ノウレッジ・ヘックス その2



「――――」


「急な話……でもないですかね。まぁ、最初からそうだと解っていましたし。フロネシス家とアンドレイア家の今後を考えれば、むしろそれが最善なわけで。元々私は嫁入り相手もまるで見つかりませんでしたが、ふたを開けてみれば随分と大当たりに―――」


「先輩は」


 その声は、無理やり絞り出したかのような声だった。

 気持ちを押さえつけていて、それでも言わずにはいられない、そんな言葉。


「それで……満足なんですか?」


「………………ふぅぅー」

 

 応えはすぐにはなかった。

 吐いた白煙が鈍色の雲に吸い込まれていく。

 そして、


「満足なんて、してるわけないじゃないですか」


「……!」


 ウィルが立ち上がった。

 けれど彼女は動かない。

 眼鏡で反射して青と黒は見えなかった。

 それでも、言葉だけは明確だった。


「でも、仕方ないんです。これが私の血に架せられたものであり、否定はできません。帝国貴族はこれまでこうやって発展して来たのだから、私もそれから逃れられないし、逃れるつもりは――」


「それは!!」


 それは。

 そんなのは。

 あのトリウィア・フロネシスが。

 ウィルに現実で直面する問題への対処方法を教えてくれた彼女が。

 自分に未知の歩き方を教えてくれた彼女が。

 そんな風に。

 望まぬ道に進むなんて。

 それは、


じゃあ、ないですか……!」


 ウィル・ストレイトが最も嫌い、許せないもの。

 握りしめた拳が軋み揺れる。

 

「…………君は、そう言いますよね」 

 

 ふらりと、彼女が立ち上がった。

 そう言うと解っていたから、こんな所で待ち合わせたのだ。


「それが帝国のやり方だとしても……僕には、認められません。他ならぬ貴方が、先輩が、思うように生きられないなんて……っ、今からでも! ディートハリスさんや先輩のお母さんのところに行って……!」


「ダメですよ、後輩君」


「―――――」


 ウィルの両目が見開かれ、言葉も体も止まる。


「せん、ぱい?」


 トリウィアが左の太ももから引き抜いた銃を―――ウィルに突き付けていたから。


「それは、帝国貴族わたしたちが積み重ねたものを否定する言葉です。わがままを言わないでください……なんて。君に言っても無駄ですよね。だから、賭けをしましょうか」


 彼女は左手で銃口を向けたまま、右手の指で煙草を足元に捨てる。

 煙草の煙の臭いが、ウィルにまで届いた。

 ブーツで踏みつぶし、


「せっかくこんな所にいるんですからね。模擬戦、しましょう。思えば、私、後輩君と本気で戦ったことなかったですしね」


「先輩! 何を言って……!」


「私が勝ったら、私を諦めてください」


 銃口は揺らがない。

 二色の瞳は眼鏡と前髪のせいでよく見えない。

 

「君が勝ったら……まぁ、好きにしてください――――では」


「先輩!」


 ウィルが詰め寄ろうとした時、既にトリウィアは左銃を抜いていた。

 そして。


「≪魔導絢爛ヴァルプルギス≫――――≪十字架の深淵ヘカテイア・アブグルント≫」


 至近距離で究極魔法をぶち込んだ。







 究極魔法で観覧席を吹っ飛ばしたトリウィアは、銃を握った手で器用に新しい煙草を咥え、魔法で火をつける。

 そして視線は、水上フィールドに。


「お見事」


 そこに虹色の残光を腕に宿したウィルがいた。

 何をしたかは分かる。

 ≪シィ・ウィス・パケム・パラベラム≫。

 かつて御影の究極魔法を無効化したもの。

 相手の魔法に用いられる系統と全く同じ系統を用いることで相殺・無効化する対大規模攻撃用防御。

 それをあの一瞬で展開し、大きく弾かれながらもトリウィアの究極魔法を防いだ。或いは、一瞬のことゆえに衝撃を殺しきれずフィールドまで吹っ飛んだのかもしれない。


「――――先輩! どういう、つもりですか!」


「言ったでしょう。模擬戦だって。……まぁ、それも本気ですし。言ったでしょう? 私は君に、本気と全力の私を見せたことがない」


 初めて出会った時はそれこそ竜に対して無意味に恰好付けて究極魔法を放っただけ。

 建国祭の時の魔族殺し自体は余裕があったし、ゴーティアに同じく究極魔法をぶっ放しただけ。

 

「だからちゃんと戦ったらどうなるか―――


 と、ブーツを鳴らしながら階段をゆっくり彼女は降りていく。

 だらりと両手の銃を垂らしながら。

 そしてぽつぽつと、堰を切ったように雨が降り出して行く。

 彼女が階段を下りて水上闘技場に足を踏み入れる頃には、雨足は強くなり、互いの髪に雨粒に滴っていた。


「…………先輩。落ち着いてください。僕だって……怒りますよ。滅茶苦茶じゃないですか」


「―――――くすっ」


 ウィルの押し殺した声に、しかし彼女は笑った。

 頬を引きつらせたような、普段は見せることのない酷薄とした笑み。


「えぇ……えぇ。そう、困ったことに、私はもう一つどうしても気になってしまったんです」


 ウィルは考える。

 彼女が今の状況で自分に戦いをしかける意味を。

 分からない。

 全く以て分からない。

 彼女は、こんなことをするほど好戦的な人間ではないはずなのに。

 

「聖国で、あなたは理不尽を認められないからという理由で戦いに挑み、自らの幸福である御影さんを救いに行きました。素晴らしい、羨ましいですね。かっこいいですし。――――でも、ちょっと思ったんですよね」


 しかしだ。

 トリウィア・フロネシス。

 「知りたい」という呪いに囚われた彼女は。



――――。どうなるのか、どうするのか、助けて欲しくないって言われたら。知りたいって、思っちゃったんですよね、私は」



 それだけの理由でウィルと本気で戦う人間かと問われたら。

 否、とは言い切れない。

 むしろ――――彼女なら、やりかねない。


「ウィル・ストレイト君」


 彼女は嗤う。

 雨に濡れながら。

 青と黒に暗い光を灯し。

 呪いのような欲望に突き動かされて。

 頬を紅潮すらさせてとろけるような笑みで、


「さぁ―――――私に、君を教えてください」


 悪魔は引き金を引いた。




 

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