ディートハリス・アンドレイア――青き血の義務―― その3



 その現象を少女は全く理解できなかった。

 だからただ、起きたことを事実としてその目に焼き付いた。

 振り返った背後。

 壁が分解されたのだ。

 正確に言うのなら背後の壁に掛かっていた垂れ幕だ。

 舞台の裏は演劇の為の舞台装置や劇団員の入れ替えをする為のスペースになっており、そのさらに後ろがいわば壁だった。

 そのはずだったのに。

 一瞬、それら全てが小さな立方体に分解され、外の景色が見えた。

 

「――――ローマン! アデーレ!」


 鋭く厳しい声を上げたディートハリスが少女の前に立つのと、立方体が動きを得たのは同時だった。

 立方体同士が集まり、形を得たのだ。

 槍だ。

 それも数十本。

 その場にいた全員を貫いて余るほどの量。

 斉射された。

 

「ッ……!」


 ディートハリスの手が跳ねる。

 手にしていた戦杖に光を宿しながら、指で弾き、回転を生みながら前方に投げる。

 ステッキに宿った光が長さを倍にし、回転しながら盾になった。

 槍の雨が、光の盾に降り注ぐ。


「ちっ……!」


 高速で射出し、人一人を容易く貫通する槍衾の六割はディートハリスの盾がはじき返し、三割はローマンとアデーレがその爪を以て殴り飛ばした。

 残りの一割、数本は、

 

「―――ごほっ」


 ディートハリスの体に突き刺さっていた。


「若様!」


「構うな! すぐに全員を逃がせ!」


「ッ―――」


「――――あーらら。相変わらず甘いわねぇディートハリス様」


 音があった。

 声と靴が鳴る音。

 分解され、空白になった舞台奥から現れたのは女だった。

 長身豊満。炎のような赤い髪、艶めかしい右目元の泣き黒子。

 シンプルなシャツとジャケットにスラックスという出で立ちながら妖艶さを漂わせる。

 彼女を前に、ディートハリスは口元から血を零しながら吐き捨てた。


「…………ヘファイストス! 貴様、逃げ出していたか……!」


「えぇ、勿論。この場の混乱に紛れてねぇ」


 ヘファイストスと呼ばれた女は、ディートハリスをせせら笑い、


「それにしても、そんなにまでなって平民を守るなんて。それが貴方の言ってた貴族の義務とやらかしら? 大変ねぇ、そんな体になってまで」


「ふん……貴様のような誇りの無いものには分からんよ」


 彼は嘆息し、


「――――諸君、全力で逃げたまえ!」


 掲げたステッキから強烈な光が発生した。


「ん―――」


 目くらましの閃光。

 あまりの光量にヘファイストスも目を閉じた。

 だけど。

 逃げられるはずないと、少女は思った。

 こんな状況で動ける訓練を受けているわけではないし、そもそも逃げろと言われて逃げられなかったから劇場に籠っていたのだ。

 恐怖と戸惑い。

 純粋極まりないただその感情が、行動力を奪う。

 少女だけではなく、周りにいる劇団員も、残ってくれていた観客さえも。

 動けなかった。

 なのに。


『≪外典系統アポクリファ≫―――≪我、勇気を以て背を押す者也アンドレイア・プローケーデレ≫』


 声が響いた。


「――――え?」


 なのに、気づいたら足を動かしていた。

 少女だけではなく、その場にいた全員が。

 動いたと気づいた時には、すでに走り出している。

 アデーレとローマンも槍衾によって得た傷に構わず、逃げる人たちを守るように共に駆けていた。

 まるで誰かが背中を押してくれたような。

 まるで心の中で燻っていた勇気に火を灯してくれたような。

 そんな感覚を誰もが共有していた。

 一瞬だけ、少女は振り返る。

 膝をつき、血を流す彼は右手を掲げていた。

 手の甲に槍と盾を組み合わせたような紋章を浮かべながら。

 彼は笑っていた。

 その笑みが、少女の目に焼き付く。

 そして、誰もが劇場から飛び出した。







「…………へぇ、それが貴方の」

 

 ヘファイストス・ヴァルカン。

 かつてディートハリスと共に行動を共にし、しかして裏切り、数か月王国に拘留されていた女。

 本来ならば今日、彼女は各国王たちの前で尋問と処遇が決定されるはずだったが、混乱に紛れて逃亡したのだろう。

 逃げ出した演者や客たちは追わず、形のいい眉を上げて膝をつくディートハリスに問いかける。


「如何にも。我が≪外典血統≫、≪我、勇気を以て背を押す者也アンドレイア・プローケーデレ≫。中々悪くないものだろう?」


 傷口に治癒魔法をかけて止血をしながらディートハリスは苦笑気味に返した

 血統による系統の派生進化。

 ≪我、勇気を以て背を押す者也アンドレイア・プローケーデレ≫。

 

「他対象、複数。行動の命令―――いえ、支援かしら?」


「ふっ……どうだかな」


 合っていたのでびっくりしたがとりあえず笑っておいた。

 ヘファイストスの指摘通りだ。

 複数、最大数百人規模を対象とした精神への『鼓舞』。

 言ってしまえば他人を勇気づける、というものだ。

 それだけと言えばそれだけだが、戦場においてあらゆる精神負荷を超えて肉体の最大効率の発揮と冷静な判断を可能とするというのは非常に大きい。

 アンドレイア家は帝国において軍部を司る故に。

 血筋の中でもディートハリスの≪外典血統≫は大人数に特化した異能である。

 これによってこの劇場に辿りつくまでも、片っ端から民衆に対して『鼓舞』を行い、避難を手助けしていたし、だからこそ帝国皇帝レインハルトも自らの下を離れることを許した。

