派は独自に解釈した思想や教典を流布し、街を二分化させ東側に勢力を拡大している」


 アルスメリアは私の説明を黙って聴き続ける。


「両派はこの六年間において、集会での小競り合いから武力による衝突を繰り返し、街の兵士が介入する事態も頻発。原理主義派は南西部教会に協力を要請するが、パフィーリア側は静観を続けている。一方に肩入れするのは『聖なる教』の教義ドグマに反する上、肥大化する福音派の暴徒化を恐れてのことだろう」


 車椅子の少女は聖書台に置いてある石灰化したブーケを手にして、膝の上に乗せて花の束を二つに分け始めた。

 アルスメリアが何かを口にするのでは、と話しを止めてみるが……


「構わぬ。報告を続けよ」


 何の事もないかのように促され、再び口を開く。


「現在、南西部都市には七位巫女神官ラクリマリアが定期視察に赴いている。彼女の神力による情報では、福音派は水面下で新たな信仰対象を擁立ようりつする為に巫女神官の暗殺を企てているとのことだ。しかも、対象者には神鎧アンヘルを顕現させる力もあるという」


 宗教国家の南部都市を管轄する七位巫女神官のラクリマリアは神鎧アンヘルの恩恵として、『人の心や思念を読み取る力』があった。

 その神鎧アンヘル自体も異端者や叛逆者の暗殺、処刑に最適なのだ。


「……神鎧アンヘル。聖なる教の三位一体、天使をかたどる『子なる神』。我々、最高位の巫女神官のシスターだけが発現出来る七つの神体――神鎧アンヘルとは、ある種の集合的無意識なのだ。発現には我らが宗教国家民族、人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型や神話の作用力動の影響力に依存している。故に人々の信仰心、あるいは恐怖心を呼び覚まし継続して搾取、供給する必要がある。何より神鎧アンヘルの発現者はに有らねばならない。妾然り、七人全ての巫女神官然り。例外はない」


 私は無意識に頭を左右に振り、ため息を吐いた。


「――そのことなのだが……ひとつ、気になる話を耳にしたのだよ」


 そして、逸話を知った紅髪の我らが筆頭巫女神官たる少女、その眉がわずかに跳ね上がるのだった。

 ※世間にあまり知られていない、興味のあるエピソードのこと


     Δ


 これは私の泡沫うたかたの記憶。

 

 眠っている時に見る、ただひとつの夢。

 

 目が覚めれば綺麗に忘れてしまう、哀しくも優しい思い出。


 

 ――私は温かい海の中のような場所に漂い、その声を聴いていた。


「……わたしの可愛い、名も無き我が子。あなたが生まれてくる姿を、あなたを抱いてあげることが出来ない母を赦してください」


 間接的に、頭を撫でられる不思議な感覚。


「どうか……どうか、あなたの未来が幸せなものでありますように……」



 十五年前の南西部都市で起きた、宗派間の戦争。

 現在の五位巫女神官パフィーリアが両親を失い、泣き叫ぶ赤子ながらに神鎧アンヘルを発現したその裏側で。


 街の路地裏で一人の女性が息絶えていた。

 死母しぼの胎内には生きた女の子を宿したままで――

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