ノウレッジ・ヘックス その1


 最初からどうなるかなんて、トリウィアには解っていた。


 ヴィンター帝国七大貴族のうちアンドレイア家とフロネシス家。

 帝国貴族における婚姻の形。

 過去からの伝統と未来への布石。

 それを加味すればトリウィア・フロネシスとディートハリス・アンドレイアの婚姻は当然というべき結果だった。


 だからそれはいい。


 解りきったことにトリウィアは時間を割かない。

 知りたいと思うことに、他人の十倍は時間をかけて学び、何度も失敗を繰り返して求めるものを手に入れる。

 それが彼女の在り方だ。

 他人よりも要領が悪いという自覚があるから、効率が悪いやり方しかできない。

 部分的な知識だけが必要なのに、それ関連の全てを知らないと気が済まない。


 フロネシスの呪縛。

 全く困ったものだ。

 それは彼女にとって逃れられない、自らの魂に架せられた十字架で。

 それによって自分は多くの意味のないものを得て、多くの意味あるものを失うと思ってきた。

 得られるものは大半が、自己満足の知識。

 失うものは本来帝国七大貴族の長女として果たさなければならない責務。


 帝国の文化やその建前や、政治戦を疎んでいるトリウィアだが、しかし貴族としての責務を放棄するつもりはない。

 彼女の知識は、七大貴族であるフロネシス家だからこそ得られたものだ。


 例えばトリウィアが、その生来持つ気質をそのままどこか別の国の平民の農家に生まれたとしよう。

 もしそうなら、どうなっていただろうか。

 簡単だ、本一冊手に入れることさえ難しく、無限に等しい知識欲求を抱えていくのだろう。

 それどこか、文字の読み書きさえろくに学べないかもしれない。

 戦闘、魔法技術も研鑽することはできず、文化の多様さは知ることさえできない。

 偉大な先人たちが残した知識に触れられず、ずっと一人で抱えて、誰かと結婚して、子供を産むことになる。

 それはきっと、不幸ではない。

 ごくごく普通の、ありきたりな、けれど尊い幸福だ。


 でもそんなありきたりでは、トリウィア・フロネシスは満足できない。

 

 彼女が望むのは叡智の深淵であり、ついでにいうと波乱万丈で、かっこいい―――そう、ロックな生き方なのだ。

 知識の呪いに縛れた彼女は、生まれたその瞬間から、そういう生き方でしか満たされなくなってしまったのだ。


 そんな、魂まで雁字搦めになってしまった呪いを。


「――――先輩」


「どうも、後輩君」


 彼は、祝福と呼んでくれたのだ。







 雨が降りそうな鈍い曇り空だった。

 数羽の鳥がステージの頭上を旋回して羽ばたいている。


「久しぶりですね」


「この二週間、まともに会ってくれなかったじゃないですか」


「色々と立て込んでいたので」


 二人が久しぶりに顔を合わせたのは学園に八種ある闘技場の内の一つ、第三闘技場という訓練場だった。

 円形コロシアムのようであり、戦いとなる舞台は足首ほどまでの水深の広いプールとなっている。

 昔、ウィルと御影が戦ったのは第一闘技場。

 魔法学園にはこういう各属性の魔法使用を補助する闘技場が用意されているのだ。

 広い水面には風に吹かれて届いたのか、赤くなった葉っぱがいくつも浮かんでいた。

 模擬戦で使用率の高いのは特に効果のない第一だが、最近ここは使われていないらしい。

 

「座りません?」


「……はい」


 観客席から水上フィールドを眺める様に二人は並んで座る。

 武骨な、階段状に並んだ背もたれもない椅子に、3人分ほどの距離を空けて。

 トリウィアはいつものように煙草を吹かし、足を組みながら。

 ウィルは足元と彼女の二つに視線を映らせながらだった。


「話、とはなんでしょうか」


 休日の昼下がり、彼を呼びだしたのは他ならぬトリウィアだった。

 黒の皮手袋に包まれた細い指で煙草を挟んだ彼女は、鈍い秋空を仰ぎながら答える。


「此処二週間、話せてなかったですからね。私はちょっと商談とか家のあれやこれで忙しかったですし。……後輩君はどうでした?」


「……僕は」


 息を吐きつつ、ウィルも曇り空を見上げた。

 風は冷たい。 

 制服に肩幕だが、そろそろコートを引っ張り出すべきだなと思う。


「ここ一週間は……ディートハリスさんにあちこち連れまわされましたね。観光名所とか劇場とか、何故かアレス君も一緒になって食べ歩きとか」


「へぇ」


 先週、大聖堂に行ってからも。

 彼は生徒会の仕事もそっちのけで放課後にウィルを誘い王都散策に誘ってきた。

 意外にもというべきなのかそうでないのか、あの従兄はウィルに対して非常に友好的で、博識でもあり、貴族だからと権力で無理を通そうとはしない男だった。

 人気の屋台の行列にも当然のように並び、立ったままだろうが、手づかみだろうが気にせず食事を楽しんでいた。

 それでも服は汚さず、手の汚れは最低限、どころか優雅さまで感じさせるのは大したものだろう。

 アレスは何故僕が、とかぼやきながらもついてきていた。


「まあ、悪い人ではないですよね。帝国でも彼は憧れの的だったそうですから」


「……ですか」


「はい」


 それから少しの間、特に意味もない雑談が続いた。

 フォンが毎日王都を飛んで、ちょっとした噂になっているとか。

 御影とディートハリスが顔を合わせたらお互い完璧な作法で挨拶をしたとか。

 カルメンがまたアルマに絡んで怒られて、パールは笑っていたとか。

 ぼんやりとした空気が流れる。

 トリウィアが煙草を吸いながら空を見上げ、ウィルは横目で彼女をたまにちらりと見る。

 別に意味のない会話を嫌う二人ではなかったけれど、しかし重い空のせいか、或いは二人の心持ちのせいか妙な気まずさを、少なくともウィルは感じていた。

 そして、


「後輩君」


「……はい」

 

「――――私はディートハリスさんと結婚します」



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