第36話 次の恋見つけて……
「おいおい、夜はこれからだよ」
その呼び掛けにも返事は戻ってこない。だらしなくたわいない奴らだ。元気なのは俺と隣に座る百合だけである。
いつしか賑やかな世界は、静寂な2人だけのものとなっていた。パブのマスターが気を利かせたのか、店内に流れる音楽もバラード調の洋楽メロディーに変わっている。ショパンだろうか……
「浩介、聞いて。酔ってる?」
「ああ……。大丈夫だ」
何とも表現できない空気が漂ってくる。甘い雰囲気だ。でも、百合の眼差しは真剣そのもの。酔っていないのは確かであった。
「
「ああー。もう、諦めた」
「なら、良いんだけど」
「どうして?」
「だから………」
百合はそう言いかけて一旦言葉にするのを止めてしまう。しきりに髪をさわり、その顔には何か思い悩む気配が感じられる。
突然静かなメロディーに変わると、彼女は意を決したかのように、言葉を選びながら口を開いてくる。俺は何も言わずに、聞き漏らすまいと次の言葉を待っていた。
「あのね。うじうじする浩介は見てられない。映見も同じことを言っていたよ」
「えっ。嘘だろう」
「本当の話だよ。お母さんの病気が良くなり、彼女も元気そうや。心配しないで」
その言葉は、期待していたものと天と地ほどかけ離れていた。正に、ああ……勘違い。肩透かしを食らった気分となる。俺という奴は、まったく別なやましいことを考えていたかも知れない。
偽りなく仲の良い百合のところに連絡があったのだろう。元カノの母親の病気は幸いにも回復していたと聞く。その言葉は素直に良かったと思う。さらに次に続く女性の言葉にビックリしてしまう。
「彼女、今度は浩介より素敵な男を見つけるんだって。お見合いするそうだよ。残念でした。早く、次の恋見つけてと言ってた」
「…………」
女心は……恐ろしいもの。言葉すら失ってしまう。時の移り変わりと同じく映見の心も遥か彼方に行っていた。そんなことを露知らず、中途半端なのは俺だけである。どこまでも愚かで、実に情けない男だ。
世の中、男の方がロマンチストなのだろうか。目の前にこんな素敵な女性がいるというのに、「次の恋……早く……」と云われても黙っている。
ふだん女性らしさとは程遠い雰囲気なのに、潤んだ瞳に大人の女としての色気すら感じてくる。
元カノの親友だから手がだせない。そんなの嘘ぱちの弁解だ。何も言ってあげられない自分に呆れてゆく。度胸なしとは俺のことを指すのは分かっていた。
あの寝台特急の女性がまぼろしであったなら、どんなに楽だっただろうか………
けれど、仮に片想いであったとしても、百合との二股などかけたくない。
どうしても、沙織の姿が俺の脳裏から離れることはなかった。
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