フォン――同心協翼―― その1


「沈み屹よ―――アビスの神殿よ」


 ポセイドンが掲げ槍を掲げ、背後に魔法陣が展開されたのをフォンは見た。

 三叉槍が刻印された正三角形の方陣は、直線と鋭角で構成されより電子的要素の強いものだ。

 そこから膨大量の水流が溢れ出す。

 同時、ポセイドンの顔周りのパーツが展開し、顔全体を覆うマスクとなる。

 一瞬だ。

 方陣は数を増やし、広がり、同じように水を吐きだして行く。

 生み出されるのはポセイドンは勿論、相対している自分を囲むように分岐して作られる囲い、

 そして空間の間隙を水が満たして行く。


「これは―――うおっ、まじか!」


 周囲を見回し、この水が地上には落ちないことを確認した時には全方位から水が迫っていた。

 咄嗟に両腕を広げ、減衰の黒風を球状に展開。

 迫る水を押しとどめるが、


「――――うわ、ダメだこれ」


 数瞬の拮抗の後、深き水が全てを満たした。







「がぽっ……!」


 衝撃に、フォンは息を零した。

 呼気は気泡となって水の中に溶けて行く。

 水中だ。

 重く、冷たい深海の世界。

 自身の用いる加速と減衰の奔流は強力だが、流石に膨大量の水圧で全方位から押し潰されると厳しい。

 咄嗟に出したということもあって、減衰風の勢いも足りなかった。

 いや仕方ない。

 加速の白風で脱出もできただろうが、この水が地上に向けられても困るので確認は必要だった。

 魔法陣が出た瞬間に、加速に乗って蹴り飛ばすべきだったかなと反省しつつ、


「―――俺は、友達がいないのではない」


 水中ながら、声を聴いた。

 顔面を背のバックパックとチューブでつながったマスクで覆った彼の声は、この深海の世界で尚通常通りに届く。


「俺の≪海遷惨冥ネプトゥヌス・サンクチュアリ≫は単なる水の生み出し操るのではなく、この冥海を生み出すことこそ本質」


 いいか? と海神は語り掛け、


「即ち、どこであろうとこの水中戦を強制させることができるのだ。常に俺に有利なフィールドで戦える。だが同時にそれは仲間にも同じこと。水中戦に特化しているのはオレだけだからな」


 つまり、


「俺に友達がいないのではなく、能力の都合上一人で戦っているだけだ――――分かるな?」


「――――」


「………………」


 じろりとマスク越しに睨まれてもちょっと困った。

 水中なので気軽に口を開けない。

 ただ、思った。

 ――――こいつ、なんかペラペラ能力解説してくれた上によく分らない言い訳を始めたな、と。

 どうしたんだろう。

 変なこと言っただろうか。

 さっきの適当な軽口にマジレスしてるのだろうか。

 真面目なのか?

 或いはそういう性格だろうか。

 だとしたらちょっと悪いことをしたかなとも思うが、しかしこいつは敵だ。

 なら、


「―――――いや、そんなの知らないけど」


 口周りに僅かな空気スペースを作り出し切り捨てる。

 水中での呼吸確保の魔法だ。

 難度としてはそこそこ簡単であり、種族的に魔法が得意ではないフォンでも可能なもの。『気化』系統によって呼吸に必要な酸素を供給する。

 ただし、純粋に酸素のみを作り出すのはあまりよくないらしく、吐いた空気と上手く循環させる術式の系統バランスを組むのは難しいらしいのだが、


「……トリウィアに感謝しないとね」


 貴重な空気を消費しながら、けれどこれは言葉にしないといけないものだろう。

 彼女が作った風系統による呼吸確保魔法をそのまま流用することでその難易度はクリアだ。

 このあたり、魔法が苦手な獣人族でも使える様にするのだから彼女は凄い。

 超高度で呼吸を確保する魔法は普段から無意識に発動しているのでそれもあるが、やはり感謝するべきことはしておく。

 感謝した。

 

「――――」


 だったら不要な口は閉じる。

 だったら、


「――――!」


 後は、行くだけだ。







「―――!」


 冥海にありながら、それでも陽鳥が翼を羽ばたかせるのに対し、ポセイドンは内心驚きを得る。

 水中と空気中では何もかもが違う。 

 物理的・科学的な話をするなら深海とは水深二百メートル以降を指し、以降その深度によって圧力は加算されていく。それだけの水圧だと人間は体よりも先に肺が潰れて絶命することになる。

 もっといえば、


164:ポッセー

 知っているか? そもそも浅瀬だろうと深海だろうと体の動きやすさと言うのに変化はないんだ。

 この場合、物理的に言うなら抵抗というのは生じた摩擦が空気や水の圧力によって押し付けられることによって抵抗が増減する。

 水ならばその水量ではなく、その粘性で計算するべきなのだ。

 水圧が高い=動きにくいというのは勘違いでな。

 そして浅瀬だろうと深海だろうと水自体の粘性は変わらないだろう。

 だから、深度に問わず粘性抵抗も同じなわけだな。

 深海における危険性というのは水の抵抗値ではなく、その深度に由来する全方位いからの圧力なのだ。

165:ドクターH/エイチ

 急に、なん、だ?

