天津院御影――プリンセスの条件――その2



 御影の腹部、どころか全身から溢れ出した赤黒の、炎のような呪いが三鬼子の断片だと、御影は直感した。

 本体ではない。

 おそらく≪ディー・コンセンテス≫が聖国や≪龍の都≫で暗躍したように皇国の聖域からその呪いの一部なりを奪うなりしたのだろう。

 三鬼子。

 古くから皇国に伝わる伝説。

 神代の時代、鬼種と共にあった三つ柱の鬼神は、しかし鬼と道違えて自ら眠りについたという。

 簡単に言えばこういう話で、皇国内の地域によっては当時の鬼に封印されたとか、殺されて遺骸が収められたなどのバリエーションがある。

 エウリディーチェの話を聞く限りは自らの封印だったのだろう。

 その理由が、今御影から溢れ出したもの。

 感情だ。


「――――!」


 怨念。

 情念。

 想念。

 愛しい。

 憎らしい。

 認めたい。

 許せない。

 それらはこれまで感じ、しかし抑えていたものだ。

 押さえなかった。


「ハッ―――!」


 笑みが溢れ、歯がむき出しになる。

 そして。

 炎が御影を飲み込み、意識が別の位相へ飛んだ。







 ――――これは

 

 御影は見ていた。

 感情のさらに奥で、流れて行く光景を。

 それは過去だ。

 かつて三鬼子たちが見て来たもの。


「――――神が生まれた時代の頃からか」


 遥か遠い昔、人の祈りが神を生み出した。

 概念に対して名付けることで形を得て、神となり人の上に君臨した。 

 三鬼子もそうだった。

 彼ら、或いは彼女らもまた人に崇められ、人の上に立つことになった。

 大陸の東、山脈に囲まれた刃のように細長く突き出た半島。

 一つ目の鬼神を長とした鬼の国。

 三つ柱の鬼にはその配下として国を治めていたのだ。

 だけど。

 時は流れ、世界は変わっていく。

 人の文明が発展し、神が人と交わり始めたのだ。

 崇められていたものと崇めていたものが同じものになり、繁栄していく。


『――――どうして?』


 彼らは、その変化を見ていた。


『――――お前たちが、私たちを作ったのに』


 声が、どこからともなく聞こえてくる。


『――――お前たちが、私たちを殺すのか?』


 感情だ。

 怨念。

 情念。

 想念。

 彼らはそれが理解できなかった。

 神と交わる様な人も。人と交わる様な神も。

 人によって緩やかに絶滅していく神々を。

 

「あぁ―――」


 御影は見ていた。

 三鬼子が世界から取り残されていくのを。

 御影は感じていた。

 三鬼子が世界に対して抱いた想いを。


『――――何故だ』


『――――何故、私たちを否定する』


『――――何故、私たちが消えて行く』


『――――その繁栄が憎らしい』

 

『――――その慕情を認められない』


『――――その未来を見ていられない』


 反響する慟哭。

 交差する悲嘆。

 燃え上がる憤怒。

 

「―――あぁ」


 気づけば、御影はどこかに立っていた。

 『貴風館』ではない。

 霧に包まれた白い世界。

 自分の正面に、赤黒く燃える三つの火。

 繁栄を、慕情を、未来を拒絶した神。


「そうか」


 息を吸った。

 吐き、言う。

 微笑む御影には、彼らに対する非難は無かった。

 だって、


「お前たちは、誰もを愛していたんだな」


 そうだ。

 

「愛しているから離れたくなかった」


 人とも、神とも。


『―――』


「そうじゃなかったら。人とも神ともあり方を違えたのに眠ることを選ばないはずだろう? 憎くて、認められなくて、それでも愛して、寿いだからお前たちはただ眠ることを選んだんだ」


 そうだ。

 人を愛し、憎み、寿ぎ、許せなかった。

 片方だけだったら、簡単だっただろう。

 知識としてエウリディーチェから聞いているから知っているし、感情を身に宿知りて理解する。

 

