アレス・オリンフォス――???―――
「―――――全く、斯様に杜撰な顛末とはのぅ」
その声は、アレスの影から放たれた。
そして声と共に、
「!?」
ウィル、エスカ、アイネ、トォン。
四人の影が何条もの帯状に伸び、体を拘束した。
「これはっ―――!」
咄嗟にウィルは右腕に魔法陣を展開しかけ、
「お主は良いが、あちらの三人がどうなるかのぉ」
「……!」
影の言葉に動けなくなる。
「っ…………母さん!」
「あぁ、無論妾じゃて」
アレスが叫び、応えはやはり影から。
ずぶりと、影は浮かび上がり、不定形のそれは人の形を得ていく。
喪服のような、ベールで顔を隠した黒い女。
ヘラ。
或いは、ロムレス共和国首相、ルキア・オクタヴィアス。
老人のようにも少女のようにも見える彼女は、
「…………残念だったのぅ」
労うように息を吐いた。
「妾の声も途中から聞こえておらなんだな? 全く……ここまでお主が熱くなるとは思わなんだ」
「っ……」
「まぁ、良い」
繰り返されるため息。
ベールの奥で、彼女は優し気に微笑んだ。
「母、さん……」
「あぁ、言ったじゃろう。妾じゃ。お主の母じゃ」
声には慈愛すら満ちていた。
「お主の夢を叶える為に力を貸す母じゃ。会いたいのであろう? 彼女に」
「それ、は」
「妾もじゃ」
言葉に力が籠った。
その圧にアレスも、拘束されている四人も息を飲む。
「愛しい人に会いたいがために、全てを犠牲にするという気持ちが妾には分かる。だからこそ、妾はお主を選んだのじゃから」
ヘラはアレスへと手を伸ばした。
優しく、頬を撫でる。
まさしく母が子供を愛でるように。
「だから」
彼女は言う。
「―――――あの四人は殺すが良い」
「―――」
「アレス!」
「静かにせよ」
「んぐっ……!」
ウィルは声を上げようとしたが、影帯が口に塞がれた。
ヘラはそれには構わず、
「さぁ、アレス。――――あの子に会いたいのじゃろう?」
「――――ぁ」
アレスは息を飲んだ。
身体が震えて。
そして。
●
「―――――できません」
ぱしりと、渇いた音がした。
それはアレスがヘラの頬を弾いた音だった。
「…………いいのかのぅ?」
何が、とは彼女は言わなかった。
けれどアレスには分かっている。
「……良いわけじゃ、ない」
身体の震えは止まらなかったし、声も同じように震えた。
自分の感情が分からなかった。
彼女に、会いたいとは思う。
彼女への誓いを果たしたいと思う。
だけど。
「…………友達が、できたんだ」
口にした言葉は、随分と陳腐なものだった。
エスカが、アイネが、トォンが息を飲む。
「それに」
アレスはウィルを見た。
彼は口を塞がれ、口元は見えず動けなかったけれど。
優しく微笑み、アレスのことを見返していた。
微笑んでいると分かってしまうのがどこか腹立たしいが、
「……お節介な先輩もいる。俺を受け入れてくれる人たちも」
だから。
「だから、殺せない。母さんが何をしたいのか、俺には分からないけれど。俺は俺の願いの為に、誰かを犠牲にはできない。そんなことをしたら、俺はきっと、彼女に顔向けできないから」
「――――そうか。残念じゃ」
ゆっくりとヘラは頷いた。
声は静かで、表情もベールで隠れているから感情は露わにならない。
弾かれた手を握り、
「では、死ね」
広げた掌に、影の球体が生まれていた。
「―――」
一瞬のことだ。
真っ黒な、あらゆる光を取り込む球体。
至近距離で向けられたそれに、アレスの本能が危険を叫ぶ。
当たれば死ぬ。
そしてこのタイミングでは避けられない。
「―――あぁ」
罰かなと、思った。
マキナを、ウィルを傷つけた。
学園にも少なからず被害を出した。
この状況で、自分はやってはならないことをした。
ただ一人に会いたいが為に。
馬鹿みたいだとも、思った。
こんなことになるなら。
