第11話 彼女は類まれなセンスの持ち主

 仲睦なかむつまじいカップルをあごで指し示しながら、三角は言い捨てた。


「屋外で卑猥ひわいな行為に及ぶ人間は全員、偏差値40以下よ」

「そんな事ねぇよ」


 とんでもない暴論。いや、論にすらなっていない。ただの偏見だ。

 彼女の暴走は続く。


「先日のカップルも同じよ。知的な人間が、あんな真似するはずが無いわ」 

 

 無根拠な決めつけを聞き流しながら思う。

 三角は、いきなり卑猥な状況に直面すると、以前のようなパニック状態に陥る。

 が、少し時間を置いて、ほとぼりが冷めれば、今みたく淡々と話せるようだ。

 そんな彼女をあおらないように返答。


「あのカップルが着てた制服、相良西高さがらにしこうの制服だったぞ。あそこ、偏差値52くらいじゃなかったか?」

「誤差の範疇はんちゅうよ」

「誤差の範疇はんちゅうが広すぎるだろ」


それを繰り返すと、いずれは僕達も誤差の範疇に含まれてしまうぞ。

……誤差の範疇に含まれたら、僕たちも、屋外で卑猥な行為に及ぶことが許されるのか?

よこしま思索しさくふける僕の横合いから、声が飛んできた。


「城くーん」


聞き覚えのある声。反射的に視線を向ける。

そこにいたのは、年若い女性だった。

二十歳前後と思わしき容姿。

ライトブラウンの髪を、後ろで束ねてポニーテールにしている。

やわらかな印象の目元。鼻は高く、唇は薄い。三角とはまた違うタイプの美人だ。

服装は、黒のワンピース。結婚式や、ドレスコードのあるパーティにも着ていけそうな、高級感のあるデザインだ。

それ一枚だと街中で浮いてしまうと思ったのか、上からGジャンを羽織っている。お陰で、適度にカジュアルな印象を抱いた。

という具合に、一つ一つの要素を確認した後、僕は本音を口にする。


「げぇっ、姉貴」


彼女は阪柳菜月。僕の姉だ。

忘れていた。ここの図書館、あいつもよく使うんだ。

あるいは、奈々や母さんに、僕の居所いどころを聞いたのかもしれない。

ていうか、図書館で大きな声を出すな。

嘆息たんそくする僕に、三角が顔を寄せる。

石鹸せっけんめいた柔らかな香りが鼻腔びこうをくすぐった。

余談だが、今日の彼女は、ベリーピンクのニットにデニムパンツという服装である。これまた垢抜けた雰囲気で、良く似合っている。靴はグレーのスニーカーだ。

そんな三角は、無表情で尋ねてきた。


「ひょっとして、阪柳家ではお父さんのことを【オジキ】と呼ぶの?」

「呼ばねぇよ」


 元々は、僕が姉貴呼びをしているだけだった。

 それを、いつの間にか奈々が真似し始めたのだ。

……もしかすると、僕が無理にでも『おねーちゃん』と呼び続けていれば、今も奈々は僕のことを『おにーちゃん』と呼んでくれていたのかもしれない。無念。

後悔に駆られる僕の前へ、歩み寄る姉貴。

質問で牽制けんせいした。


「こんな所で、何やってんだよ」

「友達と待ち合わせ。車で駅前まで来てくれるから、ここで待ってるの」


彼女はニヨニヨと笑いながら答えた。

『ニヤニヤ』でもなければ『ニタニタ』でもない。ニヨニヨだ。そうとしか形容できない。

姉貴が、底意地の悪い笑みを浮かべたまま、僕を指さした。


「城くんがデートしてるー。やらしー」

「別にデートはやらしくねぇよ」

「デートであることは否定しないんだね」


 これまたニヨニヨと笑う姉貴。

 唸る僕に代わって、三角が言う。


「デートではありません」


 ……断言されると、それはそれで傷つく。

 姉貴が残念そうに鼻を鳴らした


「じゃあ、何やってるの?」


