第16話 彼女の姉もめんどくせぇ


後日。

僕は三角の自宅へ、原付を返却しに行った。

現在、彼女は出かけており、自宅にいないそうだ。

メッセンジャーアプリで【原付,返しに来たんだけど、どうすればいい?】と尋ねたところ、【人や車の往来おうらいを邪魔しないよう、家のそばに停めておいて】という返信が来た。

さて、どこに停めようかしら。考えながら、三角邸の周囲をウロウロする。

……今、僕、めっちゃ怪しいんじゃないか?

お願いだから、誰にも見られませんように。

願いは数秒で無為むいした。

いきなり三角邸の門扉もんぴが開き、一人の女性が現れたのだ。

赤茶色のロングヘアには、強めのカールがかかっている。

蜂蜜はちみつ色の瞳が、蠱惑的こわくてきな輝きを放っており、僕に身動きを許さない。

彫りの深い顔立ち。

モデルめいた抜群のプロポーション。

服装は、ネイビーのワイドパンツと白のノースリーブという組み合わせ。ちょっと寒そう。

三角母と同様に、一目ひとめで察した。

多分、彼女は三角の姉だ。

おそらく、三角姉もまた、一目で察しただろう。

目の前の男は、見知らぬ人物だと。

つまり、見知らぬ男が、自宅の敷地に、無断で入り込んでいると。

女性の反応は、予想通りだった。


「泥棒だ!」


問題は、こういう状況におちいった時の対策を、こうじていなかったということだ。

懸命に無罪を主張する。


「ち、違います! 僕、三角凛さんから、鍵をお借りして、その、えっと」


パニくる僕の姿を見て、三角姉(多分)が吹き出した。


「あはははは! 大丈夫だよ! 凛から話は聞いてる。阪柳君だよね?」

「……は、はい。そうです」

「私は三角月子。凛の姉だよ」

「……どうも」


遅ればせながら気づく。はかられたのだ。ガルマみたく。

意識的に不満を表情に出していると、月子さんが事もなげに言った。


「うち、寄ってく?」


突然のお誘いに、動揺を隠せない。


「えぇ!? い、いや、勝手に家へ入るのは……」

「勝手じゃないよ。住人が許可してるじゃん」


……じゃあ、問題ないか。

という訳で、いざ三角邸へ。

門扉の先には、広々とした中庭があった。

全面に芝生が敷かれており、至る所でチューリップやパンジーなどの花が咲き誇っている。

ヨーロッパの自然公園を、一部だけ切り取って、ここに運び込んだのだと言われても、信じてしまいそうな景色だ。

圧倒される僕に、月子さんが尋ねる。


「手に持ってるの、凛のヘルメットだよね?」

「あ、えっと、はい」

「珍しいなぁ。家族にさえ、物を貸すのは躊躇ためらうタイプなのに」

「……そ、そうすか」


ちょっと嬉しいと思ってしまった。

『僕、かなり信頼されてるのかも』とか思ってしまった。不覚だ。


「ちょっと貸して」


 返事する前に、月子さんは僕からヘルメットを奪い取る。

 そして、何を思ったか、ヘルメットに顔を突っ込んだ。

 数秒後。顔を上げた月子さんが、不敵に笑う。


「男の子の匂いがする」

「えぇ!? しょ、消臭剤、馬鹿みたいに吹きかけましたよ!?」

「あはは! 冗談だって!」


慌てふためく僕を見て、月子さんはケラケラ笑った。男子高校生で遊ぶな。



リビングは、隅々すみずみまで清掃が行き届いていた。

調度品も、シンプルなのに存在感が強く、購入者のこだわりがひしひしと伝わってくる。

阪柳家も、こまめな清掃を行っているつもりだが、やはり家そのもののパワーに如何いかんともしがたい差があるな。こればかりは仕方ない。

敗北宣言と同時、目の前のテーブルに、麦茶の入ったグラスが置かれた。

カランという、氷の音が涼しげだった。

月子さんが笑顔で言う。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


