アンサー・ミー その2



「くすくすっ……いえ、失礼」


 ぞわりと、アルテミスの背筋が震えた。

 どうしてと言われると困る。

 口元に手を当てて、上品に笑う少女に危険な様子なんてないのに。

 

「生憎ですが、私の国ではありません。、というのが正確でしょう」


 深い海のような青い目。

 暗く、静かで、冷たく。

 深海のような、或いは遥か空の高みか。

 どちらにしても。人が踏み入れられない世界。


「父は私に王座を継がせず、≪七主教≫に明け渡しました。国が宗教を立てる為に。本来与えられるはずのものを受け取れなかったのなら。別に構わないでしょう? ねぇ、パラス」


「ふぁい、ふぇんふぁのひふふぉふぉひふぇふ」


 隣でもっさもっさとチェリーパイをひたすら口に運んでいる騎士とやらは置いといて。

 恨みを語る少女はあまりにも素面だ。

 それは真実のようにも聞こえるし、何もかも嘘のようにも見える。

 相反するものが、当たり前のように同居しているような感覚。

 分からない。

 理解が、届かない。

 理解できないものは恐ろしい。

 

「―――ちっ」

 

 頬に冷や汗が流れるのを感じる。

 最初ほほ笑みを見て、魔性と言う言葉が頭を過った。

 だがそれ以上に、


「アンタ」


「はい」


「…………ママに似てるな」


「くすくす、褒め言葉として受け取っておきましょう」


 微笑む聖女が紅茶を傾ける。

 つられて自分もビール瓶を。


「………………デメテル、お代わり」


 空だった。


「おぉ! 持ってこよう!」


「……ごっくんとな。姫様、パイ要らないのですか? でしたら私が食べますが」


「パラス? 私はまだ紅茶を楽しんでいたのです。お菓子は二杯目と食べるだけです」


「なるほど、流石姫様です。お考えが深い……!」


「…………飲まなきゃやってられねぇな」


「ヒヒッ、アルテミス。まだ完全に、復帰してないから今日は、あと一本だけ」


「マジかよ……」


 長い嘆息がリビングに伸びる。

 今日一の憂鬱な情報だった。


「そういえば皆さま」


「あん?」


「こちらにはポセイドン様とアポロン様もおられると聞きましたが」


「うちのアホ兄貴なら上で寝てる。ポセイドンは……どうしたっけ、あの唐変木は」


「あいつなら釣り堀に行ったぞ」


「はぁ? 釣り堀? そんなんあったか?」


「トレスにあるやつだな」


「…………アホか? アホだったな」


 トレスというのは七つの丘にある街の一つだ。

 それぞれがそれぞれの産業が割り振られており、トレスには小さいが様々な魚が養殖されている。

 それにしたってちょっと釣りに行く、で行くような距離ではない。

 

「くすくす、お魚が好きなお方なんですね?」


「魚、良いですね。私はフライが好きです。鱗もついててパリパリに揚がってるやつ」


 そんな料理は知らない。

 隣の騎士は、今は優雅にお茶を嗜んでいた。

 何度目かのため息を吐きつつ、


「…………面子といえばよぉ、お姫様」


「はい?」


「オレらの主役とは、いつ会えるんだ? オレらは誰も会ったことが―――」


 言葉が途中で止まったのは。

 ヴィーテフロアが笑っていたからだ。

 彼女はずっと笑っていた。

 魂が引き込まれそうな無垢と魔性を両立させた矛盾の笑みを。

 けれど今の笑みは違った。

 頬が引き裂かれたかのように弧を描く。


「大丈夫ですよ」


 彼女は言う。

 震える吐息と共に零れる声には、熱があった。


「アレスは大丈夫です。


 指を振れば、展開されていたホログラムウィンドウが切り替わる。

 それはアレス・オリンフォスの写真だった。

 授業を受けるアレス。

 紅茶を淹れているアレス。

 食堂で食事をしているアレス。

 図書館で宿題をしているアレス。

 戦闘訓練で剣を構えているアレス。

 クラスメイトと談笑しているアレス。

 ウィルたちに連れまわされているアレス。

 何枚にも及ぶ、アクシア魔法学園で生活を送るアレス・オリンフォスの姿。



「……………………」


 やっべぇ、と。アルテミスは思った。

 ぶわりと、滝のような汗が噴き出した。

 ヘスティアもそうだろうし、デメテルでさえ面くらっている。

 この女。

 真正だ。

 そしてそれらを見て表情を変えないパラスもどうかしている。


「心配いりません。彼が何を思い、何を感じているのか、私には手に取るようにわかります」


 それに。

 聖女と呼ばれ、美の女神の名を与えられた少女は。

 聖女や美の女神よりも破滅の女ファム・ファタールの方が似合いそうな少女は恍惚すら浮かばせながら囁いた。


「――――彼はいつだって、私に応えてくれるのですから」



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