 問われた三角は、顎に手を当てて考え込む。


「……奉仕?」

「やらしー」

「おい、ちゃんと説明しろ」


 神速で注意。

【女子高生の奉仕】は、完全にアウトだから。

 三角が言い直す。


「勉強を教えてあげているんです」

「こいつ、主席なんだよ」

「へー! 奇遇だね! 菜月も主席だったんだよ!」


どんな奇遇だよ。

喜ぶ菜月と対照的に、唇を尖らせる三角。

頼むから張り合うなよ。ムキになったら、姉貴の思うツボだぞ。


「……そういう訳だから、邪魔するな。どっか行け」


 半眼で呟くと、姉貴は頬を膨らませた。


「なんかフクザツな気分かもー。菜月には一回も『勉強教えて』って言ったことないのにさー」

「聞く必要が無かっただけだ。他意はねぇよ」

「嘘だ! 受験前なんて、本当は聞きたいこと山ほどあったでしょ!」


 当たり前だ。志望校の主席だぞ。聞きたいことしかない。

 だが、姉貴に教えを乞うことだけは、己のプライドが許さなかった。どうしても嫌だった。

 でもって、三角よ。得意げな顔をするな。そんな所でマウント取っても意味ないから。

 このままの状態が続くと、全員にとって損なので、姉貴に頼む。


「話があるなら家で聞く。だから、今は放っておいてくれ。大学生と違って、こっちは忙しいんだよ」

「嘘です。全く忙しくありません」


 言わなくていいんだよ。何で、こういう時だけ正直なんだよ。

 ……なるほど。三角の魂胆こんたんが読めたぞ。

 こいつは、姉貴をここに留めることで、わざと僕を苦しませようとしているのだ。

 効果は覿面てきめん。姉貴は立ち去らず、僕の横に立ち、机上の問題集をのぞき込んできた。


「数学か。よし、おねーちゃんが教えてやんよ」

「止めろ。頼んでねぇ」

「その前に、ちょっとトイレ」


 閉館まで個室にこもっとけ。

 項垂うなだれる僕を尻目しりめに、三角が言った。


「貴方がお姉さんに勉強を教えてもらえば、私としては願ったり叶ったりなのだけれど」

「あいつに教わるのだけは嫌だ」

「そういう余計なプライドが、学力向上を阻害しているのよ」

 

 余計なプライドの塊みたいな奴が言うな。

 やれやれとばかりに、三角は何度も首を横に振る。


「よっぽど、お姉さんに教わるのが嫌なのね」

「嫌っていうか、必要性を感じないっていうか、上から目線がムカつくっていうか」

「仕方ないでしょう。実際に格上なのだから。事実を受け入れなさい」

「……いずれ僕の方が格上になるはず」

「つまり、現時点では格下だと認めるのね」

「……僕をいじめて楽しいか?」

「虐めているつもりはないわ。巨象きょぞうの水浴びが、小さなありを殺してしまうようなものよ。水に流しなさい。……水浴びだけに」

「……水浴びだけに?」

「り、リフレインしないで」


ぷいと顔を背ける三角。耳がほんのり赤く染まっている。

反撃のチャンス、到来だ。


「なるほど。【水浴び】と【水に流す】を掛けたのか。上手いなー。流石は三角だ。感服かんぷくしたぞ」

「や、止めなさい」

謙遜けんそんするな。その類まれなセンスには驚嘆きょうたんを禁じ得ない。天晴あっぱれだ」


 瞬間、すねに刺すような痛みが走った。

 遅れて、つま先で蹴り上げられたのだと気づく。


「痛ぁっ……!」

「大きな声を出さないで。ここは図書館よ」

「お、お前のせいで出ちまったんだよ……!」


 歯ぎしりしながら、まだ少し顔の赤い三角をにらんでいると、菜月が戻ってきた。

 泣きっ面に蜂だ。

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