会釈して、グラスに口を付けた。うん、美味い。

場を和ませようと、とりあえず質問。


「三角さんは、大学生なんですか?」

「三角さんじゃ、誰のことか分からないなぁ。私も三角さんだし」


うわ。こいつ、菜月と同類だ。僕の苦手なタイプ。

慣れないなりに、名前を呼ぶ。


「つ、月子さんは、大学生なんですか?」

「そーそー。普段は学校の近くにあるアパートで生活してるんだけど、ダルい時はこうやって帰ってくるの」

「……もしかして、在籍してるのって、駅前の」

「おっ、よく分かったね」


ってことは、菜月と同じ大学か。

めちゃくちゃ賢いじゃねぇか。意外だ。

無礼ながら内心で驚く僕に、今度は月子さんが聞いてくる。


「いやー、それにしても、イケメンだね! びっくりしたよ!」

「お、お世辞は止めてください」


 あんまり褒められ慣れていないので……。

 調子に乗っちゃうので……。

 心からの本音に、なぜか目を見開く月子さん。


「いやいや! 自覚あるでしょ! その謙遜けんそん、却って嫌味だよ!」


称賛攻撃に耐えかねて、強引に話題を変える。


「い、嫌味といえば、凛さんから、僕のこと、何か聞いてますか?」

「え? えっーと、『最近、馬鹿で憶病で、常に卑猥なことばかり考えてる男に付きまとわれているわ』って言ってたかな」


 そこまでけなされているとは思わなかった。


「……お願いですから、真に受けないでください」

「分かってるよ。凛は口が悪いからね」


微笑んで、月子さんはグラスの麦茶を飲む。

育ちが良いからか、三角と同様に、所作が綺麗だ。

彼女は笑んだまま、僕に尋ねる。


「犯罪者扱いされてないってことは、仲良しなんでしょ?」


どんな基準だよ。

嘆息たんそくする僕を眺めて、笑う月子さん。

ただ、それは先ほどまでのいたずらっぽいものではない。

柔らかくて、優しげな微笑みだった。


「君には本当に感謝してる。凛と一緒にいてくれて、ありがとね」

「……そ、そんな感謝されるようなこと、してませんよ。ぶっちゃけ、話すようになったのも、成り行きっていうか」


僕の返答を受けて、月子さんは微笑のまま、小さく首を横に振る。


「凛は、成り行きで人と仲良く出来ない子なんだよ。ほら、性格悪いからさ」

「……僕は、そう思いません」


 明確な否定に、片眉を上げる月子さん。僕は続ける。


「ちょっとひねくれてるだけで、あいつは普通の……可愛い女の子ですよ」


 顎を撫でながら、月子さんは真剣な表情で呟いた。


「あれが、普通?」

「……」


 言い過ぎたかもしれない。

 訂正しよう。彼女は、変わり者の可愛い女子だ。

 変わり者の姉が立ち上がる。


「お、電話だ。ちょっと廊下に行くね」


 廊下とリビングの仕切り戸を開けて、月子さんがリビングを出た。

 つまり僕は、綺麗で広い部屋に一人きり。

 暇潰しがてら、携帯電話をいじろうとする。

 しかし、ポケットの中には何も入っていない。

 あぁ、そうか。原付のカゴに入れた、バッグの中だ。取りに行かないと。

 そう思った時、ちょうど仕切り戸が開いた。


「あ、月子さん。原付に携帯電話を……」


 その先を口にすることは出来なかった。

 予想外の光景に、絶句してしまった。

 三角凛が、そこに立っていたのだ。

 彼女は渋面で呟く。


「不法侵入……」

「違う! お姉さんが、入っていいって」


 そのタイミングで、三角の背後から、月子さんが戻ってきた。

 僕ら二人を交互に見やり、納得顔を浮かべる。状況を察してくれたようだ。

 彼女は僕を指して言った。


「誰だこいつは!?」


 期待は泡と消えた。

 頼むから、話をややこしくしないでくれ……。


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