ザ・ストロンゲスト その1



 ウィルは訳が分からなかった。

 確かに我儘を言った自覚はある。

 でもウィル・ストレイトにはどうしたって、をされて黙っていられるわけがなかった。

 だが、


「ぐっ―――!?」


「あはっ!」


 青と黒。

 降りしきる雨が強くなる中、輝く二色の瞳。

 爛々と輝くそれが驟雨を突っ切って踵を叩き込んでくる。

 十字で受け止め、


「……っ!」


 その重さに顔をしかめ、足元の水が弾けた。

 濡れたレザーパンツに走る数本の青黒のライン。

 それは彼女の身体強化の証。

 既に≪身体強化センパー・パラタス≫は発動している。

 アルマから教わったそれはこの世界の身体強化魔法においては最高倍率を誇る。性能としては平均的な人種を、膂力において群を抜く鬼種と同等のものにする肉体強化。

 対し、トリウィアのそれはそこまでの強化倍率はない。

 故に、ウィルはトリウィアの蹴りを受け止め、


「―――――!?」


 次の瞬間には、彼女の両の太ももがウィルの顔面を挟み込んでいた。

 踵が受け止められた瞬間、彼女は既に動いていた。踵をウィルの腕に引っ掛け、逆の足で跳躍―――直後、中空に青の魔法陣を生み出し、蹴り飛ばすことで身体を前に押し出す。そして彼女の下半身がウィルの顔面に絡みついていた。

 濡れたレザーに包まれた太ももに、柔らかさとか、いい匂いとか。

 そんなことを思う余裕もなかった。


「がはっ――!!」


 挟まれたと思った瞬間、彼女はウィルを確保したままにバク転し、遠心力と膂力で彼を水面に叩きつけていた。

 プロレス技で言うフランケンシュタイナーに近い。

 水柱を上げながら、浅い水底に叩きつけられ肺から空気が押し出される。


「っせんぱ……ごぼっ!」


 叫ぼうとし、しかし戻ってきた水がウィルを飲み込む。

 浅いとはいえ、横になればギリギリ顔まで水が覆うほどの深さだ。

 想定外の攻撃と水量のせいで彼は動けず、


「状況把握が甘いですよ」


 ガキンと、二丁拳銃のリボルバーがぶつかり合い、回転し、


『―――氷魔の射手Der Freischütz:Eis


 氷結の魔弾が至近距離から放たれた。

 それは単なる氷結魔法ではない。

 液化、潤滑、氷結、活性。水属性五系統のうち四つ。

 ただ凍らせるだけなら氷結系統だけでいい。

 だが四系統を秘めたそれは―――触れたものを強制的に液化、ないし濡らし、既に濡れている状態に活性化させた氷結を叩き込む。

 単純に凍らせるだけではなく、その前に行程を踏むことで氷結効率を上昇させた必凍の魔弾であり、トリウィア・フロネシスにとってはそれが通常攻撃と言っていいものだった。


『≪ーーーーーーー・ーーーーーフォルトゥーナ・フェレンド≫!』


 氷の魔弾がウィルに届く直前。

 銃口が向けられた時、既にウィルは魔法陣を纏った拳を握りしめていた。

 鼻先、水面ギリギリに展開される火の属性を宿した浮遊盾。

 出現した瞬間に氷結を受け止め――――轟音と衝撃。

 大量の水と低音と高温が水蒸気爆発を引き起こした。


「ごほっごほっ!!」


 勢いあまって吹き飛ばされ、再度水上を転がり、なんとか体勢を立て直す。

 そして、水煙の中。

 水音を立てながら進み、リボルバー同士をぶつけ合う音。


「…………先輩」

 

 先ほどの氷の魔弾。

 ウィルがコンマ遅れていたら全身が凍り付いてた。

 そもそも、最初の究極魔法の時点で無効化をしなければ蒸発していてもおかしくない。

 模擬戦にしたとしても、そんなレベルではなかった。

 

 それでも、だ。


「―――」


 輝く青と黒。

 ずぶ濡れになりながらもその輝きだけは色褪せない。

 知識に呪われたという彼女なら。

 ウィル自身が幸福と定めた相手に拒絶されたらどうするか――――それを、知りたいという理由で。

 こんなことをするだろうか?


