アイ・エイント・ウォーリード その1


 フォンは、いつの間にか知らない場所にいた。

 森の中の泉だ。

 澄んだ空気と暖かい日の光、その場にいるだけで心が安らぐ。

 これまで訪れたどの場所とも違い、そして同時に神聖な場所であると感じた。


「―――これって」


「そう、記憶さ」


「!」


 声は上から。

 泉のほとりに木があり、そのうちの枝にジンウが腰かけていた。

 

「私の記憶。つまりは貴方の記憶。外は騒がしかったから、話しやすい場所に連れて来たんだ」


「そんな、こともできる……んですね」


「まぁね。君は特に私に似てるから。てか、敬語とか要らないよ」


 朗らかに笑う彼女は、やはり自分と同じ顔。

 けれど、どこか雰囲気は違う。

 似ているけれど、違う。

 自分では、ない。


「…………ここは」


「そう、君は感じるよね。ここは私と『彼』が出会った場所」


 ジンウが目を細め、

 

「出会い、睦み合い、結ばれ―――私が羽根を休めた場所でもある。ま、そういう場所」


 無邪気に笑う。

 それから彼女は軽い動きで枝から飛び降りた。

 重力を感じさせない動きだった。

 今のフォンには、ただそれだけの動作が妙に目に焼き付く。


「さて、今は君の話だ」


 とんっ、と着地した彼女は両手を広げ問う。

 この場に来る前にしたのと同じ問いかけを。


「愛か空か――――選ぶ時が来た」


「……っ」


 愛か空か。

 自らの本能と存在理由か、ウィルへの想いを選ぶか。

 エウリディーチェから示されたフォンが跳べなくなった理由。

 そしてそれから導き出された翼を取り戻す術。

 ずっと考えて来た。

 どちらを選ぶのか。

 どちらを選ぶべきか。


「それ、は……」


 無意識のうちに、握る拳に力が入る。

 俯いた体が強張り、こんな快適な場所なのに嫌な汗が流れた。

 そして。


「―――――選べないよ」


 答えを零した。


「選べないよ、ジンウ」


「へぇ?」


 上げた顔がひどく情けない顔になっていることを自覚する。

 散々時間を貰って。

 みんなに気を使ってもらって。

 それでも出た答えがこれだ。

 選べない。

 

「選べないよ。だって……その二つは私にとって同じだもん」


 空を飛びたい。

 ウィルが好き。

 それはフォンにとって不可分だ。

 すがる様に、首に巻いたマフラーを掴む。

 主から持った宝物。

 あぁ、そうだ。

 だって。


「私が一番好きな空は、主と一緒に飛ぶ空なんだから……!」


 思い出すのは、いつかの冬空。

 ウィルと踊り、舞い、歌った夜空。

 思い出すだけで心が温まり、動悸を打つ。

 空と翼を思う時、想起されるのはあの時だ。

 彼の翼になりたいと思った。

 ウィルが自分を幸福だと思ってくれるなら。

 フォンは彼に幸福を運び、どこまでも連れていけるような翼でありたいのだ。

 だから。


「選べない……選べないんだよジンウ。それは――」


「そっか。いいんじゃない?」


「貴女にとっては情けな―――――ん?」


「ん?」


「……」


「……」


 言葉を理解できず、フォンは首を傾げた。

 するとジンウも同じような動きをする。

 わぁ、鏡みたい。

 そうではなくて。


「…………え? いいんじゃないって……何?」


「いや別に。それが君の選択ならそれでいいじゃん。空も愛も、どっちも選べばいい」


「そ、そんなのありなの!?」


「えぇ!? ダメなの!?」


「――――――」


 あ、この人私たちのご先祖様だ。

 唐突にそれを感じた。

 

「いや、でもエウリディーチェ様の話なら……」


「エウリディーチェ? ……あぁ、オルフェウスか。相変わらずずっと振り返ったままだねあいつは。えぇと……はいはい、そういうことね。記憶読み取れるのは便利だな」


「ぷ、プライバシー……」


「なにそれ? で、あいつが言ったって?」


「そ、そうだよ。どっちか選ばないといけないって―――――あれ?」


 言われてみれば。

 エウリディーチェはフォンの人生史上最も強烈な羞恥心を引き起こしたが。

 それはそれとして、


「………………言っては、ない?」


 好きバレはしたけれど。

 仙術を教えてくれたけれど。

 彼女の口から直接どちらかを選べと言われたわけでは、ない。


「いやでもトリウィアやアルマもそうだろうって……」


「別に間違ってはいない。仙術っていうのは自分の祖先である神格にどれだけ近づくかってことだしね。或いは、君が空を選んでもいつか愛を取り戻したり。或いは、愛を選んでも、何かの形で空を取り戻せたかもしれない。鳥人族としての純度が高まるからね。そのあたり見越してあいつも特に訂正しなかったんじゃないかな」


「そ、そうなんだ……好きバレした上で適当なことを言ったのかと……」


「私もあいつも、君たちとは価値観も時間の感覚も違うから何年先の話かは分からないけどね」


 肩を竦め、彼女は苦笑する。

 そんな彼女に、恐る恐る問いかける。


「でも…………なら、私はどっちも諦めなくていいの?」


「いいっていいって」


 彼女は笑う。

 太陽みたいに朗らかな笑顔だった。


「私が空から離れたのは私の都合。貴女は私に似てるけど、別の人だし。だったら違う道でもいーんじゃない?」


「……か、軽いなぁ」


「いやー、難しいこと良く分かんないし、あはは」


「ご先祖様……!」


 鳥人族らしいといえばらしいのだけど。

 自分が悩んでいたことを自分と同じ顔で笑い飛ばされると気分としては何とも言えない。

 

「………………ジンウは」


「うん?」


「どうして……空を飛ばなくなったの?」


「あー……」


 ジンウはすぐには答えず、空を仰いだ。

 青い空。

 彼女の記憶の中にあり、かつては彼女のものだったと言ってもいい天上だ。


「私の彼、高い所苦手だったからなぁ」


「………………そういう?」


「うん。あと体があんまり丈夫じゃなかったからね。私に付き合わせて飛んでたら体がもたなかったんだよ。だから仕方ない。君と同じように、私も大切な人と一緒にいられないんじゃ意味がなかったから」


 だから。


「大好きな人と一緒に飛ぶのは、私もできなかったことだ。その時間を、胸から溢れる歌を大事にしてね?」


「―――うん」

 

 微笑む彼女には後悔とか悔恨とか、そういうのは無かった。

 晴れやかに自分の選択と人生を誇った上で、フォンの選択を尊重しているのだ。


「ありがとう、ジンウ」


「いいのいいの」


 同じ顔の二人は笑う。

 遠い過去と遠い未来で、それぞれ大切な人と生きる為の選択をした二人。

 似ているけど、違う道を選んだ二人だ。


「さぁ、君は愛と空を選んだ。ならばやることは一つだ」


 金色の瞳が鳶色を見つめる。

 慈しむ母のように、支える姉のように、力づける妹のように。

 歩み寄り、並び、フォンの背中を押した。


「――――飛べ」


 言葉には重みがあった。

 神の信託であり。


「飛べ」


 先祖の命令であり。


「飛ぶんだ」


 もう一人の自分への激励だ。


「――――飛ぶんだ、フォン」


 愛しい人の下へ。


「―――――!」

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