アレス・オリンフォス――boy dream girl―― その1
アクシオス王国王城、フルリヴィス城の最上階には小さな庭園がある。
王都の街を一望できる空中庭園だ。
王家やそれに近しい者、招待された者だけが足を踏み入れることができる一種の聖域だった。
「―――」
赤毛の少年が、足を踏み入れたのは幼馴染の女の子を探していたからだった。
目当ての少女はすぐに見つかった。
彼女はいつも、この庭園で花の手入れをしているからだ。
少年はそれを知っている。
だけど、少女はいつも雰囲気が違った。
「どうしたの?」
恐る恐る少年は少女に声をかけた。
少女は花を愛でるのではなく、庭園の片隅で膝を抱え込んで座っていたからだ。
「…………」
「えっと」
少年は10歳、少女は9才。
彼の方が年上だが、
「…………私は怒りと悲しみに打ち震えています」
「……はぁ」
会話の主導権を持つのは年下の少女の方だった。
幼い少年には理解しきれない難しい言葉を彼女が当たり前の様に使うということもある。
「だってお父様、私を≪七主教≫に預けると言うんですよ? ずっと前から決まっていたなんてことを言って。私のことを政治の道具と考えているのでしょうか」
「…………どういうこと?」
「建国当時から王家の娘は≪七主教≫に預け、信頼を示すと決まっていたんですよっ」
「なるほど」
良く分からなかった。
数年前、義理の父親に拾われて様々な教育を受けている少年だったが、まだ政治や権力に関することまでは聞き及んでない。
「もう……つまり、もうすぐ私と会えなくなっちゃうってことですよ。私はこの城を離れるんです」
「それは……いやだなぁ」
少女は少年にとって数少ない友人だった。
彼の義理の父親は英雄であり国の重鎮でもあるが、拾われた義理の息子である少年に対しての目はあまり良いものではない。
表面的には取り繕っていても、裏では見下されているのが感覚的に分かってしまうのだ。
少女の家族はそうでもなかったが、それでも立場的に気軽に話すのは難しい。
「君がいないと、おれはこまるよ」
「そうでしょうそうでしょう。あなたもお父様に言ってやってください」
「それは難しいと思うけど……」
「むぅ」
小さな頬を膨らませるのは可愛かったけれど。
少年にできることはない。
国と宗教の関係なんて、まだ子供の彼にどうしようもないのだ。
けれど、
「…………」
少年は、少女には笑っていて欲しかった。
「私はこれから、誰かから与えられたものだけを抱えて、誰かの意思のお飾りになって生きるんでしょうねー」
「……なら、さ」
「はい?」
誰か、というのが何を示すかは分からないけれど。
「だったら、おれは君の―――――――」
●
「――――」
古い、夢を見た。
眠気がこびりついた頭はぼんやりとしている。
「…………」
体を起こして視界に広がるのは寮の自室だ。
入学試験の成績の第三席として入学した彼には一人用の部屋があてがわれている。
共同でなくて良かったと、入寮して心から思ったものだ。
誰かと寝室を共にするのは考えられない。
「ふぅ」
ベッドの脇あった水差しから、寝起きの水分を補給し息を吐く。
さらに息を吸い、
「――――よし」
覚醒した意識と共に起き上がる。
床にマットを広げ、さらに完全に肉体を起こす為の習慣を行う。
柔軟。
腕立て伏せ。
スクワット。
天井の縁を使った懸垂。
そして最後に瞑想。
胡坐になって背筋を伸ばした。
「すぅ―――はぁ―――」
息を深く吸い、深く吐く。
目を伏せ、全身の血を巡らせる。
精神を統一させるためだ。
この時だけは、全てを忘れようと努める。
できるかどうかは別として。
「―――」
赤い瞳が開く。
立ち上がり備え付けのシャワーに向かう。
汗を流した後はクロ―ゼットに。
開けば糊の利いた白いシャツと黒のスーツ、黒のベストが並ぶ。