「優しすぎて、真面目過ぎだったんだなお前たちは。変わりゆく世界に対して目を背けられる矛盾を抱えて、それを受け止めきれなかった。人と神が交わる世界に自らの居場所が無いと判断して、身を引いたわけか」


 微笑む。


「……どこかで聞いた話だ。私よりも、よっぽど慎ましいが」


 強さに序列をつけて控えていた自分よりよほど真面目だ。

 結局肉欲大爆発してしまったし。

 まぁアレはウィルが反則だったので仕方ない。

 仕方ない。

 だから。


「なぁ、おい」


 目前の想念たちに声を掛ける。

 それは断片といえど、三鬼子そのもの。

 彼らに手を伸ばす。


「―――私と行こう」


『―――――?』


 炎が揺らめいた。

 首を傾げる様にも見えて笑みが深まる。


「世界は変わった。確かに神の時代は終わり、人の世だ。だからこそ、お前たちがあれこれ悩む必要はきっとないぞ? むしろ、見届けると良い。かつて、お前たちの同胞の、創造主たちの選択がどのような結果を生んだのか」


『――――何故、お前に?』


「私も、半端者だからだ」

 

 即答した。


「私は人間と鬼の混血で、皇国と聖国の混血だ。それでもまぁ、皇国の皇位継承権第一位を勝ち取って、この王国に来た」


 だけど。


「どうにも愛を知ってな」


 苦笑して、


「色ボケ……というか肉欲ボケして、どうにも私は熱を失っていたらしい。私の従者にさっき教えてもらった。だけど、だけどな」


 聞いて欲しいんだ。


「そんな私を夢と言ってくれる少女と出会ったんだ。私が自分の理想だと。私の様になりたいと。なぁ、おい、どう思う?」


『――――どちらが、本当のお前なの?』


「どっちもだ。或いはどっちでもない」


 もう一度、即答する。


「本当の私なんて、無いんだよ。正しいあり方なんて私には無いんだ。半端者で、混ざり者で、感情に振り回されて、そのくせ理性でふるまって」


 良いも悪いも無いのだ。

 いばらが熱を失ったという自分も。

 マクリアが夢だと言ってくれた自分も。

 ウィルを愛している自分も。

 アルマを揶揄う自分も。

 トリウィアと色ボケている自分も。

 フォンの姉である自分も。

 変化したしてない、なんて悩むのがそもそも違うのだ。

 だって。


「あらゆる全てが、私なんだ」


 そして。


「それはお前たちも同じさ、三鬼子。人を憎んでいるのも、人を愛しているのもお前たちなんだ。だったら矛盾を抱えて行こう。私と一緒に」


 手を伸ばしたまま、一歩踏み出す。

 炎が揺れる。

 構わなかった。

 

「行こう」


 三つの炎に。

 

「一緒に」


 その果てに、何があるのかは分からないけれど。

 それでも一つ確かなことがある。

 

「―――――きっと、楽しいぞ?」







「――――!」


 クリスティーンは見た。

 甘楽は見た。

 いばらは見た。

 マクリアも見た。

 御影の体から、吹き上がる様に炎が溢れ出すのを。

 けれどそれは、もう黒ではない。

 鮮やかな赤。

 燃えるような橙を含む真紅の炎。

 火の粉は瞬く間に広がり、


「おぉ……! おぉ……! エレガントオブエレガント……! EVが……計測不能……!」


 同時、クリスティーンの究極魔法による結界が限界を迎えた『貴風館』に舞う。


「―――綺麗」


 夢見る少女が息を漏らした。

 

