アマチュアズ・クエッション その2
「輪転印刷機、これは蒸気から発生する圧力……ふむ。蒸気圧? そう呼びましょう。それを動力にすると言いましたね。これどうやって?」
「え? それは……魔法で」
「何故?」
「えっ。…………魔法でできるからではないでしょうか?」
「いいえ、それでは理由足りえません。仮にこの設計図通りのサイズの機構を継続的に動かすだけの蒸気圧を魔法だけで生むには加熱、反応物精製、水の精製と最低3人が必要になります。それもある程度の精度を長時間続ける必要があり、それを為すにはそれこそ『二つ名』持ちでないと難しい。人種の飛行魔法が普及しないのと同じですね。可能な限り魔法を使わない方がいい。少なくとも地域に応じて物理的に代用できるものは代用するべきです。水などは分かりやすいですね。施設……というよりもう工場ですね。そこに水路なり専用の大型水道を敷設すればいい。反応物は……元々はどんなものを作るつもりで?」
「…………せ、石炭と同じ性質をと思っていますわ」
「ふむ? ……なるほど確かにあれは可燃性が高い。わりとどの地方でも採れますが、帝国では暖炉の燃料にするくらいしか使い道はないし、暖を取るだけなら薪や魔法で十分だから需要もほぼゼロに等しく極めて安価ですね。市場にもほとんど出回らないし、各地からかき集めてもさほど負担ではない。………………他の物質ではダメなんですか?」
「はい!?」
「瞬間的に水を蒸発させ圧力を生むならある程度の耐熱性のある物質ではダメなんですか? 例えば純粋な薪、鉄や木炭。或いはより可燃性の高い合金は作れませんか? 石炭は閉所で加熱すると重度の火気酔い――空気が淀み、意識を失って最悪死に至る、ないし様々な病になることが多い。これがいまいち使い道がない理由の一つで、単に火を燃やすよりかなり酷いし、亜人連合のドワーフは『穢れ』と忌み嫌ってさえいますしね。動力の資材として使う場合は、各地の埋蔵量の正確な調査が必要ですし、そうなると国が絡んできますね。それの見通しないし、予定は?」
「い…………いえ。考えが及ばす……」
「ふむ。いいでしょう。どこでも取れる水と作れる火と違い『何を燃やすか』というのは難しいですね。石炭は悪くなさそうですが、或いはもっと他に良い物があるかもしれません。分かりやすいのは火を扱う魔物の生体器官、それこそ火竜の火炎袋は効率が良いですが……ふむ。危険は伴うし、需要も高く高価、場合によっては生態系も崩しますね。魔獣由来にするとそこの危険が高く……なんならそもそも製粉所とかの水車を大型化して動力にする? 水車を高速回転するだけなら魔法の強度の必要性も低い。どう思いますか?」
「…………………………」
「……………………あ」
そこでようやくトリウィアは気づいた。
目の前の赤毛で、妖艶な体つきの美人が顔を真っ青にして目に涙を浮かべていることを。
「す、すみません。つい知識欲が……悪い癖ですね。えぇと……珈琲、飲みます?」
「うぅ……い、いえ。勉強になります。…………ミルクと砂糖をたっぷりお願いします」
注文ができるくらいなら余裕か、と思ったが言われた通りに用意した。
これがかつて帝国学会や見合い相手を泣かして歌わせたトリウィア・フロネシスという女である。
未知に対して知識欲が止まらなくなり、質問が溢れ出す。
別に責めるつもりはないのだが、普段無表情で透き通ったような、しかし冷たい声で訥々と問われると大抵の相手は精神が崩壊するらしい。
学園に来てからは抑えていたが―――アルマは根気よく付き合ってくれる―――ヘファイストスが持ってきたものは衝撃的だった。
トリウィアが全く「知らない」、未知のものだったから。
「ふむ……」
ゆっくりとヘファイストスが珈琲を飲む姿を眺めつつ、自分もブラックのそれを飲む。
「こほん。失礼しました。それでは話の続きを」
「えぇ。いずれにしてもこの技術と発想力、素晴らしい。素直に賞賛させていただきます」
「おほほ、光栄ですわ」
●
なんて会話をしているけれど。
輪転印刷機の設計図も、タイプライターの作成も。
そのどちらも――――ヘファイストス個人の知識や技術ではない。
「これだけの技術、帝国の商会ギルドの認可がいると思いますが……」
「ご心配なく。既に確保しておりますわ。後は実際に生産するだけです。書類もこちらに」
「なるほど、流石ですね。後は国との連携ですが……これはどうしても時間がかかりそうですね。私も指南書の仮まとめを作ったらこれは消せあれは消せと各国からの修正が多かったですしね」
「仕方ないことかと。それで反乱を起こされても困るでしょう」
