第35話 蛍ちゃんのパパ

 タキシードと防寒着であるコートに身を包んだ俺は、約束の場所に着く。


 聖奇跡学園の正門には、警備員が立っていて、次々とドレスに身を包んだ令嬢たちが入っていく。


「育滝さん」


「蛍ちゃん」


 薄い空色のドレス。


 肩が開いており、鎖骨が見える形状。


 そして肌寒くないように、ブランケットをかぶっていた。


 かすかに膨らんだ胸元から下は、ドレスに彩られていて、お姫様のようだった。


「美しい。とっても綺麗だ」


「ありがとうございます。さすが美々杏さんが選んだだけありますよね」


 本来、庶民が手を出せないようなドレスもタキシードも、特別にと、美々杏ちゃんが用意してくれたものだった。


「この格好で歩いてきたの?」


「ママと車で来たんですぅ! ふふ……この格好で電車に乗れるわけないじゃないですか」


「はは、確かに」


 今はまだ外、少し肌寒い。


「入ろうか」


「はい」


 二人で正門の前に立つ。


「招待状を」


 警備の人がそう尋ねる。


「はい」


 蛍ちゃんは招待状を見せた。


「日坂蛍様と……父親の日坂アツシ様ですね」


「……?」


 俺はポカンとした。


 父親?


 俺が?


「もちろんパパです」


 そう答えたのは蛍ちゃんだった。


 蛍ちゃんは、必死に俺にアイコンタクトを送る。


「そ、そうです。この子の父です」


 空気を読んで、嘘をつく。


「んん……そうですか……」


 怪しがる警備員。


「……招待状を確認しました。どうぞお入りください」


 が、最終的には承認したようだ。


「ねぇ、いこ! パパ」


 蛍ちゃんは俺の腕に抱きつき、歩き出す。


 しばらく警備員から離れたところで。


「すみません。言い忘れてました。

 どうやらドレス会は、男性は父兄のみの参加らしいんです。

 なので美々杏さんは、わたしのパパとして育滝さんを招待したとのことです」


「なるほどね」


 ドレス会の間は、俺は日坂アツシさんということらしい。


 つまり、俺は蛍ちゃんの父親のふりをしなければならない。


「ええと……父親らしく振る舞うってどうすればいいんだ?」


「そ、そうですね……」


 一瞬考える蛍ちゃん。


「いつも通り自然体で大丈夫ですよ。わたしが娘らしく頑張りますので」


「……おお」


「……パパ! 今日はいっぱい楽しもうね」


 にパァと、輝かしい笑顔だ。


 蛍ちゃんのパパは、きっと蛍ちゃんにメロメロに違いないなぁ。


「会場に行きましょ、パパ」


 本当の父親の代わりに、俺がパパと呼ばれる。


 不思議と湧き上がる高揚感。


 これがパパ活おじさんの気持ちかぁ……


***


〜日坂家〜


「君のお茶はいつも美味しいな」


「ありがとう、あなた」


「今日、蛍は友達の家にお泊まりかね」


 日坂アツシは優雅に緑茶を啜りながら、妻の智美に尋ねる。


「はいそうです」


「そうか……」


 アツシは妻の言葉に嘘がないことに気づく。


 が、何かを隠していることを直感する。


「ボーイフレンドかい?」


「……」


 智美の表情は、いつも通りの優しい笑顔で固まっている。


 今はまだ夫に教えるべきじゃない。


 そう考えていたからだ。


「あなた」


「いや、いいんだ。ボーイフレンドでも」


「へ」


 が、智美の予想に反して、アツシは冷静だった。


「正直、聖奇跡学園に娘をやったことを後悔していた。

 娘の表情が暗く澱んでることに気づいたのは、今年に入ってからだった。

 全く、私の目は節穴だよ」


「あなた……」


 元々アツシは、高貴な家の生まれだった。


 生まれながらの勝ち組エリートだった男は、庶民の日坂智美に一目で惚れてしまい、栄光ある人生を投げしてまで、駆け落ちする道を選んだ。


 庶民の生活と慣れない仕事に四苦八苦する中、蛍という一人娘を授かり、今日まで家庭を守ってきた漢の中の漢だった。


「私はまだ、金持ち感覚が抜け切れてなかった。

 お金があるお嬢様学校に行けば、あの子のためになると思い込んだばかりに、無理をさせてしまっていた。

 蛍は私に作り笑いをして、私の為に自分をすり減らそうとしていた。

 気づいた時には手遅れで、私には何もできなかった。

 ……でも、ほんの2ヶ月前、徐々にいつもの明るさを取り戻していった。

 ボーイフレンドができたのだとすれば、納得がいく」


「……」


「君はもう会ったんじゃないかい?」


「はい、会いました」


「ということは、君が認めた男なんだろ」


「……はい」


「なら問題ない。子供は必ず親離れするものさ」


 不敵な笑みを浮かべるアツシ。


 が、察した智美は、アツシを抱き締める。


「智美……」


「あなた……よく頑張りました……えらいえらい」


「ぅぅぅぅぅううううううううう。びぇええええええええええええん

 ひっひっひっひ、ほ“た“る“ぅううううう。『毎日パパとお風呂入る』って言ってたのにぃいいいいいいい!!!」


 イオンモールの迷子のような大泣きである。


「よく子離れ出来ましたね、パパ」


 そして数分後、落ち着いた後で、


「あなた、今日は蛍、帰ってこないので……」


「なんだい?」


「久しぶりにやりませんか?」


 アツシの体に胸を押し当てる。


「ああ、やろう。次は男の子が欲しいな」


「んもう、気が早いですって」


 濃厚なキス。


 二人は熱い夜を過ごすのだった。


 だがアツシは知らない。


 蛍のボーイフレンドの年齢を。


 アツシが将来、育滝に会った瞬間、ショックのあまり痙攣を引き起こす大惨事になることは、神様だけが知っていた。


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