ウィッチエヴァー・イズ・ファイン その2
「――――」
反射的にフォンは何かを言おうとした。
けれど、言うべきことが見つからない。
だからなんとか絞り出した声は自分でも驚くほどに頼りない。
「……ごめん。心配かけるよね」
「そりゃあ心配するとも。ウィルも先輩殿もアルマ殿も、アレスやカルメン先輩殿やシュークェにしても。学園のみんなももそうだ」
いいかと、彼女はフォンの頭に手を置いた。
「みんな、お前が飛ぶ姿が好きだ。楽しそうに飛ぶしな。それでいてフォンがウィルのことを好きなのも知っている。エウリディーチェ様の好きバレなんてみーんな気づいていた」
「うぅ……それはそれで恥ずかしすぎる」
「ははは」
「ん」
くしゃりと御影の手が頭を撫でる。
優しい動きは心地よかった。
彼女が気を使ってくれていることを感じる。
そもそも、御影がフォンだけを連れて≪龍の都≫の端まで来たのもそうだ。
人生最大レベルの羞恥プレイをしてしまい、ウィルは勿論、他のみんなにも顔を合わせづらい。
「誤解するなよ? 答えを出すことを急がしているわけじゃない。答えを出すことを恐れるなと私は言いたいんだ。むしろ、お前がウィルや私たちに気を使って焦ってしまうことが怖い」
「……でも、私の都合だよ?」
「なら、私たちの都合だな」
「―――」
迷いのない言葉に目が見開かれる。
彼女の笑顔はずっと優しいままで、
「いいか? 私やアルマ殿や先輩殿、そしてフォンが惚れた男はどーしようもない我がままで贅沢者だ。なにせ私たちが自分らしくないなら国だろうが本人だろうが喧嘩を売るんだから。だからこそ、ウィルは私たちの心が出した答えなら受け入れてくれる」
「心が―――」
「そうだ。どっちでもいいんだよ、お前が選ぶのは。大事なのはお前の心だ。仮にウィルに対する恋心を封じてもそれで別たれるわけではない。仮に翼を捨ててもウィルがお前を捨てるわけがない」
どっちでもいいんだと、彼女は繰り返す。
くしゃり。
髪に指を入れて手櫛で梳かれていく。
普段とは違い、下ろされた濡れ場色の髪を。
「フォン、お前は選択をしなければならない。だけどその選択をどちらでも受け入れてくれる人がいるということを忘れるな。選ぶことを恐れるな。私たちはお前の選択を尊重する。だから好きにすればいい。いつも、空を飛んでいるようにな」
「………………」
「私が言いたいことはこんな所だ」
頭を撫でる手が離れた。
触れていた熱が消えたことに少しだけ寂しさを覚え、けれどそれまでくれた優しさに少し泣きそうだった。
そう、彼女の言う通り。
今の言葉はきっと彼女だけの想いではない。
ウィルも、トリウィアも、アルマも。
きっとそう思ってくれている。
それが分かる。
「っ……あー……」
鼻にツンとした感覚があるのを感じつつ、マフラーを口元まで引っ張り上げた。
「御影」
「うん?」
「……ありがと」
「いいさ……おっ? ……ふふっ」
選ばなければならない。
でも今は。
隣に座る、姉のような人の肩に頭を預けたかった。
きっとこの温もりは、フォンがどんな選択をしても変わらないのだ。
●
≪龍の都≫は外部から見れば円柱上の山の中にある。
通常の手段で≪龍の都≫に入る選択は二つ。
数百メートルはある垂直の壁を猛吹雪の中昇ってくるか。
或いは山の麓にある隠された山道から、山の内部にある螺旋回廊を上ってくるかだ。
例えばシュークェの様に外部の人間が≪龍の都≫に立ち入ろうとした場合、偶然でもまずはその回廊に辿りつかねばならない。
無論、その入り口は自然により隠された場所であり、魔法による隠ぺいもされているので簡単に辿りつける所でもない。
「ぶぇーくしょい! …………くそが! 寒すぎるぞコラ!」
その入り口で盛大なくしゃみをし悪態を付く女がいた。
吹雪の中、大した防寒具もない黒スーツ姿。
控えめな胸とノーネクタイのブラウスの首元からは容赦なく冷たい風が差し込んでいることだろう。
水色のツインテールも風に流され、元々目つきの悪い三白眼はさらに歪んでいる。
右側の前髪だけが少し長く目元を隠し、鋭くかみ合ったギザギザの歯はカチカチと震えていた。
「妹よ、口が悪いな。もう少し品を持つがよいぞ」
彼女をたしなめたのは、隣にいる長身の男だった。
白シャツに黒いネクタイ、ベストという女以上に極寒の地にそぐわない装い。
端正な顔立ち、風に吹かれる蜂蜜色の髪は妙に様になっている。
妹とは逆に兄は左側の髪が長かった。
猫背の女と違い、兄の背はマネキンのようにピンと伸びている。
「うるせーよ糞兄貴。アンタと違ってオレは寒さ耐性ねーんだよ」
「ならば兄が抱擁してやろう。この私を湯たんぽとして使うが良い。太陽ボディにてな」
「うっぜ。きっも」
「おぅ……兄、ショック」
あからさまに落ち込む兄を妹は半目で睨み付けた。
彼女は寒さに身を震わし、
「マジでどーすんだよ」
山へと視線を上げる。
「アレがいるなんて聞いてねーぞ。トカゲは準備してきたけど、アレがいたら御破算だぜ?」
「うむ……」
「上品なオニイサマに置かれましては名案をお持ちでございましょーか?」
「妹よ、上品さではどうにもならないことがある」
「使えねぇな……いや、ありゃあ使えない兄貴が使える兄貴でもどうしようもなーんだよなぁ」
舌打ちをし、彼女は振り返った。
兄もつられて背後を見る。
「どーすんだよ、ママ」
「どうしましょうか、母上」
「――――そうじゃのぅ」
そこには1人の女がいた。
年齢は分からない。
黒いワンピース、腰まで伸びる長髪に乗った黒い帽子、口元までを隠す黒いフェイスベール、細い指を包む黒手袋、可愛らしい黒のミュール。
露わになる首元や太ももの肌は白く、唇は赤く、けれどそれ以外の何もかもが純粋な漆黒。
まるで空間にインキを零したかのような、あらゆる光を吸い込むような虚空の黒。
吹雪の中、妹は寒さに震え、兄は自ら発熱することで対応しているが、彼女はそもそも気温とは無縁なのかあまりにも自然体だった。
「流石に妾にしても、≪
澄んだ声は、しかし奇妙に年齢を感じさせる深みがあり、同時にその言葉を発する口元は若者ののそれだ。
身長的にも兄妹よりも低く、外見だけなら十代半ば。だが雰囲気は老婆のようでもある。
「じゃーどーすんだよママ。ここまで来て帰るのか?」
「ふむ。流石にそれは勿体ない。あの子もいることだしのぅ……で、あれば仕方ないか」
ころころと女は笑った。
無垢な童女のような笑顔。
けれど狡猾な老婆のように言の葉を紡いだ。
「ちと予定より早いが、虎の子を出すとするかのぅ」
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