モーニングワーク その1


 ――――太陽の眩さに思わずフォンは目を細めた。


「――――っは」


 吐いた息は白く、青い空は澄んでいる。

 広げた翼が冷たく薄い空気を掴み、体を押し出していく。

 遥か眼下には王都アクシオスが広がっていた。


 王都は十二角形の城壁に囲まれた街だ。


 城壁都市というのは人種の街では珍しくもない、というよりもある程度の大きな街ではあって当然だという。

 王国、帝国、聖国ではこれが基本だと学園の授業で習った。

 獰猛な獣、危険な魔獣、天敵たる魔族、或いは人間同士から人という群れを守るための防壁。

 内と外の境界線。

 十二という数には少し違和感があったが、なんでも王国ができるごとに纏めた国やら大きな領土やらを合わせた数だとか、時間と揃えたとか色々理由があるとか。

 これも授業で教えてもらったこと。


「ほっ」


 翼を広げ、くるりと体を回して加速する。

 毎朝王都の空を飛ぶのはフォンの日課だった。

 朝起きて朝食の前に街をぐるりと。

 普通に歩いたり走ったりすれば一日どころではない時間がかかるがフォンならばその気になれば文字通り一瞬だ。

 尤も全力で飛ぶにはのだが。

 だからこれはある意味人種のジョギングのようなものだ。


「おっ、やっほー!」


「おー、フォーン!」


 途中、彼女の下あたりで街の外へ向かっていく鳥人族とすれ違う。

 軽い挨拶だけを交わして去って行く背中の大きなカバンは郵便物か何かだろう。

 王都に来て知ったことだが、この街にも数は少ないが鳥人族は住んでいて、主に伝達や郵便物の仕事をしている。

 どんな種族よりも早く移動し、地形条件を無視する鳥人族の有用さは半年前の聖国の一件で証明した。

 もっともアレ自体は鳥人族でもよっぽどなのだが。

 

 そういう風に人種の文化に慣れた同族がいることは正直最初は意外だった。

 人のことを言えないけれど。

 冬になり当然のように長袖の上着やズボンを着るようになってもう1年。

 かつて鳥人族の里にいた頃からは考えられない。

 変わったなぁと思う。

 空を飛ぶことを愛しているのは変わらないけれど。


 いつの間にか年は明けていた。 

 人の都に来て一年を超えて、半年ほど。

 新年の祭りを終えたばかりだ。

 冬休みの始まりと同時の建国祭から一週間くらいずっとお祭り騒ぎ。

 ウィルを中心にみんなでダンスをしたり美味しいごはんを食べたり。

 雪遊びをしてみたらちょっとした雪合戦大会になり、三年対一二年連合で学園全部を使った言葉通りの雪合戦になった。

 結局それはどこで調達したのか魔法無しの雪玉ガトリングとかいうのを持ち込んだトリウィアとそれのサポートをする――無理やり付き合わされていたっぽい――アルマとでまとめで無双していた。

 あれはちょっとずるい。

 最初に突っ込んでいったカルメンが一瞬で雪に埋もれたのはちょっとした恐怖だった。

 年明けはみんなでお餅とかいう変わったものを食べた。

 皇国ではポピュラーらしく御影が主導になってみんな餅つきもした。

 ウィルやアルマが妙に喜んでいたのが印象的だった。

 あの二人は結構皇国の文化が好きなようである。

 

『――――フォン、まだ空飛んでるのか』


「おっ、アルマ?」


 突然、頭の中に声が響いた。

 アルマの魔法による念話だ。

 たまに彼女はこうして語り掛けてくる。

 空を掴み、中空にホバリング。


「どーしたの?」


『どうしたのじゃないよ。朝の予定忘れたかい?』


「え? えーと……朝って…………あっ」


『あっ、じゃないよまったく。君が昨日宿題手伝ってくれって言うから手伝ったのに調子悪そうだったからすぐに寝て、朝起きたらなんて言うから部屋に朝食持ち込んで準備してたのに全く来ないじゃないか。冬休みは来週まであるけど僕と君は宿題以外にも生徒会の仕事もあるんだから』


「うっわ! ごめん、すぐ戻る!」


『そうしたまえ。お茶が冷めるよ』


「ありがと!」


 背の二枚翼が広がり、閉じるとともに落下した。

 叩きつける風は無意識化で発動する魔法によって緩和され心地よさを齎すが、今はそんな暇はなかった。

 どんどんと眼下の景色は流れて行き、羽を広げる度に加速し真っすぐに学園に向かった。

 いつの間にか学園の反対側にいたので真っすぐに、しかし王城だけは避けて。

 早朝だが街には既に沢山の人が動き出し始めている。

 いくつかの通りで朝市が始まり、街に血が通い出しているのだ。

 移動式のテントを張って遊牧生活を送る鳥人族の里ではまず見られない光景。

 それを見るのもフォンは好きだった。

 だが今はそんな余裕はない。


 すぐにやたら広い上に闘技場や校舎が沢山ある学園の上空に辿りつき、寮の自室の窓に飛び込む。

 翼は光を放てばすぐに消えた。

 

「えぇと要るもの……教科書とノートに筆記用具っ。服は、このままでいいかっ」


 フォンの部屋は特待生用の一人部屋だった。

 仮にも今年の1年次席だ。

 1人部屋にしては少し広めの寝室、備え付けのシャワーとトイレ。これが成績優秀者用の部屋の特権。普通は二人一部屋でトイレは共用、風呂も同じく共用の大浴場がある。大浴場の方はフォンも良く使うけれど。

 大体御影の乳に挟まれるのが最近は面倒くさい。

 ベッドに勉強机、いくつかの収納棚やクローゼット。このあたりは備え付けであり、ありがたく使わせてもらっている。

 

 個人的に改造する人もいるらしく、御影なんかは大半のものを撤去して畳を敷いていたので驚いた。体のサイズが大きいカルメンは家具一式特注だったし、トリウィアは態々帝国産の高級家具に取り換えたとか何とか言いつつ、ほとんど使っていないようだ。


 フォンの場合、床にものが散らばっていることとベッドの隅に抜けた羽根を貯める籠がある以外あまり特別なことはない。

 最近抜け毛ならぬ抜け羽根が多いのはちょっとした悩み。


「よしっと……!」


 冬休みの寮の中なので制服の着用義務はない。

 運動用の黒いジャージのまま部屋を飛び出した。

 そしてすぐに隣の部屋に。

 アルマ・スぺイシアとはお隣さんなのだ。


「ごめーん、アルマ!」


「ノックくらいしなよ」


 出迎えは苦笑気味のお小言だった。

 フォンと同じ造りの部屋。

 違いはしっかりと整頓されているところと壁際には本棚が並び、びっしりと分厚そうな本で埋められていること、部屋の真ん中に大きめの丸机があること。

 机の上には教科書と紅茶のポットとカップ、加えて籠に入ったサンドイッチ。

 アルマは丸机の奥に座り、細い足を組んでいる。

 人形みたいな容姿の彼女がやると妙に絵になった。

 窓から差し込む朝日のせいだろうか。

 紅茶を手にした彼女は肩を竦め、


「おはよう、フォン」


「へへへへ……おはよう、アルマ」


 頭を掻きつつ、フォンは居心地が悪そうに笑った。

 実際、あんまり良いとは言えなかったからだ。


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