アマチュアズ・クエッション その1


「失礼しますわ」


「あぁ……はい。ヘファイストス・ヴァルカンさん、でしたね」


「えぇ。今日はお会いしてくださり感謝を。トリウィア・フロネシス様」


 ウィルがディートハリスと教会にいる頃、トリウィアの研究室にヘファイストスは訪れていた。

 ダークスーツに黒のコートを羽織った女の片手には大きなカバンが。

 

「こちらにどうぞ」


「はい」


 普段ウィルたちが使うソファではなく、机の正面に既に用意されていた椅子に。

 正面から向かい合う二人の邂逅はこれが初めてであり、そして事前に公式にヘファイストス、ヴァルカン商会からトリウィアに商談を取り付けていた。

 その内容は、


「早速ですが本題を。私の研究に関する商談ですね」


「はい」


 トリウィアの研究、即ち系統魔法の発動パターンの体系化とその普及だ。

 この世界のあらゆる技術は細分化された系統魔法によって支えられ、そしてそれは国、種族、地域、文化、気候によって似ているものもあれば、全く違うものもある。

 砂漠の聖国では体温を下げたり気流の調整、直射日光の減衰のような暑さ対策が日常的にあるし、一年の半分が冬の帝国では逆に体温保持、熱の発生を目的とした寒さ対策が同じようにある。

 或いは連合の亜人種は保有系統は少ないが、それぞれの種族特性に合わせて魔法の用途が先鋭化されている。

 勿論、ごく一部の亜人――例えばフォン――が持つ高位獣化能力や、鬼種は生来極めて頑強な肉体や耐毒・薬物・酒精、或いは人種の一部が同じ系統保有者が続く場合発現する固有魔法等、模倣できないものもある。

 

 それでも細分化されすぎた魔法をより明確に体系化し、普及させればこの世界の技術の下地は明確に補強される。

 系統魔法による技術文明レベルの底上げ。

 それがトリウィアが行おうとしているものだった。

 

 アクシオス魔法学園に滞在する5年かけ、世界最高学府で各地に伝わるものをかき集め、分析しし続け、そしてそれは一通りの区切りを見せている。

 しかしそれで全て問題ないというわけではない。

 その大きな問題の一つが、

 

「貴方の商会なら今の私の予定よりも安価かつ迅速に紙の安定供給と製本ができると?」


「いくつかお互いに歩み寄ることができればですが」


 即ち、どうやって広めるか、という問題である。

 単純な話、本にしてまとめて各地に広めたのなら簡単だ。

 だが、地域によっては識字率の低さが問題となる。各国の中規模以上の都市でなければ文字の読めない大人だって珍しくない。

 そうなるとそもそもの話、簡単な読み書きの指南書も付属する必要が出てくる。

 結果、物量的に大量の資材と識字率の向上が研究の結実には必要なのだ。


 幸いにも今アース111の主要国家は共通語が用いられており、別の言語を学ぶ必要性はない。精々皇国の天津文字が現役なくらいだ。


「まずは……そうですね、こちらを見ていただければ」

 

 持参したかばんから丁寧にまとめられた書類の束を取り出し、トリウィアに差し出す。

 

「ふむ……」


 受け取りながら、煙草を咥え火をつける。

 そして、ページをめくり、


「……!」


 青と黒の目が見開かれた。

 トリウィアの表情にヘファイストスは笑みを深め言葉を続ける。


「貴方の研究の問題は3つ。そもそもの内容、識字率、本そのものの生産。内容は言うまでもないですし、識字率に関してはやはり指南書を貴方が作るなら問題ないでしょう?」


「……えぇ。各国に各地に国営の教育機関を作る様に打診しています」


「ならば、最大の問題は物量的に、。特に素材である紙と印刷と製本の量的問題は、トリウィア様独力では解決しない。系統魔法の汎用性を高めるということはこの世界の誰もが望み、しかし現実的ではなかったので諦めながら、貴女が知識的には実現しようとしているのに」


