ウィッチエヴァー・イズ・ファイン その1


 フォンは自らの奥底に心を沈める。


 それは普段空を飛んでいた感覚とは全く違うものだ。

 高く、速く、遠くへ行くのではない。

 低く、遅く、近くへ。

 自らのルーツに目を向けていく。

 

「――――」


 彼女は今、≪龍の都≫で最も高い場所にいた。

 里を囲む山の周囲は断崖絶壁になっている。

 壁面に棒を突き刺したような頂きがいくつも連なっており、フォンが胡坐で座るのがやっとのような幅がしかないような先端。

 眼下には数百メートルは続く雪と氷と岩の壁と大地。

 空を飛べないので落ちれば当然命を落とすが、それでも不思議と恐怖は無かった。

 沁みついた種族レベルの習慣は、飛べなくても消えないらしい。


「――――すぅ」


 息を吸う。

 肺に送り込まれる空気は冷たいが苦になるほどでもない。

 環境保全の結界は今の場所まで届いている、というよりもここが限界だろう。


「ふぅ―――」


 息を吐く。

 そして真っすぐに前を見る。

 ほんの数メートル先、もう座れないほどの細い頂の先端。

 極寒の吹雪の中、一羽の鳥が止まっていた。

 濡れ場色の翼に、一筋だけ濃い黄色がある。

 現実ではない。

 それは多分、フォンの中にいる原初の幻影だ。


 エウリディーチェ様の話を聞いて―――羞恥心で気絶するハプニングはあったが―――自らのルーツとそれが続いていることを理解した。

 そして今仙術、即ち原初の系譜を操る術を学ぶ術を教えられてから見えるようになった。

 仙術自体は、難しくなかった。

 気というものを理解し、それを扱うというのはやってみればむしろどうしてこれまでできなかったのだろうと思うくらいに簡単だった。

 翼を広げること。

 空を飛ぶこと。

 それくらいのことなのだ。

 元々自分の中にあるものだから。

 

「……問題は私がどうすかってことか」


 結局問題はそこなのだ。

 自分が飛べなくなったのは太古からの系譜の発現。

 愛が故に地に降りるか。

 愛を捨て空へ飛ぶか。

 

「……うぅん」


 頬の熱を自覚する。

 或いは、喉の疼きを。

 鳥人族にとって歌が求愛ということはあの後トリウィアから聞いてもう一度卒倒しかけた。

 ウィルと飛んでいる時、何度も歌を歌った。

 つまりはそういうことだ。


「おぉぉぉぉぉぉ……!」


 思わずマフラーに口元をうずめる。

 ウィルがそれを知らなくて、鳥人族が碌に文献やら情報やらを残さなくてよかった。

 ありがとう鳥頭。

 万歳飛ぶしか能がない生命体。

 いやそのご先祖様のせいで稀に見るレベルの羞恥プレイを受けているのだが。


「……はぁ、参ったな」


 溜息を吐きつつ立ち上がる。

 鳥の幻影はすぐに消えてしまった。

 軽い足取りで頼りない足場を進んでいけば岩肌の崖。

 こちらは外側と違って断崖絶壁ではない。精々10メートルほど、はっきりとした凹凸に足場にして軽くジャンプしていき、すぐに広めの一枚岩に辿りつく。

 ≪龍の都≫を見回せる天然の展望台に、


「御影ぇー、そっちはどう?」


「ん」


 岩の壁に背を向け胡坐をかいていた御影がいた。

 

「うーん」


「?」


 隣に座り、彼女の顔を覗き込む。

 普段とは違う装いの彼女は少し空を見上げ、ニカッと満面の笑みで笑った。


「仙術、全く分らんな!」


「えぇ……?」




 



