第10話 幼い頃の思い出


「おおっ、すげぇ……」


 4号車の自動扉を開けると、そこには足を伸ばせる自由空間があった。ここなら、語り合いながら少しくらい大声で笑うこともできる。しかも広々としており、シャンデリアこそないが一流ホテルのロビーみたいなスペースである。


「浩介さん、あそこ」


 そのひと言でちょうど向かい合わせのソファーがひとつ空いているに気づく。隣には仲睦まじいご年配な夫婦が大きな窓からゆったりと夜景を楽しんでいる。

 彼女はミニワインとおつまみのナッツ類を買って得意顔で戻ってくる。俺はあえて先ほどの袱紗の件は触れずにいた。


「2人の旅立ちに乾杯」


 会ったばかりというのに、俺たちは透明なプラカップで杯を重ねる。旅とは見知らぬ人を近づける不思議な魅力があるものだと思えてくる。


沙織「何処までゆくの?」

俺 「終点の熊本、故郷なんだ」

沙織「えっ嘘、同郷じゃない」


俺 「熊本のどこ?」

沙織「不知火町しらぬひまち、浩介さんは?」

俺 「松橋町」


沙織「なんだぁ、隣町。バスで直ぐじゃない。わたしの町は町村合併で消えてしまったけど……」その言葉にはかげりが感じられてくる。

俺 「自然は豊か、他には何にもねぇ」

沙織「そん通りや。良いとこだけど」


 しまいには熊本弁まで飛び出し、偶然にも同郷のよしみで話がはずむ。

幼い頃の懐かしい夏祭りのことを思い出し話が盛り上がってゆく。



「浩介さんもりんご飴食べた?」

「旨いのはあんず飴だよ」


「金魚すくいは?」

「やったぜ。もなかが直ぐ壊れてよ」


「わた飴が高くて買えなかったの」

「500円なんて、ぼったくりや」


「泣いていたら、金魚もらえた」

「ああ……俺もだ。ちっこいミドリガメを買ってきて、水槽に入りきれなくなり庭の池に逃がした」


「へえーそんなに大きくなったの?」

「両手じゃないと持てなくなったさぁ」


「射的や輪投げはインチキだよ」

「そう、重くて倒れないし輪が入んない」


「型抜きもあった」

「濡らしてやったら店主に怒られた」


「面白かったなあ」


 遥か彼方の遠くに置いてきたずっと昔の思い出。暫く振り返ることもない郷愁──── けれど、大切な遠い記憶。

ちびっ子踊り、婦人連の総踊り、豊年餅つき・餅投げ、太鼓の演奏、縁日のしゃぼん玉などいずれも忘れられない宝物だ。俺たちは笑顔を浮かべ童心に帰っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る