トリウィア・フロネシスーあなたはどうして― その1
雨は少しづつ弱くなり、雲の切れ目から光が見え始めた。
けれど水上闘技場では水飛沫が舞い、水煙が弾ける。
「―――――!」
声にならない音を上げながらウィルはトリウィアの飛び込み回し蹴りを掌底で受け止め、
「うお、と――がっ!?」
ジャンプして繰り出された回し蹴り。
受け止めたと思ったのに彼女は変わらずさらに体を回転し、腕を落とし、さらにもう一回転して長い脚がウィルの側頭部に激突する。
一瞬三撃。
言葉にすれば簡単だが、滅茶苦茶だ。
「……っ!?」
意味のある言葉すら生み出せない。
視界が揺れ、体勢が崩れ、
「足元が御留守ですよ」
彼女は止まらない。
着地と同時にさらに体を回し、輝く蒼の瞳が尾を引く。
押し出すようにウィルの両足ごと蹴り飛ばし体を浮かし、
「―――ぁ」
「お、いいですね。その『あ、ヤバ』って顔」
飛び上がり気味に放たれたボレーキックがウィルの腹部に着弾し、
『――――
めり込んだ足先と踵に浮かぶ黒の魔法陣。
爆発、活性、加速、硬化、崩壊、落下、収束、荷重、斥力、圧縮。
都合10系統による衝撃増幅打撃魔法をぶち込んだ。
「―――――!?」
炸裂した衝撃で周囲の水が爆散し、当然のようにウィルの体がぶっ飛ぶ。
あまりに勢いに水面を何度かバウンドしてから、水上闘技場の外縁に激突した。
「ごほっ! がふっ……! はぁっ……くっ……!」
口から血の塊を吐き出し、ふら付きながらも外縁にめり込んだ背中を引きはがす。
ドボン、という音が背中でした。
縁が壊れて、闘技場の外に水が流れ出しているらしい。
「ふぅぅぅ……っ」
濡れたコートの袖で口元の血をぬぐい、思う。
――――いや、この人強すぎる。
状況に応じて変形する武器。使う魔法は当然のように10系統以上。さらに体術まで達人、こちらの僅かな隙に的確に打撃をぶち込む洞察力。
強い人だとは知っていた。
出会って1年以上。
模擬戦だって何度もしたし、蹴り技や基礎の系統魔法は彼女から教わった。
だが考えてみれば、模擬戦というよりも教導に近く戦いながら彼女の指摘を聞くばかりだった。一目見れば大体の動きを模倣できるウィルではあるが、それでも細かい彼自身の癖や人間工学的に非効率な動きを彼女は修正してくれる。
「……」
そしてさらに思う。
トリウィア・フロネシスこそがウィル・ストレイトの完成系なのだ。
1年かけてアルマから教えてもらった魔法を学び、半年ほどかけて属性の乗算による特化状態――まだ完成ではないが――を編み出した。
それでも、まだ足りない。
35系統全てを使いこなすには至らないし、今もってなお究極魔法はアルマのアシストがないと使えないままだ。
けれど、理想でいえばフォームチェンジなどせずに任意の属性を好きな状態で使えるほうがいい。
それをトリウィアは実現している。
「―――あぁ、やっぱり凄いな」
思わず笑いがこぼれた。
雨の中、眼鏡越しに蒼瞳を輝かせる白衣姿の美女。
ウィルが尊敬する先輩。
知識の祝福に包まれた世界最高の才女。
「参りますね……」
両手に光の糸で編まれた銃を握る。
けれど、これではダメだ。
ただ周囲の水を使うだけではまるで足りない。
やることそのものは変わらない。
ただそれよりも深く、より高次元で。
銃を握った腕が円を描くようにゆっくりと振るう。
その動きに周囲の水が塊となって続いた。
続けて身体を舞う様に回せば、水は衣の様に伸びる。
そして左肘を持ち上げ、右腕を伸ばし構えた。
「まだ、足りません」
サファイアはトリウィアを模して作られた姿だけれど。
彼女の叡智にも知性にもまるで届かない。
だから学ばないといけない。
誰よりも学ぼうとする彼女から。
彼女という存在そのものを。
どうして戦っているかなんて、今は忘れてしまおう。
ただ、この目に焼き付ける為に。
「―――貴女の祝福を」
●
ふと雲の切れ間から刺した光に目を細めながら思った。
どうしてこうなってしまったんだろうな、なんて。
いや、理由なんて解りきっているけれど。
