第7話 彼女は意外と繊細な可能性が微レ存


それから一日中、僕は勉強し続けた。

その間に、三角は少し薄めの文庫本を、三冊も読破した。

テーブルの隅っこに積まれた本を見て呟く。


「ラノベ、読むんだな」

「文句ある?」

「いや、別に。ただ、ちょっと意外だなと思っただけ」


 瞬間、三角の顔つきが変わった。

 静かに、しかし苛烈かれつに、怒気が燃え上がっている。

 鼻白はなじろむ僕に、三角は淡々と尋ねた。


「……私のこと、どんな人間だと思ってる?」

「……優しくて素敵な女性だと思ってる」

「冗談は止めなさい」


 ナイスジョークを聞いても、三角はピクリとも笑わない。

 ……それはいつもの話か。

 諦めて、本心を告げた。


「……性格が悪くて面倒くさい奴」

「……はっきり言われると、それはそれでムカつくわね」


 どうすれば良かったんだよ。教えてくれ。

 苦笑交じりに三角が続ける。


「皆、そう思ってくれれば、楽なのよ。だから、私は本音を隠さないの」

「……」

「なのに、いつも誰かが『そんな人だとは思わなかった』とか『本当は、そんな人じゃないでしょ?』とか、勝手に決めつけて、自分のイメージを押し付けてくるのよ」


……その苦しみは、ほんの少しだけ理解できる。気がする。

僕も『人畜無害』とか『ぎょしやすい』みたいな印象を持たれることが少なくないから。

中学の頃、クラスメイトに『忙しいから、放課後の掃除を代わってくれ』と頼まれたとき、『新聞配達のバイトがあるから無理』と断っただけで、悪評が立ったからな。

 三角の失笑で、意識が現実に引き戻される。


「でも、これが私。残念ながら、都合の良いギャップなんて存在しないの」

「……捨て猫を助けたりしないのか?」

「保健所に連絡するわ」


 即答。思わず笑ってしまった。

 三角も自嘲的に笑う。


「優しいと思われたくないし、善人だなんて思われたくないし、素敵な人だなんて思われたくない。……勝手に期待しないでほしいのよ」


 それは、僕へ向けられた言葉のように感じた。

 だが、一学生に過ぎない僕には、ひねりのない感想しか返せない。



「お前、繊細なんだな」



 三角が眉根を寄せる。


「話を聞いていなかったの?」

「聞いてたよ。要するに、ショックだったんだろ? 大事な友達に、キツいこと言われて」


 え? 違うの? 表情で問うと、彼女は不満げに吐き捨てた。


「……見当違いもはなはだしいわね」

 

 顔色は変わらない。……本心か?

 とりあえず、伝えるべきことは――。


「僕は言わないぞ」

「……?」


 首を傾ける三角。僕は同じ台詞を繰り返す。


「『そんな人だと思わなかった』なんて、絶対に言わない」

「……『絶対に思わない』と言わない辺りが小賢しいわね」

「そういう無根拠な断言、嫌いだろ?」

「……見透かしたような態度がしゃくに障るわ」


 だから、どうすればよかったんだよ。教えろ。マジで。



 帰宅直後。

 手洗いの為、洗面台に行くと、奈々がスキンケアをしていた。

 躊躇ためらいなく接近し、命令する。


「洗面台を空けろ」

「順番待ちも出来ないの? モラル低いなぁ~」

「お前がスキンケア始めると、10分も20分もかかるからだよ」


 強引に身体を洗面台の前へじ込み、素早く手を洗う。

 立ち去ろうとする僕に、奈々が報告してきた。


「そういえば、今週末、姉貴が帰ってくるってさ」

「げぇっ」


 自身のしかめっ面が鏡に映る。

 その反応を受けて、彼女は僕に尋ねた。


「兄貴って、姉貴のこと嫌いなの?」

「別に嫌いではねぇけど、何ていうか、こう、波長が合わないんだよ。昔から」

「姉弟なのに?」

「逆に聞くぞ。僕とお前、波長が合ってると思うか?」

「思わない」

「そういうことだ」


あんまり僕自身に言わせるな。悲しくなるから。

僕の悲しみなど意に介さず、奈々が問いを重ねる。


「三角さんとは、波長が合うの?」

「……どうだろうな。僕は、割と合ってると思う」


向こうは、絶対に認めないだろうけど。

そして、ついに奈々は核心へ踏み込んできた。


「ストレートに聞くけど、三角さんって、兄貴の彼女?」

「違う。あと、そういう台詞を、あいつの前で言うなよ。殺されるぞ」

「兄貴が、だよね? じゃあいいや」

「良くねぇよ馬鹿」



それから数日後。

平日の放課後に、僕は一人で、駅前のファミレスを訪れた。

客入りのまばらな店内を見渡し、ある一席へ腰かける。

店内からも、店外からも、人目に付きにくい席だ。落ち着く。

サブバッグから文庫本を取り出し、読書開始。

先日、三角が読んでいた三冊のラノベ。

その内の一冊だ。

カラーイラストを一しきり堪能たんのうし、いざ本文へ挑もうとした時――。

……見覚えのある人影が通った。ような気がする。

顔の上半分だけを文庫本からのぞかせて、周囲を見回す。

あんじょう、斜め左前の席に、三角凛が座っていた。

さて、どうする? 

声を掛けるべきか。それとも、気付いていないフリを続けるべきか。

勿論、後者だ。

プライベートの時間を無断で邪魔するなど、三角が最も嫌悪する行為の一つであるはずだ。

という訳で、読書を再開。

ふむふむ。なるほど。実に興味深いプロローグだ。物語の行く末が、気になって仕方ない。

そして、いよいよ本編の渦中へ飛び込まんとした時――。

……見覚えのある人影が通った。ような気がする。

文庫本の上から目だけを覗かせて、再び店内を観察。

阪柳奈々が、空席を求めて徘徊はいかいしていた。

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