第3話 言うなれば、彼女は壊れたバッティングマシーン。
三角と初めて会話した日の翌朝。
「阪柳丈一郎君」
フルネームで呼ばれたことに驚き、急いで文庫本から顔を上げる。
眼前に、仏頂面の三角凛が立っていた。
自席で読書に
別に
彼女は冷淡に言う。
「話があるから、体育館裏に来なさい」
瞬間、教室がどよめいた。
方々から、皆の会話が漏れ聞こえてくる。
【三角のような美少女が、あんなモブに何の用だ?】
【罵詈雑言を浴びせかけるためにサンドバックとして利用するつもりか?】
【阪なんちゃら君、可哀想……】
みたいな
あーあ。絶対、噂になるぞ……。
嘆息して、三角と教室を出た。
予鈴まで残り10分。
幸い、体育館裏には、生徒も教員もいなかった。
到着した直後。
三角はブレザーのポケットから財布を取り出し、その中の千円札を僕の方へ差し出した。
無駄な会話はしたくないと、言わんばかりの態度だった。
「これ、昨日のお金」
やっぱりか。用意していた返事をする。
「別に良いよ。臨時収入だと思って、好きに使え」
三角は目を細めて、小さくため息を吐いた。
「懐の深さを見せつけて悦に入っている感じが、癪に障るわね」
何じゃこいつ。
「悦に入ってなんかいねぇよ。千円程度で細かいことを言いたくなかっただけだ」
「
これが、金を貸してもらった人間の態度か? わざと
……わざと、煽っているのか。
なるほど。少しずつ、こいつの性格が読めてきた。
おそらく彼女は、僕に、ある種の【借り】がある状態を、
つまり、三角は、どうしても僕に金を返したいのだ。
だからこそ、わざと僕を怒らせようとしている。
僕が自ら金を受け取るよう、誘導しようとしている。
となると、なおさら受け取りたくない。
こいつの手の平で踊らされるのは
「……どうしても、返さないと気が済まないのか?」
「えぇ。絶対に受け取ってもらうわ」
「じゃあ、金以外で払ってくれよ」
途端、三角は目尻を吊り上げて吐き捨てた。
「最っ低」
「す、すまん。今のは、僕が言葉足らずだった」
あわてて補足。
「勉強を教えるとか、弁当を作ってくるとか、そういう方法で返してくれっていう意味だ」
僕の意図を知った三角は、
「弁当の場合、私の人件費は考慮する? それとも、材料費のみを」
「訂正だ。弁当は無し」
突然のルール変更に、眉根を寄せる三角。
ただ、幸いにも罵詈雑言は飛んでこなかった。
「じゃあ、家庭教師で清算するわ」
「……家、来るのか?」
てっきり、図書館やファミレスでやると思っていたが。
問われた三角は、僅かに目線を泳がせた。
「こ、言葉の綾よ」
◇
そういう訳で、迎えた週末。午前九時。
サブバッグを片手に、僕は駅前の図書館を訪れた。
入り口前のエントランスめいた場所で、10分ほど待機していると、三角が現れた。
白いワンピースに、パステルブルーのカーディガンという装い。
手には小さめのエナメルバッグを携えている。
足元には黒のローファー。大人びた容姿も相まって、高校生に見えない。
緊張を
「うす」
瞬間、彼女は薄目で僕を睨む。
「……IQとEQが低い人間の挨拶ね」
「そんなことねぇよ」
「挨拶もまともに言えない人間は、大抵IQもEQも低いわ」
「決めつけるなよ」
「仮にIQとEQが高かったとしても、そういう挨拶をする人間とは関わりたくないわ。その場合、低いのはモラルだから」
「だから決めつけるなって」
他人を貶さずに会話できないのか?
……出来ないんだろうな。出来ないから、これだけ悪評が広がったんだろうな。
言い直した方が早いと判断。もう一度、挨拶する。
「おはよう」
「ございますをつけなさい」
「何でだよ」
「目上の人間と話す時は敬語。常識でしょう?」
「いつ、お前が僕の目上になったんだよ」
僕が文句を言うと、三角はやれやれと首を横に振る。
「貴方は今から、私に勉強を教えてもらう立場なのよ? 年齢に関わらず、物事を教えてもらう時は、相手に敬意を示すべきだと思うけれど」
「……」
間違ったことは言ってない。
だから、なおさら
また一つ、三角凛に関する情報が一つ増えた。
こいつは性格が悪いのではない。
コミュニケーションが異様に下手なのだ。
世間一般的に『会話とはキャッチボールだ』と言われている。
これは別に『言葉と言葉の投げ合い』というだけの意味ではない。
会話とはコミュニケーションであり、コミュニケーションとは『感情と感情の応酬』なのだ。
まずは、どんな相手でも受け答え可能な、当たり障りのない話題で、相手の反応を見る。
そして、どのくらいの位置に、どのくらいの速度でボールを投げれば丁度いいのか、
これがコミュニケーションの肝だ。
しかし、三角の場合、いつどんな時も、150キロのストレートを投げ込む。
おそらく、親兄弟姉妹であろうと、赤の他人であろうと、彼女はスピードとコースを変えない。
そして、相手が取り損ねて怪我すると、真顔で言うのだ。
捕らなかった
こういうタイプと会話する時のコツは、壁になることだ。
150キロのスピードボールが来たら、全く同じ速度で跳ね返す。
妙な場所にボールを投げ込んできたら、同じように妙な場所へ跳ね返す。
皆、変な気を
要するに、こいつは壊れたバッティングマシーンなのだ。
気遣いなんて無駄だ。
「……おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「分かればいいのよ。さぁ、早く始めて、早く終わらせましょう」
彼女はエナメルバックを掲げて、意気揚々と図書室の中へ入った。
もはや一周回って、彼女の動向を観察するのが面白くなりつつある。
……僕、ヤバいかもな。
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