全部自分が発端なのだけれど。
わりと理想通りというか欲望通りというかちょっと後輩君ほんとにちょっと一言でこっちの心を刺してくるのやめて欲しいずるくない? とか思うけれど。
己が呪いと呼んだものを、彼は祝福と呼んでくれる。
それが彼女にとってどれだけ嬉しいことか彼は解っていない。
「―――御影さんを笑えませんね」
その黒い瞳が真っすぐにこちらを見据えてくる。
一年少しの付き合いで何度も見たような、けれど見たことのないようなまなざし。
周囲の水を随時使うのではなく、纏った水の衣を防御膜として彼は用いていた。
常に彼の周囲を流れる水衣がトリウィアの攻撃を受け流し、逸らして行く。
浮遊する自律盾を使う姿を見るが、アレの応用と言ってもいい。
それにより、彼は自らの手数の少なさを補っていた。
それだけではない。
防御を水衣に集中し、攻撃を二丁拳銃と足技に集中したことにより僅か数度の攻防でその練度は驚くほどに上昇していた。
この間にも、彼は成長し続けている。
凄いなと思う。
彼は一度見たものを大体自分のものとしてしまう。
難しいものでも、しばらく見続け、意図的に学べば理解する。
流石に限界はあるようだが、それでも素晴らしい。
1つのことに対して学ぼうとしたら全然関係ないものを知ろうとして、散々遠回りしてやっとたどり着く自分とはまるで違う。
双銃と双銃。
蹴撃と蹴撃。
翻るコートさえも同じように。
双剣と双刃鞭が時折織り交ぜられ、対抗するように水の衣が流れ舞う。
彼は歯を食いしばり、息を荒くし、それでも食いすがり、少しづつ均衡が生まれていく。
トリウィアを模した力と技術で、トリウィアから学び、彼は進んでいくのだ。
「――――あぁ」
雨に濡れた頬が火照る。
これまで彼女から知識を学ぼうとした人は多かったし、誰が相手だろうと分け隔てなく教えて来た。
だってそれはただの知識だから。
でも彼は。
真っすぐな意思を黒い瞳に宿す少年は。
トリウィア・フロネシスという存在そのものを知ろうとしてくれているのだ。
彼女が呪いと自嘲するものを、彼は祝福とほほ笑んで。
「どうして―――」
どうして、こうなったのだろう。
彼には聞こえない小さな声で呟く。
理性ではこの戦いが必要だと判断しながらも。
心の奥底の無垢でわがままな自分が想ってしまう。
自分と彼の間にはあまりにも面倒なことが多すぎた。
非転生者と転生者。
帝国と王国。
フロネシス家とアンドレイア家。
古くから続く大貴族と一代限りの成り上がり。
考え方と文化の違い。
そういったお互いではどうにもならないことが雁字搦めになってしまった。
もしも。
意味のない仮定だけれど。
ウィル・ストレイトとトリウィア・フロネシスが。
「――――ウィル君」
ただのウィルとトリウィアだったのなら。
そういうしがらみが全てなく出会えたのなら。
或いは、こんなことをしなくてもよかったかもしれないのに。
「貴方はどうして―――ウィル君なのかな」
そんな馬鹿なことを考えてしまった。
こんなことをして何を思っているのだか。
あぁ本当に。
自分は未知に弱い。
知らないことに対して、全く自制心が効かない。
けれど、仕方ないんじゃないだろうか。
初恋なんて―――どうしていいか分らないじゃないか。
「…………ふっ」
そんなことを考える自分に笑ってしまって。
恥ずかしくて目を閉じた。
「―――!」
そしてそれを今のウィルが見逃すはずもなかった。
トリウィアが馬鹿なことを考えたなんて知るはずもなく。
「サファイア!」
水が迸る音がする。
纏う衣の水が銃口に集い、圧縮されていくのを魔力の流れで感じる。
「―――メイルシュトローム!」
それにしても彼はネーミングセンスが酷いな。
そのあたり講義も考えよう。
なんて思いながら、目を開き。
『――――
輝く蒼の瞳に―――十字架が浮かび。
刹那の早撃ちが、ウィルが生み出した圧縮水球を消滅させた。
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