私服のスーツと黒染した学園の制服だ。王都の高級服飾店で仕立ててもらったオーダーメイド。
シャツ、ズボン、ベストの順番の着て、袖にはカフスボタンを忘れない。
腕に嵌めるのは入学祝いに義母から貰った、王都でも珍しい腕時計だ。
一度、洗面所に行き整髪料で赤い髪を整えれば身支度はほとんど終わり。
「…………ふぅ」
紅茶を淹れて一息付く。
朝食は寮の食堂で出るが、その前に自分で淹れた一杯を嗜むまでがアレスのモーニングルーティンだった。
後は寝台に立てかけられていた直刀を腰の剣帯に。
ネクタイを締め、皮手袋を嵌め、ジャケットを羽織り、勉強用具の入ったアタッシュケースを手に取る。
いつも通りの行動。
気づけばもう一年が経とうとしている、アレス・オリンフォスの朝だった。
●
「よう、少年。奇遇だな」
「…………」
1人で寮の食堂で朝食を取り、学び舎に向かうと通学路で声をかけて来たのはツナギ姿のマキナだった。
寮から校舎までは石畳の道と街路樹と花壇が続いている。
眉間を抑え、改めて良く見れば二月初めだから木々は寂しいが花壇には季節の花が控えめに、けれど可憐に通学する生徒たちを見つめていた。
良い景色だ。
改めて見る。
「どうした少年。まだ起きていないのか、なんだ、寝坊でもしたか?」
「…………うぅぅ」
いつもの朝はどこに行ったのだろうか。
目の前には何故か、週末にしか会わないはずのマキナがいる。
次いで言えば時間は早朝で、まだ登校している生徒も少ない。
寝坊なんてしたことはない。
「…………はぁ」
「おっと、こんな爽やかな朝にそんなため息とはどうしたんだ少年。んん?」
「………………」
「おいおい、どこへ行くんだ」
「構内で不審者を見つけたら生徒会に報告義務があるので……」
「誰が不審者だ」
「一人しかいないかど……」
「そもそもそれなら少年でもいいのではないか?」
「俺は生徒会じゃないが?」
「あぁ?」
これ以上ないくらい怪訝な顔をされた。
誠に遺憾である。
なにはともあれ迅速にこの場を離れなければならない。
マキナがなぜいるのかは謎だが、学園の生徒にこの男と知り合いだと噂されたら恥ずかしい。
そう思い一歩踏み出そうとして、
「おぉい、トリウィア。少年が良く分からないことを言っているのだが」
「――――はい?」
木の影からトリウィア・フロネシスが顔を出した。
「………………」
呻き声すら上がらない。
彼女が現れたということ。
なにやらマキナとトリウィアが知り合いということ。
それらにも驚いたが、何よりも彼女の服装だった。
年始から襟足だけ青の髪が伸びており、黒のインナーカラーが追加されている。
ウルフカット、と言うらしい。
なんでも御影がカットと染色をしたという話を聞いた。
改めてなんでもできるお姫様である。
これはいい。
問題は服だ。
トリウィアといえば白衣と十字架のピアスとネックレスが印象的だが。
白いタンクトップに明るい色のデニム、二の腕にはスパイク付きのリング。
ベルトのバックルを目立たせるためか、タンクの裾はデニムに仕舞われていた。
いつもの眼鏡はドロップ型のサングラスに変わり、オッドアイが隠されていた。
心なしか、サングラスが妙に光っている気がする。
もっと言えば、
「なんですか、そのギター」
「ギターですが。かっこいいでしょう?」
ジャーンと、肩に掛けた白いギターが鳴らされる。
確かにスレンダーでスタイルの良い彼女なので何を着ても様になる。
なるのだが、
「………………いや、分かりません。何故?」
「ふふん。少年、ロックと言えばこの恰好だろう。フリンジスーツを着てプレスリーもよかったが、俺はマーキュリーが最推しではな」
「プレ……何が何やら。こんな朝に何してるんだよ。というかフロネシス先輩、何故この人がここに。知り合いだったんですか?」