「……………………うぅん」


 しない、とは言い切れなかった。

 意味が解らないが、それでもそれは確かだ。

 トリウィア・フロネシスは、時々こちらの予想もしないことをし出す先輩だから。

 結婚がどうこうとか婚約がどうこうとか。

 そういうのを全部吹っ飛ばすくらいには、彼女の戦意は本物だった。

 ただそれでも、どう向き合うべきなのか。


 自分の言動が、彼女をおかしくさせたのかもしれない。

 その結果、こうして彼女に銃口を向けられるのなら。

 それは或いは、ある意味正しいかもしれなくて、


『ウィル』


 そんなことを思った瞬間、視界に文字が浮かび上がった。

 掲示板ではない。

 掲示板は繋げているが、しかし困惑が強いし、見ている余裕がない。

 でも、これができるのは一人だけだ。

 トリウィアとは違う意味で、ウィルに未知の歩き方を教えてくれた人。


『彼女の意図は分からないけれど』


 白い文字は続く。

 掲示板を介さない直結通信。


『――――君は、彼女に応えるべきだ。君が彼女を幸福だと思うならね』


 彼女はいつだって、ウィルの背中を押してくれる。

 迷いを捨てると決め、その黒く真っすぐな瞳で初めてトリウィアを見据えた。


「―――っ」

 

 ぞくりと、トリウィアが震える。

 普段無表情なはずの彼女に、明らかに喜色が浮かぶ。

 かつて、天津院御影を虜にしたその眼光。

 黒に宿る真っすぐな意思。


 そう、それをトリウィアは知りたかった。

 幸福が拒絶したらどんな反応をするかと彼女は言った。

 それはある意味、自意識過剰な前提がある。

 トリウィア・フロネシスは、自らがウィル・ストレイトの幸福であるという前提で戦いを持ちかけた。

 二週間前、結婚を誘った時の様に。

 それを言葉にしなかったからウィルは拒絶し、ディートハリスが現れてうやむやになった。

 そして今。

 彼の真っすぐな視線は、トリウィアの前提がただの自意識過剰ではないと証明するのだ。


『―――アッセンブル』


 動揺を、疑問を、不安を。

 不要なものの全てを捨て、右手を真横に突き出し、五つの環状魔法陣を浮かび上がらせる。

 色は青。

 

『ギャザリング・エッセンス』


 拳を握った瞬間、周囲の水がウィルを中心に渦となって立ち上がる。

 降りしきる雨を、闘技場に張った水を。

 何もかも―――飲み込む深淵のように。

 そして、宣言と共に彼はその姿を現した。


『――――サファイア』


 飛沫が弾けた。 

 そして現れたのは雨を纏う深い青のコート姿のウィルだった。

 右目は青く、その瞳には十字架が刻まれていた。

 黒のパンツに白のカッターシャツ。シンプルな装いに、アンダーフレームのコートと同じ色の眼鏡。

 対峙するトリウィアと外套の差はあれどほぼ全く同じ装い。

 当然だ。

 七属性の内、三つはウィルにとっての幸福である存在を模して構成されたのだから。

 

 そして水の属性はトリウィア・フロネシスを模したものに他ならない。


「――――先輩」


「はい」


「僕が勝ったら……貴方が貴方らしくあり続ける方法を一緒に探してください。アルマさんと御影とフォンと、生徒会のみんなと。必要ならお祖母さんにも、ディートハリスにも、先輩のお母さんとも話をして」


「……ふむ」


「僕は、先輩には先輩らしく生きて欲しい」


「ま、それならいいでしょう」


 ウィルは親指だけを曲げ、他の四指を開いた掌底を構える。

 トリウィアは二丁の拳銃をリボルバー機構同士が触れ合う様に眼前で十字に構えた。

 彼は彼女が自らの幸福であるという事実を証明し、彼女が彼女らしく生きる為に努力することを許してもらうために。

 彼女はただ、彼が自分にどんな顔で、どんな目で、どんな言葉を、どんな風に向けてくるか知りたいために。

 

 最早誰のためでもない、お互いの為だけに二人は雨の中を踏み出した。


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