166:クッキングゴッド

 ははははは! ポセイドンは急に喋りだすからびっくりするな!

167:超☆忠☆義

 知っているぞ。コミュ障というやつだな。

168:クッキングゴッド

 そう言ってやるな! 珍しく長文……というかこのスレッドとやら使いほぼ始めてのまともな発言だ、反応してやれ!

 アルテミス、どうだ!?

169:狩人番長

 理不尽な悪魔女と戦闘中だよ馬鹿集中しとけ!!!!!!



「――――」


 せっかく学んだ知識を披露したのに相手にされなかった。

 悲しい。

 この決戦に際して、≪偽神兵装≫に備えられた通信機能――転生者同士のネットワークを模したものらしい――をやっと有効利用できたと思ったのに。

 いずれにしても、ポセイドンの≪海遷惨冥ネプトゥヌス・サンクチュアリ≫は超科学の補佐した魔法によって生じた一種の結界だ。

 直径百メートル、楕円形の巨大水球。

 厳密の深海の物理法則を適応させるとポセイドン自身も如何に魔法と科学の補助があったとして、粘性抵抗はともかく水圧によってもまともに動けなくなってしまう。 

 故に現在展開している冥海は、魔力によって構想された仮想海。

 実際の深海のような水圧はないが、それでも常人ならばまともに身動きが取れないであろう単純な荷重が全方位からかかっている。

 ポセイドンの着こんでいるボディスーツや各部位のスクリューパックはそれを無効化しており自分は自在に動けるが水中と荷重という二重の負荷を相手に押し付けるのだ。

 だが、


「っ―――!」


 比翼は、この冥海において尚羽搏きを止めなかった。







 フォンは羽搏きながら、その仕組みを変えた。

 正名状態において、その翼は光の粒子が集う奔流が結果的に翼の形を得る。

 だが、この冥海においてその形を定めたのだ。

 薄く、長く、纏りを持たせつつ背後に流す。

 加速の白の上から減衰の黒を重ねて、だ。

 白は当然ながら移動の高速化。その上の黒は掛かる負荷の減衰。

 自己加速と負荷減衰の黒白を螺旋状の風帯とすることで前進への推進と為す。

 翼の形状を薄長い一定の形に保つのは水中での抵抗を減らす為に。

 全身と対の翼で一本の鏃のようにして行けばいい。

 行った。

 

「比翼……!」


 遠く、けれど届くのはポセイドンの声。

 驚く様な、噛みしめるような呼びかけに答えるつもりはない。

 空気がもったいないからだ。

 何か妙に会話がかみ合わないし、お喋りは止めといたほうが良い気もする。基本的に自分は誰とでも仲良く話せる方だからちょっと新鮮だ。

 

「―――!」


 ポセイドンが、腕を振った。

 直後、背後から水流が新たに生み出される。

 数は五。

 海流が棘となって、螺旋を描きながら襲って来る。

 フォンは迷わなかった。

 思考すら挟まない。

 ただ、


「……!」


 前に出る。

 はっきり言って速度は出ていない。

 正名時の機動と比べれば止まっているようなものだが冥海の今は仕方ない。

 迫る海棘はこちらを掴むように突き刺す動きだ。

 異能による支配のせいか、周囲とは濃淡が濃く、目視で動きが見える。

 だから、避けるだけだ。

 体を回し、白風を追加で放出。

 その先は自分の体と、


「―――っと」


 海棘へ。

 想定されている以上の加速を得た海棘は速度が暴走し、生まれた隙間を縫う様に滑り抜ける。

 端から見れば、フォンが海棘をすり抜けたようにしか見えないだろう動きだ。


「――!?」


 事実、ポセイドンは自分の攻撃が命中したように見えたのに、フォンが飛び出してきたことに驚いていた。

 構わず、


「フゥ……ッ!」


 さらに加速し、その速度を乗せた一撃を一直線に彼へと打ち込んだ。


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