意地なんて張らず、さっさと会っておけばよかったのに。
「ごめん、ヴィーテ」
苦笑気味に言葉を漏らし。
影球は自身の胸へと吸い込まれ、
「―――――――いいえ、謝る必要はありません」
●
ヴィーテフロア・アクシオスは望まれるものに応えるのが自分の使命だと思っていた。
自分が生まれたのは王国が建国されてから数年、国としての規模や文化、国交等々、何もかもが急速に成長して行く中で誕生した。
古くからずっと続いていた魔族との戦いを知らない世代の王族。
自分の親や祖父世代からすれば意味のあるものだったらしい。
そんなことを、物心ついた時から理解していた。
自分どうも、頭の回りが良かったらしい。
こんなふうに言うとちょっと嫌味臭いが、事実なので仕方ない。
正確に言うのならば、他人が自分に求められるものを理解していたというべきか。
王国の長女。
新しい時代に生まれた王族。
魔法も礼儀作法も勉強も対人能力も。
幼いころから望まれる分だけ応えれば周りが喜んでくれるのだから、そうするべきだと思っていた。
『おめーはあれだなぁ。お利巧すぎるから、ちょっと心配だぜ爺ちゃんは』
そんな自分に、そんなことを言ったのは祖父だった。
九歳になるよりも少し前のこと。
その時祖父は既に王の座を父に引継ぎ、一日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。
『俺に似たのかもしれねぇけど。爺ちゃんは頭も良いし腕っぷしもある完璧超人だったしな。まーゼウィスと……あとダンテとは戦いたくないけど。いや、負けないぜ? 俺の方が強いけど。俺元王様だし、爺になったし。下々の民とは戦わないってだけで』
言い訳がましいこと口にする祖父にはあまり威厳を感じなかった。
これは父もそうだったので、血筋なのかもしれないが。
『って今はヴィーテの話な。マイグランドーター。あれだ。簡単な話だぜ、我がままに生きていいんだよ?』
祖父は言った。
『俺は我がままにやったぜ。ちっせぇ国だったアクシオスをでっけぇ国にして、魔族と戦って倒して、ユリウスに後継いで、おもろい遊びやら美味い飯やら考えて実践したわけだ。俺が皇国贔屓なのは米があるからしな。お米最高。マヨネーズ掛けたら無限に食える』
確かに祖父が作ったというマヨネーズは最高に美味しい。
食べ過ぎると母にもお世話役にも怒られるが。
『ユリウスのやつも、まあ好きにやってんだろあれ。大戦の時は身分隠した王子様ムーブでダンテのラブコメ至近距離から眺めて愉快極めてたし。俺みたくハーレムせずに嫁さん一筋だしよ。方向性は違うけど、あいつも人生楽しんでる』
だけど、
『お前の場合はちょっと違うよな。世代つーか時代のせいか、お前さんが賢すぎるせいか? どっちでもいいけど。おめーもうちょい好きに生きろよ。俺らみたいにな。って八歳に何言ってるんだろうな、ワハハ』
祖父は優しく微笑み、
『求められるのに応えるんじゃなくて、お前が求めるものを求めるままに求めて良いんだ』
そう言って頭を撫でてくれた。
今思えば八歳の幼子に言うことではないけれど。
実際あまり理解できなかった。
この時は自分が求めるということが良く分からなかった。
それからしばらくして――――祖父は亡くなった。
大往生だった。
ヴィーテフロアにとって人生の転機になったのはそのさらに少し後。
父から七主教に預けられるということを聞いた――――ではない。
アレス・オリンフォスに対して嘘泣きをかました時のことだ。
そう、嘘泣きである。
城内のお気に入りの庭園で彼に対して怒りながら泣いていたが、怒ってもいないし悲しかったわけでもない。
七主教に預けられると聞いても、別に何も思わなかった。
『…………私は怒りと悲しみに打ち震えています』
そうは言っても、怒りも悲しみもなかった。
