パール・トリシラ――昼と夜の下に―― その1


 その日、王都の民が見た異変は頭上に展開された巨大な魔法陣だった。

 都市の全域を覆うほどの巨大な魔法陣が現れたと思えば、莫大な光が弾けた。

 成層圏から飛来したテュポーンのブレスをアルマの星図魔法陣が受け止めたものによるものだ。

 次元世界最高の魔術師のそれは王都一帯を蒸発させるだけの破壊を完全に受け止め、空気の震えさえも生み出さなかった。

 次の瞬間にはアルマはル・トの召喚と同時に自分たちを位相空間を転移したので、世界が光に包まれたと同時に終わっていたことになる。

 魔法陣が生まれ。

 光が全てを包み。

 全ては元通り。

 誰もが一瞬の白昼夢とかと思うような連続で。


 ―――――直後、王都の城壁が轟音と共に崩壊した。


 北、南西、南東。

 王都アクシオスを三角形で結ぶような配置で、都市を守るはずの城壁が粉砕される。

 

 北では角を持つ三つ頭の獣が。

  

 南西では、鋭利な顎を持つ大百足が。


 南東では瘴気に身を犯された三体の龍が。


 一体一体が家屋一つ分ほどの巨大さとその十倍の破壊を生み出す暴虐が人の都へとなだれ込んだ。

 そして。

 迫る危険はそれだけではない。

 城壁の破壊は三か所。

 それとは別に、街のあちこちに滲む影があった。

 浮かんだ影は瘴気を生み、いくつかの形を取る。

 動物であり、魔物であり、瘴気で構成された生き物だった。

 一匹や二匹ではない。

 無数、と言っていい数が数十秒足らずで生まれ出る。

 その存在に対し、反応は二分される。

 なんであるか分からず、現状を理解できない者は未だほとんどが二十歳程度の若者たち。

 逆に瘴気の怪物たちを目に、稲妻に撃たれたように驚愕したのは彼らよりも歳を重ねた者達だった。

 そのうちの誰かが叫ぶ。

 

「――――魔族だ!」







「な、なんだよ……!」


 王都南西。

 冒険者の少年は現実が受け入れられずに声を漏らした。

 遠く強固なはずの城壁を破壊した大きな百足のようなバケモノに、それに付き従う様に出現した瘴気の生き物。

 少年は見たことがなかった。

 彼は王都に来て見ていたのは夢と現実だった。

 王国の小さな村で久方ぶりに生まれた十系統保有。もてはやされて自分なりに鍛えたがそれでも名高き王都の魔法学園に入学することは叶わなかった。

 だから王都に来て冒険者になって一旗上げようとし、現実を突きつけられる。

 冒険者なんて言ってもやることは日雇いの労働者であり、何でも屋だ。広い街で流通の中心なので街の清掃から他の街への交易の護衛等もあるが。単発の仕事が続いているのには変わりはない。

 輝く様な未来が待っている魔法学園の生徒たちを横目に、地道な日々を過ごすばかり。

 そんな少年のような者は珍しくない。

 魔法学園を夢に見て、しかし敗れた若者はいくらでもいる。

 そして今。

 見ているのは現実か―――或いは悪夢だろうか。


「きゃあああああ!」


 絹を引き裂いたような悲鳴は一つだけではない。

 恐慌と驚愕は連鎖し、伝播する。

 目に見えた危険はやはり瘴気の怪物、魔族だった。

 目の前にいるのは人間大サイズになった、蟻や蟷螂、蜘蛛のような虫の形を持つもの。六本の足と胴体にはそれぞれ刃のような角があれば、鎌のような前足がある。

 それが軍勢となって街へなだれ込む。


「そ、そんな、どうすれば―――」


 少年は動けなかった。

 けれど魔族は迫ってきた。

 

「ぎゃああ!」


「ま、待って、置いていかないで――!」


「せめてこの子だけでも助け……!」

 

 逃げ惑う人々は声を上げ、しかし容赦なく蟲たちがその命を刈り取る。

 角で腹を貫かれ、鎌で胸を裂かれ、顎が頭を食らう。

 ほんの少し前まで活気に満ちていた町の一角があっという間に地獄絵図へと変貌していた。

 