 だが、問題はとディートハリスは思う。

 対個人においてはあまり向いていない。

 さらに言えばこの≪外典血統≫、自分を対象にはできないのもちょっと問題がある。

 

「…………ま、己の心くらい、自ら奮わせろということか」


 苦笑し、立ち上がる。

 最低限の止血は済ませた。


「よかったのかしら、1人だけ残って。貴方の奴隷にも置いてかれたけど」


「無論だ。優先すべきは彼らだからな。アデーレとローマンには避難を命じ、それに応えた。それから、二人は奴隷ではないよ。契約と報酬によって成り立つ雇用関係だ」


「ふぅん、相変わらずご立派ですこと」


 けれど、と女は笑う。


「この状況よ。どうするのかしら、私の靴でも舐めてくれる?」


「―――ふっ、確かに俺は他人の靴を舐めることに何の躊躇いもない男ではあるが」


 だがなと、男も笑った。

 

「貴様のような誇りを持たぬ見下げ果てた下衆の足など舐めん」


 握った戦杖を付きつける。


「或いはこう考えよう、お前のような危険人物を俺が引き付けているのだ。むしろ御の字ではないか? 貴様一人と俺一人、聊か天秤の傾きが激しい気もするがその能力は危険だし良いとしよう」


「酷い言い草ねぇ」


 意図的に吐いた毒舌だったが、ヘファイストスは動じなかった。

 むしろにたりと嫌らしい笑みを浮かべ、


「一人、というのは勘違いじゃないかしらぁ」


「――――!」


 振り返り、気づく。

 観客席に男と女がいることを。







 先ほど崩れ落ちてきた瓦礫の中。

 無事だった観客席に二人。

 水色の二尾髪に三白眼と鋭く並んだ歯を持つ女。

 蜂蜜色の髪と伸びた背筋の男。

 女は右の、男は左の前髪がそれぞれ長い。

 どちらも同じ仕立てのスーツ姿であり、女はブラウスだけ、男はネクタイとベスト姿。

 ≪ディー・コンセンテス≫の兄妹。

 アポロン・ヘリオスとアルテミス・ルナだ。


「おいおい糞兄貴、オレたちにも矛先が向いたぜ?」


 アルテミスは前の座席に足を延ばしてだらしなく座り、どこで拾ったのか観客向けのポップコーンを齧り、


「そのようだ。どうやらヘファイストスの茶番に付き合わされるかもしれんな。めんどい」


 アポロンは背筋を伸ばしつつ、足を組みながら、やはりどこかで拾ったであろうワインを、態々グラスに注いでいる。

 どう見ても観客の姿勢だ。


「……って何してんのよアンタたち! 手伝いなさいよ!」


「えー、めんどいぜ」


「逃げ出したところを合流したのに、そこの貴族を見かけて復讐すると息まいたのはお前だろう? なら自分でやればいいのではないか?」


「空気を! 読みなさいよ! ちょっとは! ドスを聞かせるとか! 他の連中が逃げてたのも無視してたし!」


「別に放っておいても死ぬだろ。外には魔族がわんさかいるしよぉ」


 妙に緊張感のない会話が繰り広げられているが、しかしディートハリスは聞いていて内心穏やかではない。

 この二人が≪龍の都≫を襲った二人組であるということは彼も知っている。

 良くない。

 実によくない。

 顔には出さず、しかし内心頭を抱える他ない。

 正直ヘファイストス一人でもディートハリスの手には余るというのに。

 彼女をあっさりと倒していたトリウィアやウィルが並外れている。

 

「…………楽しい時に済まないが」


 ディートハリスは三人に問いかける。


「君たちで一番弱いのは誰だ?」


「そいつ」


「彼女だ」


「ちょっと!」


「なるほど」


 即答でアポロンとアルテミスがヘファイストスを指を示す。

 ヘファイストスは抗議の声を上げたが、無視されたし、ディートハリスも静かに頷く。

 良い情報は目の前のヘファイストスが一番弱いということ。

 狙い目だ。

 悪い情報は目の前のヘファイストスを倒せる可能性が結構低いということだ。

 ディートハリスは部下を指揮し強化するタイプなので決闘には向いていない。


「…………ふっ」


 困ったのでとりあえず笑っておく。

 そう、それが大事だ。

 ちょっと考えてみれば別にすぐに負けることもないだろう。

 逆に考えれば危険人物、推定この襲撃を行う者達の幹部を3人引き付けているのだ。

 まぁちょっと負担が重い気もするけれど。

 その分人々が辛い思いをしなくて済むかもしれない。

 こういう時の為に、自分は高度な教育と訓練を受けていたのだから。


「いいだろう! ディートハリス・アンドレイア! お前たち三人相手してやろうではないか! 言っておくが私は! 仲間がいれば結構強い!」


「あ? オレらも入ってる?」


「仲間いないではないか」


「本当の所はどうなのかしら?」


「死ぬ気で頑張ってお前たちを良い感じに足止めしたら! 誰か助けに来てくれることを願っている、切実にッッ!」


「人生で最も格好悪い啖呵でしたが、まぁいいでしょう」

 

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