デンジャーゾーン その1
「―――全乗せで行くぜぇ!」
アルテミスは自らの持つ魔術式の大半を同時に発動させた。
即ち、特定の事象に対する概念的な攻防の強化だ。
物理魔力、衝撃斬撃刺突銃撃、炎熱流水氷結電撃呪詛浄化等々。
思いつく種類の干渉に対するものをありったけ。
それは彼女が戦いに赴くたびに常に準備しているものだ。
狩りとは、その場における行動の是非ではないと彼女は考えている。
獲物に合わせた武器、獲物に合わせた狩り方、獲物に合わせた行動。
事前準備が全てであり、狩りとして命を奪うのはそれらの結実に過ぎない。
自分と兄の違いはそこだ。
アポロンはその身一つでの闘争を望む。
今回にしても龍殺しの概念術式しか持っていなかった。
自分とアポロンの単体戦闘力は左程変わらないが、能力のバリエーションならばアルテミスの方が勝り、相手が特定の性質を保有している場合にしてもより大きな成果を上げられるのはアルテミスだ。
正直、トリウィア・フロネシスの相手なんてしていられない。
あぁいう純粋に全てのスペックが高すぎるタイプは自分の天敵だから。
そして、フォンとウィルはそうではない。
フォンは何やら覚醒を果たそうとも鳥人族という性質を持ち。
ウィル・ストレイトは秘めた才能はあっても未熟だからだ。
鳥の少女は鳥人族殺しの術式で。
虹の少年は月女神の弦糸で。
狩ればいい。
そう決意した時、
「――――遅いよ」
既に陽鳥の蹴り脚が、月兎の腹にぶち込まれていた。
「ガッーーー!?」
白い粒子の風を纏った一撃だと気づいた時には衝撃が炸裂していた。
重ねていた防護も意味を為さず、空を真横に数十メートルぶっ飛ぶ。
「なっ……に、を……!?」
弦糸を広げ即席の足場としながら宙を滑り、前を向く。
思考は追い付かなかったが、体は動いた。
自身を中心に弦糸を円形に全方位展開。
それは防御であり、攻撃だ。
格子状の球体を描く糸は振動することで無理に突っ込んできたらバラバラになる。
「――――ぁ?」
そして彼女は黒い風を見た。
視界の中心、黒い粒子の風。
全方位弦球が完成するコンマ秒以下の刹那に垣間見た異物。
認識した瞬間、
「!?」
白風を纏うフォンの拳がアルテミスの顔面に突き刺さった。
「がっ……!」
「ようし、今のはすっきりした!」
「っ――!?」
ありえねぇだろと、アルテミスは思った。
なぜならフォンの声が後ろから聞こえたからだ。
今まさに、顔面を殴られたのだ。
それにも関わらずフォンは背後にいる。移動した気配もなければ、それに伴って巻き起こる空気の動きさえない。
瞬間移動でもしたかのようなテンポ。
「―――ざっけんな!」
「うわっと」
今度こそアルテミスの判断は間に合った。
自らの二尾の毛髪。
それが剣山のように広がり空間を突き刺した。
「―――!」
結果、剣山が貫いたのは黒い粒子のみ。
フォン自身は既に十数メートル離れていた。
だが。
「……距離も糞もねぇぞこいつ。ふざけんな」
口の中の血を吐き捨てながら毒づく。
冗談ではない。
本当に瞬間移動か何かをしているんじゃないだろうか。
「ふざけてるのはそっちだ。好き勝手してくれたみたいだね」
金を灯す鳶色の瞳は静謐さすらあった。
黒白の風にポニーテールが揺れる。
「≪龍の都≫を襲ったことも、アルマのことも、シュークェのことも、御影のことも、カルメンのことも、トリウィア……トリウィアはいいや。どうにかするでしょ」
いいのかよそれで、と突っ込みかけたが冷静になると同意できた。
「勿論―――主に喧嘩売ってることも。私は今、怒ってる」
「はっ、笑わせんなよ」
これも、冗談ではない。
怒ってるだって?