「あ、あ……あぁ……!」


 少年は動けなかった。

 目の前の惨劇に思考が追い付けなかったから。

 魔物と戦ったことはある。

 だが魔物とは魔という言葉が付いている通り、魔法を使える動物のことだ。

 こんな瘴気を発し、それでいて生命を感じさせないものではない。

 変わらず動けず、どころか震えるだけで。

 迫って来た虫型魔族が振り上げる鎌のような前足を見ているだけだった。


「―――何をしとるか!」


「!?」


 瞬間、少年は誰かに掻っ攫われた。


「こんな時に呆けておるとは死にたいか!」


「っ……あ、アンタは……!?」


 少年を担いで飛び退いたのは知り合いの老人だった。

 行きつけの食堂で日がな一日酒を舐めるように飲む、ぼんやりとした昼行燈。そんな彼がかつてない鋭い目で、声を上げる。


「魔族が出たらシェルターに逃げる、そんなことも知らんのか!」


「しぇ、シェルター……? そんなのあんのか……?」


「かっー! これだから若いもんは! とっと逃げい!」


「じーさん、アンタ一人でそんな……!」


 言って気づいた。

 少年を庇う様に現れたのは老人だけではない。


「小僧、詰所だ詰所。衛兵の詰所の地下にゃこういう時の為のシェルターが街のあちこちにあるんだよ」


「二十年前に作られて、結局使われなかったからなぁ。知らなくても仕方ないのか? けどガキだって知ってるだろ」


「王都出身ならそうでしょうがね。地方から出て来た若い子は知らなくても無理はないでしょう」


「おーい、まともな武器持ってきたぞ! 鍋やら棒切れ振るうよりはマシだろ!」


 大通りで八百屋や武器をやっている男たちがそれぞれ前に出た。

 普段、普通の日々で、普通の生活を送っている者たちはしかし魔族を前にしても落ち着いていた。

 彼らは皆、四十を超えた中年から老年になる男たちだった。


「なんでそんなに落ち着いて――」


「ふん、若造じゃのう」


 鼻を鳴らす老人は数打ちの長剣を握る。

 その姿は妙に似合っていた。


「お主のような若輩は王都に夢見て来たんじゃろうが―――わしらのような老骨は、戦うために来て、戦いが終わったが故にこの街にい着いたのじゃ」


「おいおい団長! 俺らはまだだいぶ若いだろ! 五十だぜ! せいっ!」


「私はまだ五十超えてませんが……はっ!」


「やかましい! 大して変わらんわ! あと元団長じゃ! 今は宿屋の酒舐めおじいちゃんじゃ!」


「それもそれでどうかと思う―――がっと!」


 言葉を交わしながら彼らは迫る魔族に対し連携を取りながら倒して行く。

 老人でさえ、驚くほどに機敏な動きで剣を振るっていた。

 魔族の襲撃に、普段は店の親父という人たちが戦っている現状にまたもや少年の思考が止まり掛け、


「おい、小僧!」


「は、はい!」


「ミリアとハリーに伝えてくれ。愛してるってな。嫁と息子だ」

 

「―――」


「あ、俺も頼むわ。ミディとフォーン、それに子供たちにもな。せっかく嫁さん二人でウハウハだったのによ」


「私はハロルドに。……まぁ彼も戦っているかもしれませんが」

 

「おめーせっかく帝国からこっちに移って法律的にも結婚できたのになぁ」


「仕方ないですね」


「―――あ、あんたら」


 そんな、遺言みたいな。

 なんてことを思いながら理解してしまう。

 みたいなではなく。

 遺言なのだ。

 彼らはこの魔族たちの群れに立ち向かう。

 死ぬと分かっていても。


「小僧」


「じ、爺さん、アンタも――」


「いや、わしはいらん。言うべき相手は先に逝っちまったからの」


「―――」


「逃げるのじゃ。詰所の下、シェルター。そこなら衛兵やら騎士団やらがいるはずじゃ。あっちの大物はサンドワームだから地下のシェルターも安全ではないかもしれん。やつらは大地を掘り返すからの。なるべく足止めするとだけ、シェルターの責任者に伝えい」


「で、でも――」


「やかましい! 行けっ!」


「……!」 


 言葉は有無を言わせなかった。

 そこにあったのは決意なのか諦観なのか分からない。

 ただ余りにも重い何かに突き飛ばされるように少年は走り出した。


「っあ、あ、あああああああああああ!!」


 喉から声が溢れ出す。

 言われた通りに一直線に。

 背後から野太い声と何かが何かを切り裂き、断ち切る音。

 そんなものが、街のあちこちで生み出されていた。

 子どもを庇おうとする母親も。

 自分よりも幼い子供も。

 魔族を食い止めようと武器を手に取る誰かも。

 どこからか沸き上がる魔族が逃げ惑う人々を殺し、それに抵抗する人々が武器や魔法を振るう。

 駆け抜けながら少年は見ていた。

 魔族。

 親から聞いてた言葉の意味を知る。

 人類の敵対者。

 倒す為に全ての国が力を合わせなければならなかったバケモノ。 

 少年が生まれる前に滅ぼされ、人々からその記憶が消えて行こうとしていたはずなのに。


「くそっ……くそっ……なんでだよ……!」


 吐き捨て、走り、涙が滲み。

 果てに、老人に言われた詰所に辿りつき。

 少年は見た。


「くそっ! なんとしてもここで食い止めるんだ!」


「不味い、エレンがやられた! 誰か後方に!」


「ダメです、下がってください!」


「いやぁー! まだ私の子供が外にーっ!」


 また新しい惨劇を。

 詰所は並ぶ建物の角にあり、三階立てのそれなりに立派な石造りだ。

 これでも王都のあちこちにある衛兵の詰所としては平均的な、或いは少し小さめのものであるという。

 衛兵たちは戦っていた。

 多くの虫型魔族に囲まれながら。


「……そ、そんな」


 どう見ても魔族の方が数が多い。

 5人ほどの兵に20体近い魔族が群がっている。

 鎧を纏い、剣と魔法を振るう衛兵たちは勇敢に戦い魔族を倒して行くが、そのスピードが追い付いていなかったのだ。

 怒号と悲鳴、魔法の発動音が木霊する。


「こんなの、どうすれば―――」


 絶望を口に漏らした瞬間だった。


『―――雨は火天の槍が如くアグニ・マハートミャ


 炎のように苛烈に。

 流水の矢が全ての魔族を貫いた。

 そして気づく。

 詰所の屋根の上。

 カラフルな布で構成された聖国の儀礼服を纏い、弓を握る少女がいることを。

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