「エウリディーチェ様に最初のやり方だけ聞いて後はなんとかしよう! って笑って私をここまで連れて来たのは御影だったよね」


「はっはっは、行けるかなと思ったが全然ダメだな。気とやら全く分らん」


「そう……」


 いつものように快活に笑う彼女は出来ないが故の悲壮感はなかった。

 何が面白いのかできないというのに自信満々は相変わらずだ。


「できぬものは仕方ない。腹減ってないか? 飯にしよう」


「……いいけどね」


 彼女の脇にはバスケットがあり、そこには彼女が作ったサンドイッチが二人分。

 堅めに焼いたパンに肉と野菜、香辛料の効いたソースを挟んだシンプルなものだ。

 水筒に入った暖かいお茶と一緒に貰う。


「とんだ僻地だが食文化は左程変わらんのが面白いところだ。酒もあったしマヨネーズなんかもある。エウリディーチェ様が気に入って作り方を覚えて普及したらしい」


「御影にとっては酒が飲めるのが大事でしょ? マヨネーズがあるのは良いけどさ」


 卵、油、酢、塩から作られる白いソースは王国に来て初めて知ったものだが実際に美味しい。

 鳥の卵というのは少し引っかからなくもないが、別に鶏肉だって食べるのだ。美味しいならそれでいい。


「うむ。中々のきついが深みがある。くぅ……! ……うん。この味だけでも来た甲斐があった」


「相変わらずだねぇ」


 王国では法律の都合上、律儀に禁酒をしている彼女は≪龍の都≫の酒を見てそれはもう喜んだ。

 ≪龍の都≫に来たのが二日前。

 その二日間ずっと酒の樽か酒入りの革袋を抱えているのだから筋金入りだ。

 鬼種とはそういうものらしいけど。

 そんなことを思いながら首元のマフラーを緩め、サンドイッチを齧る。

 少し前までは食事の時は外していたが、付けたままに食べるのも慣れて来た。

 可能な限りウィルから貰ったマフラーは外したくない。


「美味しい」


「そうか、良かった。材料とか味付けとか、学園で普段作るのとは勝手が違ったがな」


「御影が作るのはいつも美味しいからそのあたり心配してないよ」


「ふふん。嬉しいことを言ってくれるじゃないか」


「……でも、御影が上手くいかないのは意外だったな。私はわりと簡単だったんだけど」


「うむ」


 サンドイッチにはまだ手を付けず、彼女は酒を舐める様に口に含む。


「エウリディーチェ様も言っていたが私はフォンほどご先祖様には近くないらしいしな。気とやらがいまいちピンと来ん。できなくはないというから試してみたが。というか」


 御影はらしくもなくため息を吐く。


「自分ではない自分を引き出すというのは、私にはどうにも難題だなぁ」


「……へぇ」


「どうした?」


「御影がそういう風にできないって言うの初めて聞いた気がする」


 フォンにとって御影はそういう人だ。

 できないことはないと思っていた。

 強く、優しく、美しく。

 美麗にして強靭なお姫様。

 カリスマという言葉がそのまま人の形をしたような存在だから。


「そうか? ……ふむ」


 彼女は少し頭をひねってから言葉を続けた。


「できないことを態々できないと愚痴るのは性に合わん。時間の無駄だろう?」


「……まぁ……それは……そうなんだけど……」


 散々勉強に関して愚痴を吐いた身としては耳に痛い。

 

「そもそも私は生まれが生まれだし、愚痴を言ってる暇があれば鍛錬をし、勉強し、作法を身に着けた。自分の証明をする為にできないことをできるようにする努力はしたが、どうしようもないことはどうしようもないと割り切っていた」


「仙術もそう?」


「どうだろうなぁ」


 出来ないわけではない。

 エウリディーチェのお墨付きなのだから。


「私の祖、つまりは鬼の神というが。仙術とはそれの力を引き出すものだろう? となると……ふむ、そうだな。感覚的な話だが、それを自分だとまだ実感ができないかもしれん」


「そうなの?」


「うむ。フォンは違うか?」


「…………うん、そうだね」


 フォンはお腹を撫でた。

 鳥人族、成人の証である刺青が刻んだ下腹部を。


「エウリディーチェ様の話を聞いた時、変な感じだけど驚きよりも納得があった。あぁ、これは自分の話なんだって思っちゃったんだよね」


「そこが私とお前の差異なんだろうな。或いは私が半分人だからかもしれん」


 御影は片角に触れた。

 鬼種の誇りであり半人半鬼が故に片方しかない角を。


「私はだ。だがそれを疎んでいるわけでもないし、それが私だ。そんな私の証明をこれまでしてきた。だから……そうだな、仙術を身に着け、鬼としての力を増すことでこれまでのバランスが崩れるのを恐れているかもしれん」


「……やっぱり意外だよ。御影からそんな言葉が出るなんて」


「ははは、私を何だと思っている。怖いものくらいあるさ」


「うっそだぁ。例えば何があるのさ」


 思わず笑ってしまう。

 天津院御影に怖いものだなんて。

 これ以上似合わない言葉があるだろうか。


「そうだな」


 彼女は自分が作ったサンドイッチを小さく齧る。

 その所作は上品で、こういう所も彼女らしさだ。


「ふむ……ちょっと胡椒が多かったかな」


「私はこれくらいがちょうどいいと思うけど? もうちょっとあってもいいくらい」


「このあたりは個人差だな。次の食事は調整しよう」


 頷き、そして彼女はフォンを見る。

 琥珀の瞳を細め、柔らかく微笑んだ。


「私が今怖いのは、お前が答えを出せないということかな」



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