「私というかウィル君とアルマさんの友人ですよ。というか、アルマさんの義父です」
「どうも、マキナ・スぺイシア。アルマの父です。つまりはウィルの義理の父にもなります」
「………………………………………………嘘だろ」
今世紀最大の衝撃。
全く似ていない。いや、義理というのだから当然なのだが。
知り合って一年間、週末に絡まれる男がクラスメイトの義理の親というのはちょっと情報が重すぎる。
「…………それで、何をしているのですかこんな早朝に」
「おい、現実逃避するな。次アルマに会ったらマキナさんの娘さんと呼んでやれ」
「それめちゃくちゃキレますよアルマさん。それはそれとしてほら、もうすぐ卒業式でしょう?」
「あぁ……ですね」
「ですので、卒業祝いに有志で集まって卒業おめでとうソングでもしようかと」
「はぁ」
「作詞作曲は私。機材提供をマキナさんに」
「はぁ……」
「ふっ……トリウィアが持っているギターも俺が作ったものだ。あとは魔力通すだけで増音できる装置とかな。他の楽器も俺が色々細工した」
「…………売ったのか?」
週末にマキナと会うと良く分からない非魔力式の様々な装置の話を勝手にし始める。それで一商売しようという意気込みはあるのだが、今の所上手く行った話は聞いていない。
「いや。材料費だけ貰った」
「無償はよくありません。物にはものの適正価値を。本当はもっと払うつもりだったんですけど」
「片手間の図面を起こしただけで、俺からしたら大した労力ではない。そんなものに家一軒買うくらいの値段貰われても困る」
「…………なるほど」
そんなこと言っているからあんまり儲かってないんだろうなと思った。
後で聞いたら、材料費以外の金額はアルマに渡しているらしい。
「本当は魔力無しでもよかったんだが、魔力以外のリソースを安定させるのがちと手間でな。俺の溢れる脳髄ならば半永久発電機も作れるんだが、アルマに怒られる」
「あぁ……発電だっけ。雷撃をエネルギーにするのは分かるけど」
アレスが掲げた手の人差し指と親指の間に小さいスパークが弾けた。
「態々電気? として使うのはやっぱり良く分からないな」
「うぅむ、まぁそうなんだよな。電池作ると…………やっぱりアルマに怒られるんだよこれが。ちょっと早いらしい」
「たまに発明品で『できるけどやれない』って言ってたのはスぺイシアさん由来だったわけだ」
「そうだぞ少年。俺は本気を出せば世界を変えられる……!」
「はいはい。せめてもうちょっと安定した利益出るもの売ってから言ってくれ」
呆れ気味に息を吐き、
「ん……なんでしょう」
「いえ」
トリウィアが相変わらずの無表情で、けれど少し意外そうな顔をしていた。
「少し驚いただけです」
「はぁ」
「そうだ。せっかくなら聞いていってくださいよアレス君。まだ途中までなんですけど」
「いや、俺は……」
「おぉ、良いな。俺もまだ曲自体は聞いてなかったんだ。少年、音楽もわりと詳しいだろ? 一緒に評論家を気取ろうじゃないか」
「ふっ……決まりですね。評論家から非難轟轟のロックを聞かせましょう」
「それでいいのか?」
「民衆からは大うけするからいいんです」
「……まぁそれもそうだ」
「………………」
勝手に話が進んで、アレスも巻き込まれている。
思わず眉間を揉むが、しかしこの一年何度も同じことがあった。
こういう時、変に抵抗しても結局面倒なことになる。
適当に付き合って、適当に抜けるしかない。
「そういえば少年が自分は生徒会とは関係ないって言ってたが」
「はい? おかしいですね。補佐枠で生徒会役員を増設するという話でしたけど」
「ちょっと待ってくださいそれは聞き捨てなりませんが!?」
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