「帝国としては、それで反乱を成功されるような貴族は貴族足りえませんけどね。私としては知識は広げるのでその後の政治に関しては本職に任せるだけです。後は個人的にこの打鍵器はいくつか同じものを著名人に貸し出しなり購入なりしてもらって使用感を広めて欲しい所ですね」
「おほほ。今まさに、1人から最高の感想を頂きましたわ」
そもそもの話、ゼウィス・オリンフォス/ゴーティアは去年の段階でこの世界に牙を剥く予定ではなかった。
さらに数年かけてこの世界に布石を打ち、その上で食らう予定だったのだ。
それが魔族信仰教徒であり、聖国におけるヘルメスであり、そしてヘファイストスなのだ。
彼が死したとはいえ、残したものはある。
例えばそれは輪転印刷機のような異世界の技術であり。
――――≪
それは設計図と材料さえあれば、即座に完成系を作り出せるというものである。
輪転印刷機は素材が大量にいる上に持ち運びもできないが、タイプライター程度なら簡単だ。
そしてこの場合、今トリウィアに渡した商会ギルドからの認可書類。或いはかばんの中にある各方面との契約書。
その全てを、彼女の異能で捏造できる。
本来偽装不可能なはずの魔法印でさえも偽造可能であり、それにより商人として圧倒的なアドバンテージを得る。
加えて後から問題になろうものならば、それぞれの責任者の下に直接行き、彼女自身のその肢体を以て後から本物を用意すればいい。
それを可能とするだけの訓練をヘファイストスは受けている。
そもそもヴァルカン商会なんてものは存在はするが名前だけのものであり、設立してから3年実績はゼロである。後から商会ギルドの重役の何人かを篭絡し、一応のそれらしい経歴を後付けしただけ。
偽造とハニートラップのスペシャリスト。それがヘファイストス・ヴァルカンという女だ。
尤もハニートラップがまさかの方法で通用しないディートハリスには困ったし、真顔で詰問してくるトリウィアは怖かった。
トリウィア・フロネシス。
あまりにも恐ろしい。
ゴーティア由来の知識と実物でアドバンテージを握るはずだったのに、設計図と実物を見せただけであそこまで考察と質問が広がるとは思わなかった。
ちょっとしたトラウマができたので今後は避けたい所だ。
ヘルメスが聖国で石油を確保していたら、もっと別の技術を用意していたはずなのだが、ある意味そうでなくてもよかったかもしれない。
ヘファイストスはゴーティアが残したメモ程度の知識しかなく、『こうなる仕組み』は解っても『どうしてこうなったか』までは把握していないのだから。
いずれにしても。
ここまでは一先ず良い。
問題は、
「トリウィア様」
「はい」
「もう一つ、あなたに協力していただきたいことがあるのですが―――――」
この要請だった。
●
ヘファイストス・ヴァルカンが部屋から去り、彼女はソファに仰向けで倒れこんだ。
白衣が広がり、十字架のペンダントが鎖骨を滑り、気にせずに煙草を吸う。
研究によっては気絶することさえある彼女からすればベッドではなく、ソファだけで十分休息が取れる。
使い込み、独特の光沢を持つブラックレザーに包まれた足を投げ出しつつ、大きい尻をずらして寝心地を調整する。
胸はあまり大きくならないのに、尻だけ大きくなってしまった。
「ふぅーー……」
煙をゆっくりと吐き出す。
煙草を持った額に手を当て、目を閉じ思うことは多い。
いくつもの事実と推測と情報と疑問が目まぐるしく回り続ける。
ヘファイストスの技術は革新的であり、そしてその重要さ故に部外秘となったので、とりあえずアルマに相談することも避けたい。
空気は冷たかった。
青と黒の瞳は薄く開き、中空をぼんやりと見つめている。
差し込む夕日に気怠げにに倒れている彼女をさらし、一種絵画のようでもあった。
しばらくの間、煙を吸う以外の動きは無く時は流れ、
「…………どうぞ」
ノックの音に反応する。
開いた扉から顔を出したのは、
「トリィ、話が………………はしたないですよ」
「ここは私の研究室ですから」
トリウィアの母、アイネスだ。
家族だけが使う愛称で呼んだ娘の姿に眉を顰めつつ、それ以上は言わなかった。
ただ、言わなければならないことを告げた。
「トリィ……アンドレイア家との婚約が決まりました」
「そうですか」
別に驚かない。
家としてディートハリスとの婚姻を選ぶのは当然だ。
ディートハリスが話を持ちかけてから少し時間が空いたが、それはきっとトリウィアに心の整理をつけさせるために母が気遣ってくれた時間だったのだろう。
結果は最初から分かっていた。
「そんなことよりも」
体を起こす。
そう、そんなとっくに知っていた結果よりも。
「お母様、聞きたいことがあります」
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