天津院御影――呪いと見栄―― その1
「あれ、御影何してるの?」
「ん、フォンか」
バインダーを片手に学園を見回っていた御影はフォンを見た。
学園に8つある模擬専用闘技場の内、第四からちょうど御影が出て来た所だった。
第四闘技場は正方形の壁面に囲まれた岩場と荒野を再現した戦闘場であり、主に土系統の魔法訓練を目的とした場所だ。
朝、学園長への試験説明に同席して以来の妹分を目にいれ、
「……ってなんだその上着」
思わず怪訝な顔を浮かべた。
「いいでしょー、これ。マキナに貰ったんだ」
ポニーテールを揺らしながら背中を見せたフォンは制服のシャツ。トレードマークとでも言うべきマフラーに加えて見慣れない上着を羽織っていた。
妙な光沢のある素材、袖は白く、胴体は黒。
その背にはやたら凝った金の刺繍で不死鳥が描かれている。
袖や裾の部分が絞られている造りも含めて、初めて見る形の上着だ。
王都では他の国や街では見慣れない服装が多く、御影も皇国の皇女として流行は耳に入れているつもりだが、それでも知らないものった。
少しサイズが大きいのか、手の甲まで袖が伸びている。
「スカジャンって言うんだって。ほら、まだちょっと寒いし、いい感じの上着欲しいって言ったらトリウィアの楽器のついでにもってきてくれたんだ」
「ふぅむ。スカジャン? どういう意味だ?」
「さぁ。ヨコスカジャンパーって言ってた。ジャンパーはジャケットだと思うけど……ヨコスカ? が分かんない」
「ふぅむ。またぞろ別のアースの言葉かな? 後でアルマ殿に聞いてみるか。着心地はどうだ?」
「けっこー良い! 私はこういうゆったりとした感じの服が好きかな。しばらく使おうかなと思ってる。御影はいつもぴっしりと制服着てるよね」
「まあな。郷に入っては郷に従えというのが私の信条だ」
フォンは制服の第二ボタンまで外し、ネクタイも付けていない着崩したスタイルだが、対照的に御影はネクタイは勿論第一ボタンも留めた一切隙の無いスタイルだ。
制服は規定のものもあるが、そもそも多種族が集う学園であるし、それぞれにアレンジすることも禁止されていない。
ウィルのように肩幕を付けることもあれば、アルマはジャケットの代わりに季節を問わず――温度調整の魔法が付いているらしい――赤いコートを。アレスなんかは制服の色を染めている。
別段珍しくもない話だ。特に王国は服装のバリエーションが豊富なので、在学中に気に入ったものを自分の国に持ち帰ることが多い。
その中でも改造に見本通りに着ているのはやはり珍しかった。
「服で言うなら、昔のフォンとは思えないお洒落ぶりだな? こっちに来た頃はかたくなに半袖半ズボンだっただろ」
「へへっ、そう言われると恥ずかしいな」
彼女は苦笑し、
「ま、ほら。私も色々変わったってことで」
恥ずかしそうに、けれど誇らし気に笑う。
「ふむ。確かにな」
同じように御影も微笑んだ。
変わったのは服装のことだけではない。
フォン・フィーユィの心も。
「人は変わる、皇国の美しく移ろう季節のように。お前は今まさに、秋を迎えているわけだ」
「秋? なんでまた」
「命が最も育まれるのは秋ということだな」
「んー? あー……言われて、見ると? 分かんないこと言う時のパールみたい」
「わはは、私だって皇女だぞ。忘れてもらっては困る」
「いや、それは忘れたこと無いけど……」
何故かジト目で見られてから、フォンはスカジャンの肩を竦め、
「御影は変わらないね、ずっと」
「―――そうか?」
「うん。会った時から、強く優しく美しく。無敵のお姫様って感じだ」
「ふっ……褒め言葉として受け取っておこう」
「これで貶すのは無理があるでしょ……」
「くくく」
妹分から褒め言葉は悪い気分ではない。
ただ。
「―――そうか」
空を見上げ、息を吐いた。
少しづつ夕日が傾きつつある空だ。
変わらない、というのも奇妙な話だなと、御影は思った。
ウィルも、アルマも、トリウィアも、フォンも。
みんな出会った時とは違っているのに。
ウィルは周りに壁を作らず自分の幸福に我儘になった。
アルマはこの1年で様々な表情を見せ、この世界に溶け込んでいった。
トリウィアは知りたくないことを知った。
目の前のフォンは、言うまでもない。
自らの翼と心を結び、己のあり方をあるべきものとした。
なら、自分はどうだろう?
