アルマ・スぺイシア――1年の果てに―― その2



「はぁ……」


 学園校舎の屋上、欄干に体を預けながら息を吐く背中がある。

 ウィルだ。

 緊張から解放された故の安堵のものだ。

 数時間前、学園長へのプレゼンを終え、そのまま授業で成績発表があり、終業式があった。

 終業式に関しても生徒会としての仕事があったので半日授業とは忙しかったのだ。

 だから、一通り終えて、彼は珍しく一人で黄昏ていた。

 否、一人なのは、


「やっ、学年一位。お疲れだね」


「……えぇ。少し疲れましたよ、学年一位さん」


 少しの間だけ。

 振り返れば小さく手を振るアルマがいる。

 そのまま手首を返せば、いつの間にか両手にマグカップ。

 砂糖入りのコーヒーと超濃厚エスプレッソ。

 彼女は砂糖入りをウィルに渡し、


「もしかしてお邪魔だったかい? 君にもたまには一人の時間必要かな」


「まさか。……別に、一人でいたいと思ったこと、あんまりないですね」


「それはそれは」


 苦笑しつつ、ウィルの隣に並んでマグカップを傾ける。

 欄干の段差に足をかけ、肩をウィルに寄せる。

 マグカップを欄干において、当たり前のように小さな頭と銀の髪を彼の肩に預ける。

 ウィルもまたそれを受け入れながら自分の頭を彼女に寄せ、その細い腰に手を添える。

 視線は正面で、


「……懐かしいですね」


「ん? ……あぁ、そうか。確かに」


 二人の視界には、学園のランドマークでもある時計塔がある。

 一年ほど前、ゴーティアと戦った場所だった。


「なんか、凄く昔のことに感じます」


「ははは、そうだね。僕にとってもそうかも」


「あの時から成長できてたらいいんですけど」


「してるだろ。今日のプレゼンもかっこよかったよ」


「いえ」


 彼は苦笑し、


「今日もまた、アルマさんに助けられました」


「そうだっけ?」


「えぇ。いつも助けられています」


「そうかい。それはそれで嬉しいけど、君は君で頑張っているよ」


 クスクスと笑いながら、エスプレッソを口に含む。

 二月の風はまだ少し肌寒い。

 けれど二人はだからというわけではなく身を寄せ合い、少しの間コーヒーを静かに啜る音だけが空に消え、


「…………1年の時、1人になるのが怖かったんですよね」


 広がる青を見上げながら、ウィルは呟いた。


「色々な人と出会って、楽しかったですけれど。だから、1人ぼっちだと前世のことを思い出して……それが怖かったんですよ。御影やトリィ、フォンの気持ちもそれで無視してて……今思っても酷いですよね」


「そうでもないよ」


 アルマの言葉は即座だった。

 彼女はウィルを見て、彼もアルマを見る。


「君にはそれだけの傷があったんだ。その痛みを恐れても仕方ないさ。それに」


「それに?」


「今は違うんだろ?」


「……えぇ」


 小さく顎を上げて微笑む彼女に、彼もまた小さく首を傾けて微笑んだ。


「僕は今、幸福ですから」


「―――あぁ、なら良かった」


「アルマさんのおかげです」


 そう笑って、彼が言ってくれるのが。

 アルマはたまらなく嬉しかった。

 そう言って欲しくて、彼女はこの世界で生きることを選んだのだから。

 だから、嬉しくて。

 小さく背伸びをして、


「―――ん」


 唇を合わせる。

 舐めた唇はコーヒーの味がした。

 口づけの後、再び彼の肩に体を預ける。


「……ふふっ」


 それから思わず笑ってしまった。


「どうしたんです?」


「いや、なんというか……自分でもびっくりというか。自然にキスできるようになったなぁと」


「あはは……いや、そうですね」


 ウィルと一緒に苦笑い。

 手を繋ぐだけで、緊張していたころが懐かしい。

 いつの間にか、日々の生活の中で当たり前のようにできるようになった。

 それもまた、アルマにとって嬉しいことだ。

 

 人間としての三大欲求がほとんど消えているアルマ・スぺイシアにとって――――心の繋がりの証であるような気がするから。


「ふふっ」


 これもまた、この1年での変化だろう。

 暖かく、くすぐったいものが胸に溢れた。

 1年でこれだ。

 これから先はどうなるのだろう。

 もう1年、或いは2年後なら、


「…………………………」


「アルマさん?」


「……………………うぅん。ちょっと早いかも」


 唐突な赤面に、しかしウィルは内容を察し、


「……………………ちなみに、どのくらい?」


 ウィル・ストレイト。

 彼もまた男の子なので、どれくらいでお許しが出るかは気になるところである。


「えっ…………………………うぅん」


 あまり想定してなかった答えだったので珍しく、或いは色恋沙汰に関しては彼女らしく汗を流し、


「………………スケベ」


 半目でウィルを睨み付けた。

 それからウィルが恥ずかしそうに空を見上げる姿を見ながら少し考え、


「………………ほら、僕がギャン泣きするくらい傷ついてたら慰めるためにしていいよ」


「……………………」


 それはもしかして一生お預け宣言なのかと、ウィル・ストレイトは真面目に悩むことになった。


 

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