ウェルカム・バック その1
「――――」
伸ばされた手を、アレスはすぐには取れなかった。
ずっと会いたかった少女が手を伸ばしてくれているという現実を受け止めきれなかったから。
今日は、多くのことがあった。
感情が滅茶苦茶で、整理しきれず、戸惑い、
「……むーっ」
「いや、えっと……」
ヴィーテフロアが頬を膨らませていて嫌な汗をかくことになった。
「手を取ってくれないんですか?」
「…………取って、いいのか?」
「まぁ! 貴方がとってくれなかったら私は良い感じの雰囲気で良い感じのセリフを発したのに台無しになるというかなり痛い女になると思うんですけど、そのあたりどう思います?」
どう思うなんて言われても困る。
どうしたらいいんだろう。
途方に暮れ、振り返ってウィルを見た。
彼は既にアルマによって影から解放されており、こちらに向けて、
「――――あいたっ」
無駄に良い笑顔で親指を立てて、アルマに肘で小突かれていた。
ダメだ、使い物にならない。
どういう感情なんだ。
「……えっと」
改めてヴィーテフロアの方を向いてみれば、
「むぅ」
相変わらず、彼女はむくれていた。
「――――ぁ」
それを見て、思い出す。
かつて王城の庭園で騎士であることを誓った時も、彼女は同じような顔をしていた。
その顔をされると、どうにかしたくなってしまうのだから。
ずっと昔に近い、忘れられなかった少女が今目の前にいることをアレスはやっと認識した。
「…………ヴィーテ」
噛みしめるように名を呼び、
「――――全く、鈍い所は義父に似たのかのぅ」
●
「…………おや」
ヘラの素顔を、ヴィーテフロアは初めて見た。
会う時にはいつもヴェールで顔を隠している彼女だが、
「てっきり酷い傷があるとかとんでもない醜女とかババアなのかと思っていたのですが……意外と、そうでもないですね」
年のころが四十前後だろうか。
不吉なほどに白い肌と黒い瞳はこれまでの印象とは変わらず、頬や目じりの皺が時の積み重ねを伺わせる。
「酷いことを言う小娘じゃのぅ。これでも六十にしては努力してると思って欲しいのじゃが」
「……………………まぁ、その年にしては確かに」
「ヴィーテ……?」
何を納得しているんだと言わんばかりにアレスの半目が横から突き刺さったが仕方ない。
「……いえ、それはそうと私とアレスの感動シーンさらっと邪魔してくれたのはどういう了見ですか」
「さらっと妾をふっ飛ばしたであろう。そもそもアレスがすぐに反応しないのが悪いのではないか?」
「……………………確かに」
「ヴィーテ……?」
「おっと失礼。これは後々話合うとして」
「――――ふん」
ヘラは鼻を鳴らし、視線をヴィーテフロアとアレスずらし、
「ん?」
自分たちの背後にいるアルマへと向ける。
「……デメテルたちも、時間稼ぎにすらならなんだか。アレスもヴィーテフロアも手から離れるとは、元々の計画は見るも無残なものじゃ」
「では、敗北宣言ですか?」
「否」
喪服の女は手をかがけ、
「――――何事も、予備プランを立てて置くものじゃよ」
指を鳴らし、姿が消失した。
「なっ……!」
「アルマさん!」
隣でアレスが、背後でウィルが声を上げる。
対してヴィーテフロアは緊張を解くように息を吐き、
「虚数転移だね。流石に僕を警戒したんだろう」
アルマは肩を竦めた。
「思った通りですね、アルマさん」
「あぁ。―――これでいい」
「アルマさん……?」
「ヴィーテも、何を……」
「場所を変えて説明しよう。一度御影たちとも合流したいしね。その上で、話をしよう。ヴィーテフロアがこれまでどうしていたのか、ヘラの狙いが何なのか。そして、僕たちがどうするべきなのかを」
●
本日何度目にになるか分からないが、どうしてこうなったのだろうとアレスは思った。
アルマが開けた空間ポータルをくぐった先は、王都中心部のある大衆食堂だった。
普段であれば多くの人で賑わっているが、周囲一帯人の気配無く、伽藍としている。
人がいないのは避難が完了しており、魔族も掃討されたということだろう。
それは良い
良くないのはその食堂で、