天津院御影はこの学園に来て何が変わったのだろうか―――?
「……ふむ。そういえばフォンは何を?」
「闘技場にね。最近拳法真面目にやってるから付き合ってもらおうと思って」
「ほう? 誰と?」
「それは」
「だーれだっ!」
「ぬわ!」
「おっ」
御影は意外そうに整えられた眉を上げた。
警戒していなかったとはいえ、御影は勿論フォンにも気づかれずに近づいていたからだ。
その人物はフォンの背後から両手で目を覆い隠している。
赤と青のメッシュカラーを入れた金髪のサイドテールに羽根飾り付きのシュシュ。パーカー風にアレンジされた聖国風の衣。
誰かは言うまでもない。
「もー、びっくりするでしょパール!」
「へへっ。脇が甘いねー、フォンち!」
振り払われながらもからからと笑うパール・トリシラだ。
肩に背負った麻袋からは訓練用の短い木刀が二つ覗いている。
「なるほど、パール先輩とか。水臭いな、私にも声をかけろよ」
「いやー、御影もウィルさんも最近忙しそうじゃん」
「ちょいちょいフォンち、まるで私が暇みたいじゃん?」
パールはつんつんとフォンの頬をつつき、
「――――ま、暇だけどね! もうあと卒業するだけだしぃ!」
朗らかすぎる満面の笑みだった。
「頼んどいてなんだけどテンションが高すぎる……」
「いやだって卒業したら国に帰って頭の固い旧体制たちを頭の固すぎる無粋なハゲと一緒に政治に明け暮れないといけないからテンション爆発させないとキツイよ」
「世知辛すぎる……」
「そんなもんだぜー、学園生なんて卒業したら引っ張りだこだぜー? だぜー」
「内容以前にノリが鬱陶しすぎる……」
「というかフォンち、スカジャン来てるじゃん。お洒落目覚めてるとは思ったけどまさか最先端とはやるね……!」
「え? 知ってるの? これ流行るの?」
「まだちょっとしか出てない市場に出回ったら多分跳ねるよー。肉体労働の人とか騎士団の人とかに。王国の服は布量少ないけど装飾は面白いし、何より機能性が高いからねー」
「へぇ……」
流行に敏感な彼女パールが言うのならそうなのだろう。
問題はマキナ自身はこんな服くらい、なんて思ってあまり売ることを考えていないということだろう。
市場に少し出たのはマキナとアレスの友人である雑貨屋喫茶≪
勿論そんなことはフォンも御影も良く知らないので、
「ふぅん。…………御影?」
「うん? どうした」
「……えーっと。あー……ほら、結局御影は何してたの?」
「おー、そうじゃん。どしたん、ミカちゃん?」
「なに、大したことではない」
肩を竦めて、手にしたバインダーを掲げる。
挟まっているのは学園内の詳細地図であり、既に建物の一部にチェックとメモがある。
「入学試験でも各闘技場を使う予定だろう? 合わせて建物の状態をな。ウィルがここの長になるんだ、新参物が家の内装にケチを付けられて、私の未来旦那が見くびられては困る」
「おー、さすがミカちゃん内助の功」
「あれ? そういう学内の整備、業者に依頼してなかったけ? 試験準備の時に言ってたよね」
「したぞ? だからこれはまぁ確認だ。プロに頼んだから仕事を疑っているわけではないが、仕事ぶりを確認するのも私たちの仕事だ。問題があれば修正するし、なければプロの腕に信頼が蓄積し、次も安心して彼らに頼める。そういうことだ」
「ふぅん……なるほど」
何かを納得したのか、フォンは何度か頷き、
「うん。御影は御影か」
●