『オォォォォォ……!』


 三鬼子が警戒するように、恐怖するように唸りを上げた。

 舞い散る火の粉は花吹雪のようであり、三鬼子が広げていた汚染を焼き払う。


「――――はっ、全く簡単な話だったんだ」


 その中で。

 あらゆる全ての中心に、炎を纏う御影は笑う。


「全てが私だ。悉くが私だ。良いも悪いも無い。正しいも間違いもない」


 フォンが、己の存在を定める為に正しい名を世界に告げたのとは違う。

 トリウィアが、他の世界から欠落を埋め、それまでの己を超越するのとも違う。

 或いはアルマやウィルのように、その万能を以て世界を為すのではない。

 己がやることはずっと同じだ。

 悩む必要はない。

 そんな時間すらもったいない。

 あらゆるものが己だと思うのなら。


「それを自らを以て世界へと証明する―――これが、天津院御影だとな!」


 吹き上がる炎が、御影の背後に形を得た。

 獣だ。

 狗、狐、蛇。

 本体の断片であるが故に精々三十センチ程度の大きさ。

 大きな力を持たず顕現すら曖昧でデフォルメされた二頭身のような彼らに対して、


「誓おう!」


 琥珀が輝き、声が轟く。


「あらゆる矛盾を、あらゆる半端を抱えて!」

 

 それは熱だ。

 それは夢だ。

 それは己だ。


「――――私は私であり続ける!」


 片角が炎を宿す。

 それこそが天津院御影の証明。

 

『――――!』


 三頭が吠え、宙を駆ける。

 御影を中心に軌跡を描いて巡り、


『≪祈りて舞い、誓いて夢に―――我示さん!≫』


 紅蓮が吹き荒れた。


『しゃしゃー!』


 まず蛇が、背後にあった大戦斧と合一し、片刃だったそれに刃を追加した。

 左右対称となり、さらに同じものが柄の反対側にも展開。

 都合、巨大刃四つを持つ両刃斧となる。


『こーん!』


 狐は、御影を包むように衣となって自ら纏われた。

 袷に重なる羽織のように。炎の意匠を残しながら朱と橙を彩る。

 腰に巻き付いた炎は巻き布となり、右が長く、左が短い左右非対称。

 足先はハイヒール、首元の狐毛のファーはどこか王国風の王皇折衷スタイル。

 広がる炎が連続して衣装となり、変身を完了。

 狗は最後だった。

 頭上に跳ねた狗は形を失い、すぐに新しい形を得た。


「―――ふっ」


「あっ―――」


 一瞬、マクリアに視線を送り。

 手にしたのはティアラだ。

 自ら手に取り、角に嵌める様に頂く。

 狗耳を模した姫冠はぴたりと収まり、


『わふっ!』


 銀の髪が炎を宿した。

 髪を炎の赤としつつ、毛先は元の銀を残して広がる。

 輝くティアラと燃えるドレスは、まさしく少女が夢見たプリンセスのように。

 

「――――」


 カツンと、高らかな靴音が響いた。

 腕を振れば長く広い袖が翻り、右の腰布が棚引く。

 琥珀の両目が爛々と輝いている。

 伸ばした手へと、両刃斧が当然のように自ら浮遊して握られに行った。

 振った。

 豪と、熱が舞う。


「ハッ!」


 変身を完了した御影は息を吐いた。

 物理的な高温を発する熱を以て、己の名を証明として告げる。


『――――――≪征花繚乱・朱天ノ焔≫』


 世界が圧倒される。

 あらゆる矛盾を受け止め、それでも尚己であろうとする女を。

 神の力を宿す混血を、きっと誰もが目を背けられない。

 

「三鬼子よ」


『オォォ……!」


 低く慄く獣に対して。

 自らに宿ったものと同じように、御影は手を伸ばした。

 笑みと共に五指を開いて差し出した。


「お前が抱えた絶望も、私が解き放ってやる」


 強く。

 優しく。

 美しく。

 真紅に燃え、神を纏う半人半鬼のプリンセス。


「さぁ――――覚悟は良いか?」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る