第4話 彼女は、僕から離れたい様子。


「私、勉強会という体で、雑談に終始する連中を、心の底から軽蔑しているの」



席に着くや否や、三角は僕の目を見据えて言った。


「……余計な事せず、真面目に勉強しろって言いたいのか?」

「そうよ。見た目に反して、物分かりが良いのね」


 一言余計だ。

 何となく前髪を弄っていると、三角が聞いてきた。


「教える科目は、数学で良いのよね?」

「あぁ。苦手科目なんだ」

「つまり、数学以外は完璧だと?」

「そんなこと言ってねぇよ。意訳するな」


 反論を無視して彼女は続ける。


「とりあえず、貴方の問題集を見せなさい。現状をチェックするわ。どんなに酷い体たらくだったとしても、決して態度には出さないから安心しなさい」


 別に心配してねぇよ。

 しぶしぶ、足元のサブバッグから問題集を取り出し、三角に渡した。

 それを、彼女はパラパラと捲る。

 どんどん表情が曇っていく。

 おい、決して態度には出さないんじゃないのかよ。話が違うぞ。

 数分後。三角が問題集を閉じて、深々と嘆息した。


「見た目通り、あまり賢くないのね」

「うるせぇ」


 ……僕、そんなにアホ面かな?

 疑心に駆られながら、三角に尋ねる。


「ていうか、言うほど馬鹿じゃねぇよ。前回の期末テストの総合順位も、二〇番以内には入ってる」

「随分と志が低いのね」

「僕より下位の連中全員に謝れ」

「ちなみに、貴方より上位の生徒は全員、私より下位よ」

「聞いてねぇよ」


 そういえば、こいつ主席か。腹立つな……。

 主席が偉そうに言う。


「貴方、中学一年生の頃からずっと、その場しのぎを繰り返してきたでしょう」

「……どうして分かるんだよ」


 大正解だとは言わなかった。何かムカつくから。


「解き方を見れば一目瞭然よ。難易度が低くて、点数が稼ぎやすい分野だけ、正答率が異常に高い」

「別に、悪いことじゃないだろ」

「つまり、褒められた行為ではないと自覚しているのね」

「費用対効果を追求した結果だ」

「そのやり方に、限界が来ているのよ。行動を改めなさい」


 ……悔しいが、正論だ。

 僕が沈黙している間に、三角は再び問題集を開き、無断で何やら書き込み始めた。

 書き込み作業は一分ほどで終了した。三角が問題集を僕に返す。


「私が印を付けた問題だけ、繰り返し解きなさい。分からなければすぐに質問しなさい。考えているフリで時間を浪費することは、絶対に許さないわよ」


 なるほど。さっきの書き込みには、ちゃんと意味があったのか。

 ただ落書きされただけじゃなくて良かった。

 問題集を開き、印の付いた問題を確認。


「これだけで良いのか?」

「もっと解きたければ、全ての問題に印をつけてあげるわよ」

「……結構です」


という訳で、大人しく勉強開始。

同じタイミングで、三角は読書を始めた。

今回は文庫本。ドラマ化された名作ミステリーだ。

バスで呼んでいた単行本は、もう読み終わったのかな。

そんなことを考えながら、数時間の間に、何度も何度も同じ問題を解いた。

解法が、徐々に脳と手足へ沁み込んでいく気がした。



突然、建物の外で、馬鹿でかい電子音が鳴り出した。

正午を報せるチャイムだった。

シャープペンを机上に放り、三角に言う。


「ちょっと休憩しようぜ」

「好きにしなさい」


 そう答えた三角が、文庫本を閉じて、僕に尋ねた。


「そろそろ、千円分は働いたんじゃないかしら?」


 だから帰らせろ。眼差しが、そう言っていた。

 ……正直、帰ってもらっても構わない。

 僕だって、どうしても彼女と一緒にいたい訳ではない。

 ――ただ。

『さほど苦痛ではない他人との会話』という経験が、僕にとって新鮮だった。

だからこそ、興味が湧いた。

 もう少し一緒にいたら、自分の中にどういう心境の変化が生まれるのか。

 気になったのだ。

 知的好奇心を満たすため、僕は三角に言う。


「一つ質問させてくれ。お前は、【千円分の労働をした】と、どうやって証明するつもりだ?」


 彼女は顎で問題集を指し示した。


「三時間、丁寧に勉強を教えたのよ? 十分すぎるくらいでしょう」

「つまりお前は、出社しているだけで満足に働きもせず、ネットサーフィンばっかりしてるような会社員も、労働しているとみなすのか?」

「……私の教え方に不足があったと?」

「ち、違う。そういう意味じゃない」


 刺々しい問いを躱して、僕は続ける。


「実際にテストを受けて、僕の点数がアップした時に、初めて【仕事を果たした】と言えるんじゃないか?」

「……」


 三角が黙り込んだ。

 自分から勉強を教えてくれと頼んでおいて、随分な言い草だ。我ながら思う。

 でも、相手が相手だからな。これくらい言わなければフェアじゃない。

 彼女はため息交じりに訊き返す。


「つまり、貴方が意図的に低い点数を取り続けた場合、私は永遠に貴方の魔手から逃れられないということ?」

「そんなことしねぇよ」


 あと、魔手っていう言い方やめて。何か傷つくから。

 熟考の末、三角は言い捨てる。


「13時から再開するわ。それまで、昼休憩にしましょう」

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