アイ・エイント・ウォーリード その2


 

 戦いの最中、相対者であるウィルが消えたのをアルテミスは見た。


「――――あ?」


 本当に唐突に、電源が落ちるかのように姿を消した。

 なんらかの魔法とかの予備動作や予兆さえなかった。

 驚き、思考が止まり、


「うぉおおおおお!?」


 突風が、彼女の体を弾き飛ばした。


「ぬっ、くっ、おぉ!?」


 視界が滅茶苦茶になり、十数メートル移動して弦糸を張り直しなんとか停止する。

 回りを見回すが、何もない。


「一体、どういう―――」


 上を見た。

 そして気づく。

 未だ雪が降る曇り空。

 

「――――なんだぁ?」


 その雲に、穴が一つ。

 まるで、何かが雲を突き抜けたみたいに。









 何が起きたのか、ウィルは一瞬分からなかった。

 アルテミスと戦っていたと思ったら、全く別の世界にいた。


「―――」


 青だ。

 澄み切った青と眩しい光。

 空だ。

 それも≪龍の都≫に敷かれていた曇り空ではない。

 もっと高い、雲を突き抜けた先だけにある蒼穹。

 眼下に白い雲の大地があり、ずっと先には雷を纏う巨大な入道雲らしきものがあった。 

 ウィルは今、果てしなく広がる青い空で落ちていた。

 地平線が丸く見えるほどの高所であり、本来なら人が立ち入られるはずのない極所。

 そんな場所に。


「主!!」


 ウィルは一人ではなかった。


「…………フォン?」


 声を聴いて、誰かと手を握っていることに気づく。

 勿論それはフォンであり、二人は手を取り合いながら空を落ちていた。

 けれどそれは大事なことではない。

 こんな高いところにウィルは単独ではこれない。

 否、それこそこの世界ではアルマでなければ無理だろう。

 もしいるとすれば。

 彼女しかいない。

 それも、


「翼を、取り戻したの?」


「うん! 飛べた、飛べたよ主!」


 風を受け舞う黄が差し込まれた黒い髪とマフラー。

 破顔して細められる鳶色の瞳。

 翼は出していないジャージ姿だが、二人でいるということはそういうことだ。


「…………よかった」


 零れた言葉は心からものだ。

 そして、少しだけ悲しみが。

 彼女が翼を取り戻したということは、彼女の中にある想いが消えてしまったということ。

 別に、いいのだ。

 だとしてもウィルの想いは変わらない。

 これから先、彼女が選択を間違っていなかったと思わせる責任がウィルにはあるから。

 そう思っていた。

 だけどやっぱり、現実としてあるとほんの少しだけ寂しくて。

 けれどそんな気持ちを出すのは勝手なのだ。


「ねぇ、主!」


「あ、うん?」


「――――主のこと、大好き!」


「……………………えぇ!?」


 聞き間違いではない。

 吹き付ける風がどうとか、そもそもこんな高所で会話や呼吸もできているとか。よく考えればおかしかったが、それでも確かにウィルは彼女の言葉を聞いた。


「好き! 大好き! ずっとずっと、助けてくれた時から、私を受け入れてくれてからずっと私は主が大好きだよ!」


「――――なん、で?」


「なんで!?」


「あ、いや、そうじゃなくて!」


「あ! そうそう、主のために空を諦めなきゃいけないとか、そういうのは無しになった!」


「そうなの!?」


「そうなの!」


 そうだったんだ……とウィルは思った。

 それでいいのかとか、一瞬過ったけれど。

 それでいいのなら、それに越したことはない。


「――――うん」


 そう、彼女がそう言うのなら。

 ウィルはそれを信じて、言うべきことを言うだけ。


「僕も、フォンが大好きだよ。君は僕の幸福で、僕の翼だ」


「っ―――――」


 繋いだ手が強く握られ、彼女はマフラーに顔を埋めた。

 勿論、落下という状況では真っ赤になった顔面をまるで隠せていない。

 そして。


「うん! 私は、主の翼だ! それが私が飛ぶ意味!」


 どちらともなく互いを引き寄せる。

 瞬間、風が巻き起こった。

 突風ではない。優しく、二人を受け止めるような風だ。

 まるで空が、風が、世界が彼らを祝福するかのように。

 半ばぶつかる様に抱きしめ、


「―――んっ」


 この世界の最も高い場所で。

 暖かな風が二人を包み、落下すら止まった中。

 幸福を求める少年と彼の翼である少女は唇を重ねた。

 数秒の口づけの後、額を合わせながら離れ、


「………………へへっ。なんだろ、すっごい恥ずかしいけどすっごい嬉しい」


「うん、僕もだ」


「あ、キスって舌も使わないとダメなんだっけ! あーもう、初めてだったのに!」


「いやそんなことないけど!? 誰がそんなことを―――御影だよね! 御影しかいないよね!」


「トリウィアも言ってたよ。こう……べろんべろんしましょうって」


 ウィルの脳裏に満面の笑みの御影と無表情で眼鏡を光らせながらピースをするトリウィアが浮かんだ。

 いや、全くそんな場合ではないのだが。

 あの二人なら、まぁ言うだろう。


「ダメなの?」


「いや、ダメというわけでは……」


「主は私とべろちゅーしたくないの?」


「………………」


 したいかしたくないかと言われれば。

 したいにきまっている。

 普段元気で活発な彼女が、しおらしく頬を染めてそんなことを言うなんて。

 ウィル・ストレイトの中で、新しい扉が開きそうだった。

 考える。

 別にいいのか?

