第2話 保険調査員ミネアとバネット
カーネスト商会は、ガレサの街でも有数の豪商だ。その事業は主に交易や輸送などだが、損害保険・火災保険・生命保険などの保険事業も行なっていた。それがカーネスト商会保険事業部だ。
保険事業部の建物は、ダンジョンなどと同じ街の外れに建っている。ここは、冒険者街と呼ばれる武器屋や宿屋、酒場などが並んだ商業区画だった。
3階建ての石造りの立派な建物の2階。保険事業部の中にある保険調査室。事務机の上は、大量の書類で埋まっていた。そんな書類の山に囲まれて1人の若い女性が机に打っ伏していた。
「もう、ヤダー。同じような事故報告書ばっかり。いいかげん嫌になるよー!」
彼女の名前は、ミネア。本名は、ミネア・ストーリア。入社1年目の新入社員だった。
「ミネア君。無駄口叩いてないで仕事して。今日も残業になるよ」
上司である室長の心無い声が聴こえる。ミネアは、口を尖らせて悪態をつく。
「もーう。こんなの私1人じゃ終わりませんよー! バネット先輩は、どこに行ったんですか? 今朝から姿が見えないんですけど……」
周りにある山のような事故報告書は、大抵が取るに足りないようなものばかりだ。しかし、それをひとつひとつ目を通して調査結果を書かなければならない。
保険調査員の仕事は、ほとんどそんな事務仕事ばかりだった。
目の前の書類の山に、思わずミネアが大きなため息をついた。その時だった。
部屋のドアが勢いよく開く。長身の30代くらいの男が部屋に入ってきた。整った顔をしているが、どこかワイルドというか危険な匂いがする男。
「バネット先輩ーッ! もう! どこ行ってたんですか! 仕事が山積みなんですよ!」
ミネアは、男に声をかける。そう、この男がミネアの先輩。バネット・バックラーだった。
バネットは、ミネアに見向きもせず1枚の紙きれを皆に見せた。
「現地調査依頼だッ! これからすぐにダンジョンに行くぞッ!」
その言葉を聞いて、室内の空気が一変する。現地調査依頼は、ここに山ほどある事故報告書よりだいぶ重要な案件だ。
ミネアも思わず深刻な表情になる。
「先輩…… その、現地調査依頼って……?」
「ダンジョン保険に加入したうちの顧客が、ダンジョン内で行方不明になった。帰還予定の日を既に1週間も経過している」
ダンジョンに入る際には、書類の手続きが必要になる。ダンジョンに滞在する期間や帰還する予定の日などを記載しなければならないのだ。
室長が渋い顔をした。
「……1週間か。ギリギリ生存の可能性もありますねえ」
だが、それが気休めでしかないことを皆知っていた。ダンジョンで行方不明になった者の約9割は死体として回収されるのが現実だ。
しかし、それでも保険調査員は行かねばならない。死んでいたなら死亡を確認し、死亡保険金支払いの手続きが必要だからだ。また、できるならば遺族のために遺体も回収する。
バネットが行方不明者の名前を読み上げた。
「行方不明者の名前は、アレス・ヒューイット。最近、冒険者になったばかりの新人だ。年齢は18歳」
「まだ若いですねえ……」
ミネアは、自分と
「行方不明者は、地下1階層で魔石集めをする予定だったらしい。まあ、新人だからな深い層には行けないだろう」
バネットは、そう言うとミネアの方に詰め寄った。
「おい! 新人! 今回の案件は、俺とお前の2人で調査に行く。すぐに支度を整えろ!」
「いつまでも新人って言わないでください! 私には、ミネアって名前があるんです!」
「うるさい新人! 口より手を動かせ! すぐにダンジョンに向かうぞ!」
バネットとミネアのやり取りに、室長が恐る恐る口を挟む。
「あのー、バネット君。現地調査は、まだミネア君には早いんじゃないか? 万が一、ミイラ取りがミイラになるようなことがあっちゃ…… マズイしねえ。さすがに」
バネットは、堂々とした態度で室長に言い放った。
「大丈夫ですよ! こいつにも仕事を覚えさせないと。現場での責任は、自分が取りますから!」
「そ、そうか…… それならいいんだ。しっかり面倒見てあげてね。頼むよ」
バネット先輩と室長がやり取りしている間に、ミネアは装備を整えた。ダンジョンを探索する際のC級装備。ソフトレザーの皮鎧とショートソードを身に着ける。
「準備できました! 先輩!」
「よし、じゃあ行くぞ!」
バネットとミネアは、
ポツンと取り残された室長は、
「この仕事…… あと僕が全部やるの?」
☆ ☆ ☆
バネットとミネアは、ダンジョンの入口に到着する。保険事業部の建物から歩いて10分ほどだ。
ダンジョンの入口には、槍を持った兵士が立っていた。
「カーネスト商会保険事業部の保険調査員、バネット・バックラーだ」
バネットは、兵士に身分証明証をサッと見せた。格好いい。そう思ったミネアも後に続く。
「同じく、保険ちょうしゃいんの…… ミ、ミネア・しゅとーりあでしゅ!」
噛んでしまった。恥ずかしい。だが、特に兵士は気にした様子もなく2人を通してくれた。
ミネアは、赤面した顔を隠すようにうつむいて兵士の前を小走りに駆け抜けた。
「おい! 新人!」
バネットが不意に声をかけてくる。
「ミネアです! 先輩! 何ですか?」
「お前、ダンジョンに入るのは確か初めてだったな…… ここがどんなに危険な場所か、よーく見ておけよ! それから、俺の後ろを離れるんじゃあねえぞ!」
バネットの言葉に
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