それが求めらえたことなら、やり遂げればいいだけ。
なのに彼に嘘をついたのは、
『もう……つまり、もうすぐ私と会えなくなっちゃうってことですよ。私はこの城を離れるんです』
気心の知れた友人がどんな反応をするか知りたかったというだけ。
悪戯心、と言えば可愛いのだろうか。
後から思えば随分意地が悪いが、子供心ということで。
ただ、そんな子供心は思ってもいなかったカウンターを受けることになるのだが。
『だったら、おれは君の――――君だけの、騎士になるよ。何があっても君だけのもので、君だけの意思に応えるよ』
彼は、ヴィーテフロアにとってとはとんでもないことを言ったのだ。
あの時に受けた衝撃は、今でも忘れられない。
人の求めに応えることを使命としていた自分。
そんな自分だけに応えてくれると、彼は言った。
彼に深い考えは無かったと思う。
けれど。
王族として。
魔族を知らない世代として。
未来の七主教の聖女として。
多くのことを期待された自分に対する純粋無垢な誓いは、あまりにも眩しかったのだ。
まぁそんなこんなで。
何気ない少年の一言が少女に心に突き刺さる、みたいな。
祖父が知ったらあれこれ根掘り葉掘り聞いてきそうな淡い話になる――――はずだった。
『――――ほぉほぉ。これはちとおもろいことになったのぉ』
二度目の転機は、アレスの義理の父であるゼウィス・オリンフォスと出会ったことだ。
否、ゼウィスとはこれまでも何度か会ってはいる。
父の盟友であるし、国の英雄なのだから。
だけど。
七主教に行く前日出会った時の彼は違った。
ゼウィス・オリンフォスは、ゼウィス・オリンフォスでは無かったのだ。
『やはりこの世界、中々のポテンシャル。帝国の『悪魔の子』も大概じゃが、お主もお主じゃな。―――儂が何なのか、分かるかの?』
分からない。
ソレが何なのか、ヴィーテフロアには何もわからなかった。
ただ、感じたのだ。
圧倒的な恐怖。
無限の深淵を覗き込んだかのような大きすぎる不明。
人の形をし、既知の姿であるのに全く別の存在。
まるで、ずっと遠い世界からの来訪者かのように。
『ふむ。分からずとも、本質を見ているのかの。まぁワシも≪
ソレは、いくつかのことをヴィーテフロアに教えてくれた。
ゴーティアという異世界から来た者ということ。
ゼウィス・オリンフォスは死に、彼の体を乗っ取っているということ。
そのことを知るのはこの世界では彼の妻と数人の義理の子、そして自分だけということ。
彼にはある目的があるということ。
そのために――――アレス・オリンフォスを利用するつもりでいるということ。
『さぁどうするかのぅ、未来の聖女よ』
英雄の皮をかぶった化物は、笑っていた。
どうするなんて言われても。
どうしていいか、ヴィーテフロアには分からない。
『ワシはお主を、ワシがアレスを使うための駒にする為に利用するつもりじゃ。事を起こすには五年、或いは十年先かもしれん。その間にお主に何ができるかのぅ』
化物は楽しんでいた。
それはただの余興に過ぎない。
『例えば』
悪辣に。
まだ十にも満たぬ少女の心を壊して行く。
『これから先、お主がワシに協力するというのなら――――いつか目的を為す時、アレスの身は想像する最悪を逃れられるかもしれんぞ?』
そして。
その提案がヴィーテフロア・アクシオスの人生を大きく歪めた。
実際の所この五年間で何か大きなことをやらされたわけではない。
むしろ、ゴーティアはほとんどヴィーテフロアを放置していた。
≪七主教≫に預けられてから、彼に会うのは年に一度程度。彼自身が言った通り、何かをするにはずっと先の予定だったのだろう。
問題だったのは、彼女の心の方だ。
『――――私は』
いつも、思っていた。
『私は――――ただ、期待に応えたかっただけなのに』
皆を喜ばせたかった。