「おお、やっと来たか。こっちの準備はできているぞ?」
エプロン姿の天津院御影が、アレスたち四人を出迎えたことだ。
「…………」
「あれ、御影。何をしてるの?」
「決まっているだろう、ウィル。そっちも含め、皆あちらこちらで戦い疲弊しているんだ。そうなると、まずは腹ごしらえだ」
腰に手を当てた彼女は大きな胸を張り、
「あぁ、それと。アレス」
「は、はい?」
「おかえり」
●
二十人ほどが入れる食堂の中央で、四人掛けのテーブルが二つ繋げられた。
テーブルの上には様々な料理が広がっている。
当然料理人なんていないので御影を筆頭にして作られたものだ。
「……トリウィア、普通に料理作ればわりと美味しいのになんでいつも変なゲテモノ作るの?」
フォンはスプーンで掬ったマッシュポテトをまじまじと眺め、右隣のトリウィアは香草と鶏肉を挟まれたサンドイッチを口にしている。
「そりゃあ知的好奇心故ですよ。帝国の料理は大体芋と肉のバリエなので面白みがないのでやらないだけです。炭水化物の補給には適しているので今回は作りましたけど」
「いやずっと普通に作ってくれればいいよ」
フォンの左隣では机の正面席でははちみつを掛けた野菜とチーズのピザをウィルが手を付ける。
「これ、ピザって今焼いたの? 生地とかって時間掛かるんじゃない?」
「まぁ作り方次第だな」
応えるのはウィルの右隣、フォンの正面で王都産地ビールをひたすらに流し込む御影だ。
ジョッキ一杯を一息で流し込み、
「生地の発酵やらをしっかりすれば時間はかかるが、今回は最低限の時間で終わらせた。発酵時間少ない分食感が軽いものになる。このあたりは好みの話だな。ウィルはどうだ?」
「へぇ。うーん、僕はどっちも好きだな。というかこのチーズと蜂蜜が好きかも。御影は久々のお酒はどう?」
「たまらん。こんな事態だから軽率に飲酒解禁するものだ」
背後に置いた大樽から直接ジョッキで掬ってビールを補給する。
「……というわけで、僕とウィルは前世は別の世界で一度死んで、ウィルはこの世界で生まれて、僕は別の世界から来たんだなこれが。ゼウィス・オリンフォスは他の世界での僕の敵がその体を乗っ取った奴で、ルキア・オクタヴィアス、≪ディー・コンセンテス≫はその残党ってわけだ」
「ははー、なるほどのぉ」
「……………………ごめん、アルちゃん。全然話しについていけないや」
ウィルの対面でどす黒い珈琲を片手にアルマの解説を聞いているのは、その左右側にそれぞれ座るカルメンとパール。
イザベラはレアステーキを丸ごと齧りつきつつ、パールは頭を抱えながら焼いた魚をおかずに白米を口に運ぶという器用なことをしていた。
そして。
パールの右、御影の左に二人分の席に座るのが、
「………………」
「………………」
無言でうどんを啜るアレスと無言でマヨネーズが大量に掛かった炒飯を食べるヴィーテフロアだった。
ヴィーテフロアは≪偽神兵装≫を解除し、シスター服姿だ。
互いに横目でちらちらと見合うが、どちらも会話の機を伺っているが切りだせずにいる。
何度かウィルが二人に声を掛けようとして、その度に御影に止められていた。
彼ら彼女らは会話をしたりしなかったりだが、アルマを除いて共通していることは一つ。
食事の手を止めないということだ。
この場にいる九人が九人ともそれぞれの戦いを終えた後であり、英気を養うために。
何よりも。
これで終わりでないということを皆、分かっているからだ。
だから、
「――――さて」
それぞれの食事が一通り終わり、アレスが全員分の紅茶を淹れたところで。
アルマが立ち上がる。
みんなを見回し、
「話をしよう。これから僕らがどうするか、を」
●
「まず君たちから確認したいだろうことから行こうか」
ティーカップを両手で包んだヴィーテフロアはアルマの視線を感じたが、自分はまだ紅茶の赤い色を見つめていた。
「……」
これから自分のことをいくつか説明しなければならない。
ウィルとアルマが連れて来たから、御影達も受け入れてくれていたが、内心は警戒しているだろう。実際、食事中の手の動きが微かに注視されているのを感じる。