学園が朱色に染まっていく。
夕方になれば学園の生徒は寮に戻るか、夜の街に遊びに出かけるか、或いは図書館やグラウンド等で修練に励むかだ。
王都の中にある小さな町のような学園は、夜に近づけば一通りは少なくなる。
学園の半分ほどを見回った彼女は、今日はここまでと切り上げて寮へと戻るために足を向け、
「――――っ」
微かに眉をひそめながら踵を返した。
向かう先はなんてことのない建物の同士の隙間。
道どころか路地とさえ言えないデッドスペース。
そこに彼女は体を滑り込ませ、
「っ…………くそっ……!」
背を壁に預け、崩れ落ちた。
息を荒げながらネクタイを解き、乱雑な動きで第二ボタンまで引きちぎる。
薄い褐色のハリのある柔肌の谷間には珠のような汗が拭き上がり、それは全身も同じだった。
震える手で押さえるのは腹部、臍の辺り。
「はっ……はぁっ……!」
臍下から全身に伝う苦痛。
言葉にすれば簡単だが、あの天津院御影が苦悶に喘ぐというのはどれだけのものかは計り知れない。
「……全く、厄介なものだ」
息を押し殺すような呟きは、抑えた腹部。
ボタンを臍下まで外せば露わになるのは赤い下着。
そして――――そこを中心に浮かんでいた禍々しい紋様に向けた。
フォンの持つ刺青のような綺麗なものではない。
解読不可能な皇国の古代文字のような羅列が臍を中心に浮かび彼女の全身を苛ませていた。
瞼をきつく閉じて息を吸い、
「――――いばらか?」
「はっ」
目を開いた時、目の前に鬼族の少女がいた。
学園の制服は規定通りに完璧に。口元を覆う黒い布。黒のおかっぱ頭の右側だけに小さい三つ編み。
額には薄い緑の日本角。
いばらと呼ばれた彼女は御影に傅くように膝をつき、懐から符を取り出す。
「姫様、どうぞ」
「すまんな」
貰った符を臍に乱暴に張り付ける。
描かれた文字がかすかに光を放ち、
「――――ふぅぅぅぅ…………うむ、だいぶマシになった。ありがとう、いばら」
「いえ、姫様の護衛としてこの程度しかできないのが口惜しい限りでござる。……やはり、拙者も≪龍の都≫に同行していれば……」
「くく、残念だが。いばらがいてもこれは流石にな」
御影の護衛、
入学時から御影と共に入学しており、常日頃から彼女の補佐をしているのだが、
「そもそもお前、未だにウィルたちに身分明かさずただのクラスメイトのつもりだろ。流石に無理があるんじゃないか?」
「いえ。拙者は影の身にて。お館様や奥方様たちとは今後距離を取っておくべきだと思うでござる。拙者なりのこみゅにけーしょん、というやつにござる」
「コミュニケーション、な。共通語の発音だけは上手にならんな」
「むむっ……」
「ふっ……ま、いいだろ」
御影にとっては幼馴染――――というか、代々天津院家の護衛を務める童乃家の娘だ。元々混血故に立場が悪かった御影を最初は良く思っていなかったが、物理的に御影がいばらを叩きのめし以降は自分の側近として仕えてくれている少女に苦笑する。
それから符によって『浄化』と『封印』され、紋様が消えた腹を摩る。
「いばら、本国から連絡はあったか?」
「はっ。先ほど届き、連絡に参った次第でござる。…………」
いばらは薄い紫の目を一度伏せ、
「――――三大聖域の封印が破られていたようでござる」
その言葉を告げた。
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