第13話 彼女は母親似


「あのベンチに座らせて」


 三角が指さしたのは、バス停の付近に設けられたベンチだった。

 ゆっくりと彼女を降ろし、肩を貸して、ベンチの左端に座らせる。エナメルバッグは、右隣に置いた。


「ここまでで大丈夫よ。母に、車で迎えに来てもらうから」

「そ、そうか……」


 生返事して、周囲を見回す。


「帰らないの?」

「……一応、お前のお母さんが来るまでは、一緒にいる。周りに、柄の悪い連中もいるし」


僕の返答を受けて、三角は頬を膨らませた。


「私が何も出来ないと思っているの?」

「何かしそうだから怖いんだよ」


柄の悪い皆さん、逃げて。こいつ、人を見た目で判断しがちなので。

視線で避難を促す僕。その横で、三角がめ息を吐く。


「勝手にしなさい」


許可を得られたので、彼女の隣に腰を下ろす。

二〇センチほど、意図的に間隔かんかくを開けた。

これが、今の僕に出来る限界だった。

しばらくすると、三角はぎこちない動きで携帯電話をいじり、通話を始めた。おそらく、母親に『迎えに来てほしい』と頼んでいるのだろう。

その様子を見て、ふと思い立った僕は、電話を終えた三角に提案した。


「連絡先、交換しとこうぜ」


 反応は、予想以上に冷淡だった。三角が薄目を向けてくる。


「とうとう、欲望の片鱗へんりんを覗かせてきたわね」

「違う。そういう意味で言ったわけじゃねぇよ」

「じゃあ、どういうつもり?」


 疑惑の眼差しを浮かべる三角に、狙いを説明。


「単純に不便だろ。連絡先が分かってれば、勉強を教えてほしい時、すぐメッセージを送れる」

「それは、貴方にとってのメリットでしょう。私には、何の実入りも無いわ」

「……つまり、メリットがあれば、連絡先を交換するんだな」


 一瞬、返答に詰まる三角。


「……断る理由はないわね」


よし。脳味噌をフル回転させて、メリットを提示する。


「毎日、一つずつ、雑学をメッセージで教えるぞ」

「少しでも貴方に期待した私が馬鹿だったわ」

「ごめん、今の無し。撤回」


 どうしたものか。乾いた雑巾のような脳味噌から、アイディアを絞り出す。


「……週に二回、平日の放課後を、お前に渡す」

「要らないわ」

「まぁ待て。話を聞け」


 早々と見切りを付けようとする三角に、詳細を説明。


「平日の放課後に、人手が必要になったら、いつでも僕を呼び出して、労働させられる権利を渡す。ただし、週に二回まで。勿論、使わなくてもいい。お前に損はないだろう?」


 それでも、三角は不満顔のままだ。


「そこまでして、私の連絡先が欲しいの? 正直、少し気持ち悪いわよ」

「……欲しいよ」

「……へぁっ?」


 瞬間、三角の仏頂面が崩れた。

 頬は薄紅に色づき、んだ瞳はせわしなく揺れて、身体は僅かに強張っている。

 明らかに、狼狽うろたえていた。

 僕は畳みかける。


「嫌な気分にさせたことは謝る。けど、これくらい言わないと、教えてくれないだろ?」

「……」


何も言わず、口を尖らせる三角。

無言の時間を経て、彼女は携帯電話の画面を、こちらへ差し出した。

設定画面と思われる。電話番号も表示されていた。

番号を、慌てて電話帳に登録。

連動して、メッセンジャーアプリにも、三角凛の名が追加された。

喜びを懸命に隠していると、三角が忠告してきた。


「余計な連絡をしたら、その瞬間に削除するから」

「分かってる」


分かっているなら用済みだ。そう言わんばかりに、三角はエナメルバックから文庫本を取り出し、読み始めてしまった。

その行動と、赤らんだ顔が、『絶対に話しかけるな』という意思表示そのものだった。

仕方なく、僕もサブバッグから書籍を取り出し、適当にめくる。

しかし、頭に入ってこない。目が滑ってしまう。

そのせいか、ページを繰るスピードはどんどん速まっていく。

死ぬほど画質の荒い映像を、八倍速で見ている気分だ。


「――阪柳君」

「ん?」


三角の声で、現実に意識を引き戻された。ゆらりと顔を上げる。

目の前に、一人の女性が立っていた。

おそらく、30代~40代。モデルに比肩するプロポーションの持ち主。

着ているのは、飾り気のないスーツ。

ただし、素材からして、かなりの高級品だろう。

ひょっとすると、オーダーメイドかもしれない。

セミロングの黒髪が、風でかすかに揺れ動く。

コバルト色の瞳から、形容しがたい引力を感じた。

非常に見目麗みめうるわしい、大人の女性である。

考えずとも理解できた。

三角のお母さんだ。

……こいつ、お母さん似なのか。などと、現実逃避めいた感想を抱く。

そんな僕に、三角母は呆けた顔で尋ねた。


「……貴方は?」

「あの、えっと、僕、三角さんの友達で、付き添いっていうか、介助かいじょっていうか、そんな感じです」


 たどたどしい挨拶に、苛立ちを見せることもなく、三角母は納得顔で頷く。


「あぁ、そう。ありが」

「し、失礼します!」


無礼にも、彼女の言葉を遮り、僕は早歩きでその場から逃げ出した。

背後から、三角母の困惑した声が聞こえる。


「え? あ、ちょっと、待って」


聞こえている。なのに、足を止めることが出来ない。

ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!

止まれ僕! ちゃんと説明しろ! 三角が困るだろ!

さぁ、戻るんだ! そして、ちゃんと事情を説明してから立ち去れ!

今なら、まだ間に合うぞ! 行け!



気付けば、目の前には奈々がいた。


「おかえり」

「……ただいま」


何も言わずに、自宅まで帰ってきてしまった……。

絶対、ヤバい奴だって思われた……。

洗面台で絶望していると、背後の奈々が聞いてきた。


「人でも殺した?」

「僕、そんな顔してるか?」

「うん、犯罪者顔だよ。昔から」


 そんなことねぇよ。多分。

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