「オレこそずっと、てめぇら畜生にキレてんだよ!」
吠え、腕を振った。
それを意味することは当然弦糸であり、応えるようにフォンの姿が消え、
「―――ハッ、見えたぜぇ!」
「!」
アルテミスの蹴甲とフォンの白風を纏う足が激突する。
驚くフォンの視線が僅かにズレる。それは自分の足。
白い粒子を伴う素足に、
「糸屑――?」
「応用性が高いんだぜぇ糸ってやつは!」
弦糸の展開、その応用だ。
通常、アルテミスは弦糸に切断力を持たせて張り巡らせる。
攻撃と防御を一度に行うためだ。
だが、理屈はどうあれフォンにはそれを意味をなさない。
弦糸の展開よりも早くすり抜けている、と推測する。
「おらよ――!」
蹴りを連続で叩き込み、当然彼女は掻き消えるが、それでいい。
狙いは動きと共に細かく切り離した弦糸を広げること。
それ自体には攻撃力も防御力もない。
あるのは、一つの概念だ。
「――――≪
曰く、迷宮を抜け出るために用いられた道標の糸。
通常ならばアルテミスにとっての獲物、即ち亜人に対する感知用概念術式。
フォンの存在を感知していたのもこれによるもの。
それをばらまくことで即席の感知結界を生み出したのだ。
「どんだけ速くても、そこにいるってことだろ……!」
白と黒の粒子の風。
それを操る陽光背負いの神鳥。
例え目視できなくても、
「狩人は獲物を逃さないぜ、鳥畜生……!」
「こっちも逃がすつもりはないさ―――!」
●
青白の鎧姿を中心に黒白の疾風が駆け巡る。
高速戦闘というのも生易しい。
瞬間移動に等しいフォンの攻撃を感知結界頼りに反応するが、刹那でも遅れれば大きく吹き飛ばされる。
最早それには逆らわず、吹き飛ばしを次の対応の準備とし、≪龍の都≫の空をはじき出されるように跳びながらアルテミスは戦っていた。
ふざけやがってと、アルテミスは思う。
こんなんだから亜人種が嫌いなのだ。
アルテミスはアポロンと同じく戦争孤児であり、現在の王国と亜人連合の国境付近の子供だった。
スラム生まれ、という点に関してはアポロンやヘファイストスとあまり違いはない。
彼らとの違いは、その育ったスラムに亜人種が多かったということだ。
戦死者が多かったのはどの種族も同じだし、社会という結びつきが曖昧な連合のルールはより自然に近いものだった。
即ち弱肉強食だ。
自然の法則の中で、魔法の教育を受けてないただの子供は恐ろしく弱い。
まともに食べるものがないだけならマシ。
食べ物の奪い合いで、亜人の孤児に殺されかけた数など数えきれない。
彼らは、生まれついて武器を持っている。
牙であり、爪であり、肉体そのものであり、自然に対する適応性であり、種族特性そのもの。
自分と同じくらいの年の子供、どころか自分よりも幼くとも亜人であれば勝ち目がない。
ずるいだろと、ずっと思っていた。
生まれた時点で、勝敗が決まってしまっている。
それは羨望であり、嫉妬であり、憎悪だった。
本来ならそれを抱えてのたれ死んでいただろう。
そんな地獄からヘラはアルテミスを拾い上げてくれた。
救い、知識と力をくれた。
異世界の存在とその知識。
そして育ててくれたのだ。
彼女の持っていた亜人への敵意を。
≪ディー・コンセンデス≫の子らはそういうものだ。
ヘファイストスならば世界への優越感を。
アポロンならば世界への対抗心を。
アルテミスならば世界への敵愾心を。
このアースにおいて社会から取りこぼされて不幸となった子供や、或いはゴーティアの眷属である魔族によって幸福を取りこぼした者達。
それをゴーティア/ゼウィスやヘラが拾い上げた。
この世界で生まれながら、この世界の敵対者である存在。
アース内の別アース存在に敏感なアルマ・スぺイシアやネクサスに対するが為に用意された先兵に他ならない。
過酷な幼少期からの方向性の定められた教育により、彼らは自らの在り方に疑問を持たない。
定められた神の名の下に、悪魔の眷属となって世界を蝕むのだ。
「≪
弦糸が鋭く、何十本もの槍となってフォンをあらゆる方向から囲む。
それはアルテミスがフォンの速度を捕らえたわけではない。
移動の先読みだ。
「単純なんだよ……!」
確かにフォンの速度は想像を絶している。
だが神速を以て行く先自体は複雑ではない。
≪
だからそうした。
「百舌の千贄ってな……!」
千には届かずとも、全身を串刺しにして針鼠にするには十分だった。
殺到した。
「くろく、くろく、くろく―――」
ふわりと、千矢よりも速く黒い風が巻き起こる。
それらが千矢に絡みついた。
コマ送りになったかのように、減速し
「――――しろく、しろく、しろい」
大きな円を描く両腕に伴う白風が、千矢を吹き飛ばした。
白と黒の翔気。
今フォンの纏うものであり、それは、
「具現化された減衰と加速か……!?」
白は加速。
黒は減衰。
翔気を構成する粒子そのものがそれぞれのエネルギーだ。
おそらく物理法則に反した神速もそれによるものだ。飛んでいるはずなのに、飛翔の際に風を巻き起こさず、慣性も重力も無視した三次元駆動。
≪山海図経・比翼連理≫。
空に太極図を描く様な新たなるフォンの在り方。
トリウィア・フロネシスがアース111最強の人類ならば。
それこそがアース111最速の翼に他ならない。
「そりゃあすげぇ……だけど、気づいているか?」
「うん?」
「そんだけ速かったら―――誰も付いてこれねぇだろ」
見下すように告げる。
言葉通り、ウィルはフォンとアルテミスの戦いに追い付いてない。
≪
つまりそれは、まるで速度が足りないということだ。
「てめぇは確かに極上だけどよぉ、人間様の翼になりたいなんて笑わせるぜ」
「…………あはっ」
答えは、吹き出すような笑いであり。
そして失笑だった。
眉を潜め睨み付けて見れば、フォンは呆れ、
「なーんにも分かってないな。それは私の主を舐め過ぎだよ。そんなキモイ髪の毛じゃなくてちゃんと眼でみれば?」
「あぁ―――、っ!?」
背後に風と気配、感知結界への反応。
反射的に体を動かした。
『―――――≪エアリアル・プリズムスカイ≫』
ごうっ、と突風が吹く。
外聞もなく体を真下に倒した瞬間。
ウィル・ストレイトが駆け抜けた。
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