第44話 謎の女性


 “雅楽”は、やおらかで独特な古典の音楽。


 日本人ならば、普遍的に共有できるものである。時代の変遷を乗り越えるメロディに耳を澄ますと、いつの間にか心が洗われ、不思議な気持ちとなってしまう。こんなのは初めての事となる。


 ああ…緊張する。でも、良い雰囲気だ。


 数人の横笛を吹く楽人がくじんが集い、荘厳なる神殿内に心地よい響きが鳴りわたる。出席者全員が拝殿の所定席に着くと、斎主からひと言挨拶がされてくる。


「桜さくこの上ない日和に、お2人の結婚の儀を司ることを神に感謝申し上げます」


 父親はとうに亡くなっていたが、正人は100年の歴史、由緒ある旅館を引き継ぐ家柄の長男。思っていた以上に、大勢の親戚や野球部の先輩後輩がこの祝宴の場に集まっていた。

 なのに、頼まれたとはいえ、俺は親代わりの身の程知らずな名代の役割。図々しくも最前列となる正人の母親の隣に座り、足が震えるのを必死に我慢していた。


 正に見るも聞くも、初めての経験。

 いよいよ、縁結びの神さまに誓う神前式が始まってゆく。


 ビックリしたのは人生初めての清めとなるお祓いの儀式だ。一同起立して斎主による祝詞のりと、「祓え給い(はらいたまえ)、清め給え(きよめたまえ)、…… 守りたまえ」に続き、こうべを垂れて白い祭具でお祓いを受ける。もちろん、当事者は新郎新婦だが、目を大きく開いてゆく。


 自分の我儘でふるさとを離れていた。


 罪深き放蕩三昧な俺には耳が痛いお祓いとなってしまう。新郎新婦が神妙な顔つきで修祓を受ける姿に気づくと、我が身が居たたまれなくなり、もぐらの如く穴があったら入りたくなる。けれど、挙式は予定どおりに粛々と進んでいた。



 斎主が神前に2人の結婚を報告して、幸せが末長く永らえるようと祈ってくれる。続いて、いよいよ三三九度の時間。一見、愉快な儀式となる。

 新郎新婦が大中小の杯で交互にお神酒を戴いてゆく。新婦の顔は装いでよく分からないが、正人は顔を赤らめて嬉しそうだ。


 突然に、雰囲気が大きく変わってくる。


 照明が少し暗くなり、巫女さんが2人正面に現れ、神楽に合わせて舞を踊り出す。新郎新婦、ご両家の末長い繁栄を祈るものだという。


 その姿は緋色の袴に白い小袖と千早を身につけて、頭上には桜の花簪と紅白の水引が映えて見える。かつて感じたことのない清廉な女性の雰囲気を漂わせている。しかも、舞っているのは若い女性だ。


 思わず写真を撮りたくなったが、ここは神さまがご覧になられる厳粛な場となり、写真撮影はもってのほかだろう。2人の女性は優美で厳かな表情のまま、舞を見事に踊りきり、神前式を盛り上げてくれる。


 ところが、俺は別なことも感じていた。

 言葉を失ったかのように、ひとりの女性を茫然となり見とれている。

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