ディートハリス・アンドレイア――青き血の義務―― その1
劇場は断続的な揺れに襲われていた。
王都北西、その中心部寄りの歌劇場だ。
主にオペラや舞台劇が公演され、貴族たちにとっては社交場になるような場所でもある。
防音が施された巨大な直方体の箱、というべき建物。
普段は高雅な歌と優雅な演技を見ることができるはずの舞台は、
「ど、どうすればいい……!?」
「ここに立て籠もっていいのか!? 衛兵は何をしている!」
「外で守ってくれているさ! だけど……魔族の数が……!」
壇上の手前。観客席の最前列に十数人の大人たちが焦りの汗を浮かべながら言葉を交わしていた。
舞台上にいるのは女や子供、それに老人。
半数は劇場の出演者であり、半数は観客でもある。
「……初動が良くなかったな。よもや襲撃が始まったと同時に歌姫の声に聞きほれているなど……」
「仕方あるまい、春の新作。それも今日この日に合わせたものだ。舞台以外に意識を持っていくのはな……」
「微かな振動や最初の魔族の知らせに飛び出して行った者達はどうなったか……無事にシェルターや騎士団の詰所に辿りつけられればいいのだが」
「なんてことだ……我々は歌劇至上主義故にここで果てるのか―――――それも悪くないかもしれんが」
「縁起でもないことを言うな!」
話の1人が叩かれた。
彼らは観劇に来ていた貴族たちだ。
会話に上がった通り、劇場内の人々は襲撃開始の時点で動きが遅かった。
高い防音性により、外の状況が伝わってくるのが遅れたのだ。
真っ先に出て行ったのは逃げるためか、或いは勇敢にも魔族と戦いに行こうとしたのか二択でありそれが大半。
僅かに逃げ遅れたのは、素早く動けない老人や純粋に状況判断が遅れた演者たち。
それに、
「―――だが、彼ら彼女らを見捨てるわけにはいかん」
誰かが呟き、誰もが重々しく頷いた。
残った者達はこの劇場の常連達だ。
時に恋人と、時に妻と、或いは家族や友人と。
新作の度に初日に観劇し、その後も数度訪れる筋金入りのファンたち。二十を超えた若者もいれば口元にひげを蓄えた中年までいる。
「どうだ、むしろここを避難場所にするというのは」
「難しいだろう。外の魔族が多い。あと、音が響かなさ過ぎて危機を察知しにくい。逃げるならばシェルターが良い。まぁ、シェルターの次点としては……無くもないのだろうが」
「出入口は魔法で封印しましたが、持たないでしょうか。それなりの強度はあると思うんですが」
「若いのは知らんか? 魔族は最初の方倒した小型以外にももっと大きいのも出るんだ。上級とか大型とか呼ばれてたが……それだと厳しいだろな。衛兵でもだ。騎士団や『二つ名』持ちが必要になる」
「館長、なんか武器になりそうんなのないか? 残った俺たちは通常の魔族ならなんとか倒せるくらいなんだが……」
「はぁ……そうは言われましても所詮劇場ですし……今日の講演で初披露させるはずだった人間大砲くらいしか……それも大きくジャンプできる程度のものですし」
「………………なに? そんなの使うのか、誰を射出するんだ」
「そっちの隅にいる金髪の子です。まだ幼く端役ばかりの子役ですが……」
「なんと!」
歌劇ファンたちの反応は劇的だった。
舞台上の端で縮こまっていた少女は突然自分の名が上がったことに肩を震わせる。
「彼女は……そうだ、秋にデビューした子だな。その時は踊り子Cだったが」
「だがまさか新設備の披露を担うとはな……大きくなった……」
「私は最初から伸びると思っていましたよ」
「嘘つけ……!」
「なんだと……!」
言葉を交わしていた二人の間に軽い取っ組み合いが発生し、
「そんなことしてる場合じゃないだろ!」
周りが叫んだ瞬間だった。
「―――――あ?」
天井が崩落した。
●
「きゃああああああ!?」
絹を裂く様な響きを新人歌手見習いの少女は上げた。
良い日になるはずだった。
これまで主役の後ろで歌うだけだったが、春に入り新作ではちょっとした役を貰うことができた。といっても、歌のクライマックスで人間大砲で打ち出されながら歌声を伸ばすというよく分らない役だったが、自分だけの役には間違いないので良いとする。
冷静になると良く分からないし、案を出した演出家はちょっと頭がおかしい気もするが。
それでも役は役だ。
張り切っていたのに魔族の襲撃。
そして、
「天井の瓦礫が!」
誰かが叫んだ通りに。
防音設計となっているために劇場は全面が分厚い石造りであり、音が反響するような半円状の天井だ。歌劇場故に装飾も多い。
それらが一息に落ちて来た。
「いかん、防護を!」
残った観客の誰かが叫び、それに続いて頭上に魔法陣が浮かぶ。
大小含め、様々な瓦礫の破片が降り注ぎ、展開された防護障壁が受け止める。
だが、全てを防げたわけではなく、
「きゃあっ!」
いくつかの大きな瓦礫が観客席に、障壁を潜り抜けた小さな破片もまた舞台上に降り注いだ。
痛みに叫ぶ声がいくつか上がる。
「あ、っつ……!」
少女もまた小さな破片が足を裂き、血を流していた。
急所や顔でないだけ良かったと咄嗟に思ったのは役者としての根性だろうか。
同じように怪我をしたのは数人で、致命傷のような大きな傷を負ったようなものはいなさそうだ。
けれど問題はそこではない。
どうして天井が崩れたか。
答えはすぐに。
「こいつは、さっき言っていた……!」
「不味い、大型だ……!」
空いた穴から顔を覗かせるのは瘴気を纏う五メートル近い猿型の魔族だった。
穴に手を掛けた手は大きく、それを以て天井を砕いたことが良く分かる。
顔らしい顔は無かった。
怪しく光る赤い相貌と口らしい陥没があるだけ。
明らかに、この世に生きるものではなかった。
「ひっ……!」
少女の喉が引きつる。
まだ10になったばかりの彼女に対するあまりにも明確な死の具現。
少女だけではなく他の演者も、客たちもそれを感じていた。
時間が止まる。
目に見える死を前に、思考が止まり、
「――――やれやれ、人のお気に入りの劇場を何だと思っているのか」
死に、光が差し込んだ。
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