王女として、聖女として。
そして、彼が誓ってくれた自分として。
≪七主教≫の聖女として育ちながら、何もできず、何かをすればゴーティアに悟られるのが恐ろしくて何もできず。
―――――三度目の転機は一年前。
ゴーティアが敗北し、
『我が夫の大願は妾が引き継ぐ。故に、力を貸してもらおうか』
ルキア・オクタヴィアス/ヘラが、ゴーティアの子供たちを率い≪ディー・コンセンテス≫が動き出したこと。
ゴーティアが残した異世界の技術を用い、彼女は彼女なりの目的を果たそうとした。
だけど。
『ルキア・オクタヴィアスは、ゴーティアじゃない』
そうだ。
だったら、出し抜けるのではないだろうか。
だったら、彼を救い出せるのではないだろうか。
分からないけれど。
五年間、彼とは会えていない。
ここ一年の動向は近衛騎士であるパラスの妹から貰ってはいるが。
心の底で彼が何を考え、感じているのかは分からない。
もしかしたら、彼もまたこの世界を恨み、ヘラに賛同しているかもしれない。
だけど。
もしも。
もしも、だ。
アレス・オリンフォスが、かつて誓ってくれた時と変わらなかったのなら。
性格の悪い女の子が、恋した時のままの男の子なら。
その時、ヴィーテフロア・アクシオスは―――――。
●
「!?」
影球がアレスに触れるよりも。
ウィルが反射的に拳を握り魔法使うよりも。
影球ごとヘラを打撃したものがあった。
乳白と黒紫が入り混じった光だった。
直径二メートル近い砲撃がヘラを吹き飛ばす。
「――――ぁ」
だが、アレスはそれを見てはいなかった。
見ていたのは――――空間の穴からゆっくりと現れた一人の少女だった。
軽科装姿だ。
身体に張り付くアンダースーツに、肩や腰から固定された半透明の衣を纏っている。
乳白と黒紫。
入り混じった二つの色。
髪は夜明けの光に蜂蜜を溶かしたような黄金。
瞳は海のような深い青。
彼女を、アレスは当然知っている。
「…………ヴィーテフロア・アクシオス」
ずっと、アレスが会いたかった人。
「アレス・オリンフォス」
囁く様な声は、声量は小さいのに不思議と耳に届く。
「…………あー」
彼女は何故か、少し居心地が悪そうにし、アレスの背後に視線を向けたと思えば顔をしかめた。
疑問に思って振り返れば、アルマ・スぺイシアが両手の平をこちらに差し出している。
お構いなく、と言わんばかりに。
「……こほん」
咳払いに、アレスはヴィーテの方を向いた。
よく分らない。
ヴィーテがここにいる理由も、アルマと知り合いらしい理由も。
「………………アレス?」
「あ、あぁ」
「まぁ正直、私が思っていた状況と計画ではないのですけれど。それでも、一先ず良しとしましょう」
「あ、あぁ?」
「混乱してます?」
「あ、あぁ」
「してますねぇ」
ヴィーテフロアは息を吐き、
「だけど、確かなことは一つ」
彼女は手を伸ばした。
青い瞳が潤み、零れ落ちた雫が輝いた。
ずっと堪えていたものが溢れ出したみたいに。
「……ぁ」
いつの間にか、自分も泣いていた。
何も分からない。
だけど、そう。
一つだけ、はっきりとしている。
「ヴィーテ……!」
ずっと会いたかった少女。
在りし日、彼女の味方になると誓った相手。
そんな彼女が今、目の前にいる。
「えぇ、えぇアレス」
泣き笑いと共に海のような瞳が輝く。
彼の名を誇るように。
もはやそこには恐怖も絶望も無く。
あるのは再び出会えたことへの喜びだけ。
変わらないでいてくれててありがとうと、彼女は思い。
こんなことってあるのかと、彼は思った。
「
―――≪アレス・オリンフォス&ヴィーテフロア・アクシオス―――
ボーイ・ミーツ・ガール・アゲイン≫―――≫
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