正確に言えば状況を鑑みた上での最低限の反応だ。
敵意はないが、警戒しないわけにはいかない、という感じ。
或いは、拒絶されるかもしれない。
それでも。
「―――ふぅ」
紅茶を口にする。
懐かしい、味だ。
記憶にあるよりもずっと良い味だけれど。
それでも彼が淹れてくれたという現実が勇気をくれる。
だからヴィーテフロアは視線を上げ、
「はい」
アルマを見つめ返し、胸に手を当てる。
「王城での会議のこともあり、私に対する疑念はあるでしょうが全てお話させていただきます。理解を頂けるかは分かりませんが、どうかこの世界の危機においては協力していただけると幸いです」
息を吸い、
「あれは……そう、アレスが私に対して一生涯の騎士になるという熱烈告白をしてくれたすぐ後のことでした」
「ヴィーテ!?!?」
「わははは! おい、私はこいつ気に入ったぞ!」
「あぁ、うん。御影はそうだろうけど……ヴィーテフロア、なるべく簡潔に」
「あ、はい。アルマさん」
●
「えーと……」
話を聞き終え、フォンは腕を組み、首をひねり、
「つまり……ヴィーテフロア殿下はアレスを人質に取られつつ五年放置されてたらゴーティアが倒されて、ヘラなら出し抜けると思って裏切ってスパイをしていた?」
「まぁフォンさん。要約の天才でしょうか?」
「え、ほんとぉ?」
あまりない褒められ方をしたから少し照れる。
ヴィーテフロアの説明は分かりやすく、悲壮感のようなものを感じさせない話し方だった。
アルマに言われた通り、客観的に要点だけを簡潔に。
感じのは彼女の地頭の良さだった。
「はい。それに殿下など不要です。ヴィーテで構いません。来年は私も学園に入学予定ですし、そうなれば先輩後輩の関係ですから」
「あ、そうなの? じゃあヴィーテで」
「……あ!? ヴィーテ、学園入学するのか!?」
「えぇ、まぁ。何か疑問がありますか、アレス」
「…………いや、えっと」
「横から指摘しますけど、学園の性質的にヴィーテさん……そう呼ばせてもらいますが、ヴィーテさんが入学するのは至極当然では。王族であり、七主教の聖女ですし。七主教の聖女といえば光と闇の属性に長けていると私も聴いたことはあります」
「まぁ、帝国一の才女にそう言っていただけるとは気恥ずかしいですね」
「というか、アレス」
「……なんですか」
「お前を庶務に入れたのはそれを見越して、というのもちょっとあるぞ。入学したら彼女も生徒会入りだろうしな」
「……………………先輩!」
「え!? 僕!?」
急に矛先を向けられたウィルは一瞬驚きながら首を傾け、
「…………いや、普通にアレスが早くヴィーテさんに会いに行けばよかったんじゃない?」
「こ、こいつ……!」
「ぶっ……!」
「おい、ヴィーテフロア君が笑ったらだめじゃないか?」
「いえ……しかし……くくっ……本当にそうでっ……ふふふっ……さ、流石ですねウィル先輩……!」
「…………ぐぅ」
「わぁ、ウィルちがそういう厳しめのマジツッコミするの珍しいねぇ」
「んー、確かに」
パールの言葉に、フォンは頷いた。
彼がこういう不躾で、無遠慮な言い方をするのは珍しい。
あまりフォンが見たこと無かったウィルの一面だ。
「まぁウィルさん、男友達少ないからなー」
「……フォンよ、あまりそう言うことは言うものでもないと思うのじゃが」
「話題が逸れそうなのでマジなツッコミを私もしますが」
フォンの隣で、トリウィアは煙草に火をつけつつ、軽く手を上げる。
「実際問題、アレス君がヴィーテさんに会いに行っても状況的にはあまり変えられなかったのではないでしょうか。アルマさんがいる以上、向こうもそう簡単に動かなかったでしょうし、ヴィーテさんも実情を語れなかったのでは」
「んん……こほん。えぇ、それはそうですね。言うまでもないですが、≪ディー・コンセンテス≫ではアルマさんとは絶対に戦闘を避ける様に言われていました」
「だろうね」
アルマが飽きれ気味に息を吐き、
「聖国ではヘルメスが実際にそうだった」
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