第35話 束の間の戯れ


「今夜はシャンパンでも飲むか?」


 少しだけカッコつけたくなる。ええかっこしいだ。けれど、俺の誘いに皆が賛成してくれ嬉しくなってしまう。女性陣にも笑顔が浮かぶのに気づく。

 ふだんは見栄っ張りでないのに、今夜の自分は何処かがおかしい。清々しいハンドベルの音色を聴き頭の中でネジでも切れてしまったのだろうか?


「浩介、柄にもなくお洒落や。たまにはいいこと言うじゃない」

「お金は? 奢ってくれるの」

 さっそく、女性はこれである。


「大丈夫。仕送り届いたばかりだから」

「わたしも出すから。割り勘だよ」

 

 自慢げに話す俺に続くその言葉は百合である。無理すれば週末から即席ラーメンになるところを救ってくれた。


 With the head of a wild goose.

 The duck is hungry and grunts.

(雁の頭で。アヒルは空腹でグウグウ)


 英語を専攻する女性のひとりからは、そんな冗談ともいえる鼻歌まで飛び出す始末。本当に愉快で現金な奴らである。

 俺たちは6羽のあひるとなり、お腹を減らし雁首がんくび揃って、大学近くのパブに繰り出すことになる。


 パブと言っても、学生が集まるカフェバー。店に入るとインテリア装飾のキャンドルの灯りが揺れてなかなか良い雰囲気が漂う。いつもの騒がしい居酒屋とは異なっていた。


 イヴの夜はまだ先なのに軽快なクリスマスメロディーが流れている。いつもは控えめな女性なのに、今夜はどうしたものか、あの百合が口火を切ってくる。

 いつもと異なる積極的な彼女が傍におり、赤いニットのセーターの膨らみに目が行ってしまう。それは、野郎の淫らな妄想ではない。ただ、いつにない挙動にビックリしただけである。


「こうじゃなきゃ。やっぱり、パブは良い雰囲気、最高だね。楽しもうよ」

 百合は一言残し、辺りを見渡している。


「何か良いことあったの?」


「ううん。違うよ」

「だって、いつもと……」

 女性同士の内緒話が漏れてくる。


「先ずは乾杯だね」

「何に乾杯するの?」


「ええと……皆の未来に」

「変なの。彼氏でも出来たんじゃない」


 百合の言葉に沸き起こる笑い声が途絶えると、女性たちのオーダーする賑やかな声が飛び交う。いやあ、凄いこと。


 フィッシュ&チップス、生ハム、ゴルゴンゾーラのチーズ、ボイルソーセージの洋からし付、エスカルゴ、フランスパンあるの? 辛口のシャンパン。贅沢、贅沢!


 違う違う、安いスパークリングワインのデカンタで良いよ。どうせ味覚なんて同じ。美味しいビールも飲みたいし……。あっ、忘れてた。別腹のデザートと締めのパクチー盛り盛りのフォーも忘れないで。


「お兄さん、ちゃんと分かった? 」


 ここでもちょっと騒がしくなる。女性陣は次から次へとオーダー。男連中には到底理解が出来ない不思議な話だ。女性ならではのから騒ぎとなる。イケメンの店員さんは目を白黒して笑っている。


「おいおい、テーブルにおけねぇぞ」

「本当や。割り勘なこと忘れるな」


 男連中はそんな光景をふところ勘定気にしながら、羨ましそうに眺めている。しばらく騒いで飲んで食べると、俺たち2人を除いて静かになり、奴らは壁に寄りかかり瞼を閉じてゆく。

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