第11話 恋人同士、一日目

 初めての彼女が出来ました。


 有頂天な気持ちだ。


 人生何があるか分からないものだ。


(神様、ありがとうございます)


 そんな感謝を胸に、電車に乗る。


 しばらく一人で過ごした後、いつものあの駅に着く。


「おはようございます」


「おはよう」


 いつもの朝だが、いつも通りじゃない。


 なにせ恋人なのだ。


「……」


「……」


 今日は沈黙。


 しかし、心は浮ついていた。


 俺がそっと手をつなぐ。


「あ……」


 すると蛍ちゃんも、俺の手を握り返した。


 ぬくもりが伝わってくる。


「……」


「……」


 お互い話す内容があるわけじゃない。


 だが、お互いの顔を見つめあうと、蛍ちゃんはニコリと笑顔を見せる。


 よし、もう少しだけいけるかもしれない。


 俺はそう考え、自分の立ち位置を変える。


 いつもはあまり人に見えずらいドア付近。


 そこで蛍ちゃんの正面に向き合う。


 そして、肩に手を置いた。


「ひゃん」


 少しびっくりする蛍ちゃん。


 俺は耳元で尋ねる。


「抱きしめたい」


 すると、蛍ちゃんはふるふると首を横に振った。


 断られてしまった。


「恥ずかしい」


 とのことだった。


 俺は蛍ちゃんから少し離れ、メモ帳をとる。


【ごめん、急だったね】


【大丈夫です。びっくりしてしまいましたけど】


 なんとか許してもらえた。


「……」


「……」


 少しの沈黙。


【蛍ちゃんって、何か恋人にしてほしいことってある?】


 率直に聞いた。


「……それは……あの……」


 悩んでいた。


 ものすごく照れながら悩んでいた。


【恋人になる前、こんなの想像してた、とか】


 蛍ちゃんはしばらく悩んだ後、こう書いた。


【パパと同じようなことするって、想像してました】


 パパとな?


【一緒に遊んだり、抱きしめられたり、お風呂に入ったりするような感じです】


 お風呂——


 蛍ちゃんのファザコン疑惑が脳をかすめるが、蛍ちゃんはまだまだ子供。


 パパとママが大好きなのは当たり前だ。


 ……蛍ちゃんのパパめ、全く羨ましい限りだ。


【よし、二人で一緒に叶えよう】


「え」


【パパとの思い出を教えてくれないかい】


 蛍ちゃんの目が点になる。


【最高のカップルにしていこうな】


 蛍ちゃんは照れながら、


【はい】


 と答えた。


 ……それじゃあまずはお風呂を一緒に


 と下品なことを書こうとしたが、やめておいた。


 健全にいこう。


 それが俺の中の一番の課題かつ目標だった。


***


 蛍ちゃんのパパトークを聞き続けた。


——娘溺愛、ママとラブラブ


——優しくて頼りがいある


——けっこう心配性


 とまあ色々出てくるが、時間が来た。


 そろそろ駅に着く。


 最後に彼女は書き残した。


【抱きしめるのは、少なくとも電車の中以外でお願いします】


 そして蛍ちゃんは降りた。


 最初に断られた時は、一瞬諦めたが、どうやら抱きしめること自体はセーフらしい。


 正直安心した。


(早く休日になって、電車以外で会いたいな)


 と思うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る