 

「――――なーんて。へへっ、流石に今はダメだよね」


「………………うん! そうだね! そういう場合じゃないよ!」


「全部終わったら、ね?」


「………………うん!」

  

 新しい扉が開いたのを自覚した。

 その扉の先を探究するのは後々のお楽しみとして。

 こほんと、ウィルは咳払いをした。

 気持ちを切り替えるためだ。


「フォン」


「うん」


「戦える?」


「勿論」


 彼女は笑った。

 そのために羽ばたいたのだから。

 

「私は主の翼だ」


 だから。


「主の幸福を邪魔するものがあるなら――――私が全部振り払うよ」

 

 




「―――――」


 落ちる。

 落ちる。

 落ちて行く。

 いつかの冬の夜空で二人で踊ったように。

 或いはその時よりもずっと速く。

 フォンはウィルと手を取り合い、青空から落ちいていた。

 

「―――a」


 ふと、喉から声が零れた。

 

「a――――」


 それは言葉になりきらない何か。

 ただ、胸から溢れたものをそのまま吐き出しているだけ。

 その何かは、今はもう分かっている。


「aaa―――」

 

 そう、それは愛だ。

 疑いなくそう思えた。

 胸の中にあったもの―――これまでフォンが感じて来た全ての風が歌と声になってあふれ出してくる。

 きっと、かつてジンウは歌と共に大地に降り立ったのだろう。

 けれどフォンは違う。

 歌と共に、ウィルと空を往くために落ちているのだ。

 分厚い雲の中に二人は飛び込む。 

 だが雪雲の渦中であろうと歌にも飛行にも支障はない。

 フォンの体から溢れ出す白と黒の光が二人を包み守っているから。

 突っ切った。

 広がる≪龍の都≫。

 倒すべき月兎が見える。

 そうしてフォンは。

 最古の神鳥に最も近くありながら、異なる飛翔を選んだ彼女は言葉を紡ぐ。


『人は人たり、神は神たり、祖は祖たり、末は末たり――我は我たり』


 それは世界に対する宣言。

 それは血統に対する決別。

 それは自己に対する抱擁。

 自らという存在を確立させるために紡ぐ歌。

 そう、この世界はそういう風にできている。

 名付け、定義した通りに在るのだ。 

 かつて神々が生まれ、神でなくなったように。

 だからこれは自らの命に誓う行為であり。

 己の名を正しく定める行為。

 仙術の深奥。

 亜人種の内、根底たる神祖に最も近い主の頂点のみが至る御業。

 告げた。



『正名――――≪山海図経・比翼連理≫』



 旋風が巻き起こり、一息に≪龍の都≫を覆う吹雪が晴れ渡る。

 先ほどまでいた青空が表れ、天上の太陽が煌めいた。

 名を正し、存在の在り方を再定義したことによりフォンはその姿を変えていた。

 鳥人族らしい胸だけを覆い、背と腹を露出した黒の衣。

 下半身は下腹部回りとその前後を長い前掛けで覆うだけの扇情的とも言える姿。

 それだけなら鳥人族らしい、飛行に特化した露出度の高い装束だ。

 違いは三つ。

 頬に、腕に、腹に、足に、背に。

 風や翼を思わせる流線形の紋様だ。それが全身に広がり、山吹色に輝いている。

 それまで鳶色だった瞳の奥には輝く金色。

 広がった刺青と金を灯した瞳。

 そして。

 最も大きな変化は翼だ。

 鳥らしい羽毛に包まれたものではない。

 龍のような爬虫類らしい骨格の間に翼膜が張られたものでもない。

 或いは、ウィルのような魔法による紋様のでもない。

 それは光の奔流だった。

 白と黒、二色の粒子が入り混じって翼の形を成している。


「――――綺麗だね、フォン」


「へへっ、ありがと」


 くすぐったい褒め言葉に小さくはにかみ、フォンは視線をずらした。

 手を取り合い、共にそれぞれの翼を広げるフォンとウィルの下方正面。

 アルテミスがいる。


「…………いい加減、お腹いっぱいだと思ってたけどよぉ」


 フォンを狙っていた彼女は息を吐き、


「―――やっぱり極上だ」


 嗤っている。

 ことにここに至って尚、彼女はフォンの参上を喜んでいた。

 鋭利な歯をむき出しにして歪んだ笑みを浮かべながら。

 最早ウィルの姿すら目に入っていないのかもしれない。

 彼女の亜人に対する敵意、狩猟する意思はそれほどまでに並外れていた。

 対し、ウィルとフォンは互いに握る手に力を込めた。

 それが何よりの力になるから。

 

「行こう、フォン。君の翼を背負わせてくれ」


「とーぜんっ」


「いいねぇ! お前を狩って、剥製にして床に磔てやるよ!」


「生憎と」


 太陽を背負う神鳥は、月兎の狩人へと言い放つ。


「私を大地に繋ぎ止められるのはこの宇宙で一人だけだ」


 

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