ヴィランズ その2
「………………ヘスティア」
「なに?」
「出歩く許可、下りねぇの? ちょっと今この変態と一緒にいたくねぇんだけど」
「ヒヒッ」
笑みを零したヘスティアは裾を引きずりながら歩き出し、
「おぉ我が女神、私にも診察を―――ぐはっ!」
「お前は、まだ絶対安静」
途中ベッドから身を乗り出してきたアポロンの額をメスの柄で強打し、
「手を、出せ」
「あい」
差し出されたアルテミスの右手の甲に、軽く人差し指を置く。
ぼっ、と小さい音共にヘスティアの右の指に紫とピンクが混じった炎が灯った。
「…………ふ、む」
「どうよ」
炎ではあるが熱は無い。アルテミスからすれば手の上で何かに撫でられているような感覚があり、
「……ヒヒッ。良い、ぞ。お前は一先ず、回復だ。戦闘行為は、あと三日は、控える様、に」
「おー、やったぜ。治療、あんがとよヘスティア」
「これも、仕事」
「我が女神よ! 私はどうかね!」
「お前は、ダメ」
アポロンが妙にくねらせながら伸ばした手を叩き落としたヘスティアは、白衣のポケットに手を突っ込みながら言葉を重ねる。
「アルテミスは、比較的軽傷、というより、傷は致命ではなかっ、た。衝撃が、突き抜けたけ、ど、それだけ。逆に、アポロンのは、≪
「くっ……おのれトリウィア・フロネシス……!」
「ヒヒッ……無理をする、から」
聞きながらアルテミスは思わず舌打ちをした。
つまりはウィルとフォンには殺意がなかったのだ。お手て繋いだダブルキックは強力だったが、アルテミスを無力化させるためのもの。ヘラ曰く、ウィルの術式に相手の命を損なわないような制限が掛かっていたのだろうという話だ。
それに助けられたのは確かだが、それでも気にくわない。
「……まぁいいぜ。出歩いて良いならちょっくら散歩してくる。体も鈍っちまうしな」
「いや、その前に、リビング、に」
「あん? なんかあったか?」
「これから、ある」
彼女は陰気な笑みを浮かべ、
「――――アフロディーテとアテネが、来る」
●
アフロディーテとアテネ。
新顔、と言うわけではないがアルテミスからすればまだ顔を合わせていない最後の2人だ。
気持ち悪い言動ではあったが、まだ本調子ではないアポロンを医務室に残してヘスティアと二人で階段を下りて行く。
今彼女たちがいる建物は三階建てであり、医務室は三階に。リビングは一回にある。
建物自体は共和国内にいくつかあるアジトの一つであり、使い始めたのは≪龍の都≫から帰って初めてだったりもする。
リビングはこの世界のどの様式とも違う。
部屋の中央に10人は同時に使える長いテーブルがあり、少し離れた所にはソファや本棚、さらには本来この世界にはないはずの壁かけ式の液晶テレビやらマッサージチェア、フィットネス用のエアロバイクまでも。
アルテミスからすれば未だに慣れない奇妙なものは、ヘファイストスが作ったであろうともの。
奥にはL字型のキッチンや食器棚、冷蔵庫。
まず降りて来た二人を出迎えたのは、
「おぉ、歩けるようになったかアルテミスよ!」
大柄の男だった。
共和国で配給される貫頭衣は一番大きいサイズなのだろうがそれでも筋肉で張り詰められており、短めの茶髪からは如何にも肉体労働が得意だと物語っている。
アルテミスを見た彼は破顔し、
「丁度チェリーパイが焼けたところだ。快気祝いというわけではないが食べるか? 飲み物は?」
人懐っこい笑みと濃い緑色のエプロンの姿、それに両手のミトンで焼き立てのチェリーパイを掲げる。
「あー、サンキュ。ビールでいいぜデメテル」
「うむ! ヘスティアはどうする?」
「ヒヒッ……私は、私の栄養ドリンクを、飲む」
「あいわかった!」
にっこりと笑う家庭的な男、デメテル。
神話において豊穣の女神を示す名を持つ彼は、作り立てのピーチパイを切り分けてそれぞれ皿に乗せ、注文された通りに冷蔵庫から小サイズのビール瓶とケミカルカラーのドリンクボトルをお盆に用意する。
「さぁ食べるといい!」
「おー、美味そうじゃん」
早速テーブルに座り、フォークでパイを切り分け口に運ぶ。
「おっ」
サクサクとした生地と滑らかなチェリージャム。同時に小さくカットされたさくらんぼも入ってるので触感的な楽しさもある。生地自体に多めにバターが使われているのか、微かな塩気と甘いジャムのバランスが互いを補い合う。
「うっめ。デメテル、流石だなァ。マジで美味い。完璧だ」
「ありがとう! アルテミスは作った人を喜ばせるのが上手だな!」
「ヒヒ……脂質と糖質が過剰……美味しさの、代償……」
「わははは! 良いじゃないか! 二人とももっと食べると良い! 大きいことは良いことだ」
「おめー、女子に向かってそういうこと言うんじゃねぇよ」
痩せ気味な上に胸が平らな自分とそもそも幼女体型のヘスティアであるが。
しかし太りたいわけではない。
世界への反逆という使命はあるが、それでも女としての美意識はそこそこにある。
軽く文句を言いつつ、しかしチェリーパイの美味しさに免じてそれ以上は突っ込まず、
「それで? アフロディーテとアテネは?」
「うむ! マムがこちらに送ってくれるはずだ! そのためにこうしてチェリーパイを用意していたのだからな!」
言った瞬間だった。
リビングの中心に、黒い影が出現する。
楕円形のそれはヘラが用いる転移門だ。
3人の視線がそれに集まる。
現れた影は二人分だ。
「―――あん?」
1人は修道服と他の世界の学生服だというセーラー服が合わさったような恰好の金髪の少女。
思わず目を見張るほどの美少女だ。
アルマ・スぺイシアもとんでもなかったが、彼女に劣らない。
そしてもう一人。
奇妙だったのはそちらだ。
赤を基調とした装飾鎧。
だが、その装飾は戦闘には支障をきたさない程度であり、実用的なのが伺える。美少女と違い頭部までも兜で覆っているために、露出は一切なく外見情報が伺えない。
「そっちは……見るからにアフロディーテって感じだな。それはともかく……なんだ、そっちの鎧。アテネなのか?」
「騎士だ」
独り言に近い呟きに、鎧姿が鋭く答えた。
中性的な声で、性別も分からない。
ただ彼、或いは彼女は腰に佩いた騎士剣に手を当てながら、金髪を庇う様に一歩前に出て言葉を告げる。
「殿下に仕える――――忠誠の騎士だ」
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