 紙というものは高価である―――というだけでは不正確だ。

 より正確に言うならば、大都市ないし、紙の使用率が高い場所では安価だし、そうでない田舎やへき地の村や小さな町にもなればそもそも紙の使い道がなく、流通量も少ないので結果的に高価になる。

 

 例えば王都では紙は非常に安い。商売が盛んであるし、王城では様々な公務のために大量に使用され、学園では勉強用に必要になるので、紙の生産を専門とする貴族コウムインもいる。

 需要に対応した供給があるため故の安価さだ。

 逆に、日常生活において紙を使用しない田舎の農村ではそもそも使われない為に高価になってしまう。需要がなくても流通の都合上、高くならざるを得ないのだ。

 凡そこれは、大体どのアースでも変わらない。


「私から歩み寄っていただきたいのは紙の素材ですわ。聞けばトリウィア様は一年前ほどにエルフ族の方々と交友を深めたとか」


 ぴくりと、書類をめくっていたトリウィアの手が止まる。

 

「……詳しいですね」


「商人ですから。情報は命に等しい。私がお願いしたいのは紙の素材をエルフ族も通して供給してほしいということです。何分、我がヴァルカン商会は設立してまだ数年、おまけにこれまでは大した実績もなく、やっと軌道に乗り出したかと思えばオリンフォスに保護されたということで業界から白い目で見られていますし」


「理解はしています」


「感謝を。……私は冶金関連は詳しいのですが、林業となると門外漢ですし、材質に関してはエルフ族に任せた方が確実でしょう?」


「そうですね。私も元々そのつもりでした……」


 言いつつも、視線は書類にくぎ付けになり、ページをめくる指が動き出す。

 その様子を見ながら、ヘファイストスの笑みは濃くなった。


「そして紙の生産が安定したら、次は配布する本の生産。各国各地に数冊程度ならば今でも可能でしょうが、トリウィア様が望む誰でも平等に、世界中がとなると今ではまるで追い付きません」


 だからと、赤毛の女は妖艶にほほ笑む。

 トリウィアに渡したもの――――それは設計図だ。

 

、これが活用していただけるかと」


 それは、


「現在主流のグーテンベルク氏が開発した印刷機よりも200年、いや300年は先に行くものかと思いますわ」


 現在アース111において、活版印刷技術というのは50年前、ヨハネス・グーテンベルクという帝国の技術者が生み出した印刷機のことを指す。

 文字の形に鋳造した活字を組み合わせて文章を作り、それにインクを塗布した上で紙に押し付けることで印刷するというもの。

 これによりそれまで本といえば手書きによる写本だったが、印刷速度や精度が飛躍的に上昇し帝国や王国を主に瞬く間に広まった。過去の写本は再作成が行われたし、トリウィアの研究室に大量にある学術書もそれによって作成されたものだ。


 それについて知ったアルマが苦笑していたのがトリウィアには印象的だった。

 なんでも他のアースでも活版印刷について技術革新をするのは同名の人物であることが多いらしい。

 平行同位体ドッペルゲンガーとかなんとか。

 トリウィアは知らないことだがアースゼロにおいては実際に15世紀ごろに開発され、世界三大発明と呼ばれるものでもある。

 

 けれど。

 今ヘファイストスがトリウィアに提示した輪転印刷機と打鍵印字機タイプライターは―――言葉通り、アースゼロでは18世紀から19世紀にかけて生み出された技術のことである。


「印刷機は輪転の名の通り、活字を円筒に沿うように置き、同じく円筒状に巻いた紙片を高速回転しながら印刷するものです。動力は水が蒸発する際に生じる圧力、蒸気と呼んでいますが、それで行います」


「……高温の物質と水が接触した時、確かにかなりの衝撃波を生みますね。それを安定させて動力とさせると?」


「はい。流石トリウィア様、察しがよろしいですわ」


「…………ふぅー」


 詳細は聞き流しながら紫煙を吐き出し、


「打鍵印字機、というのは。共通文字の26字を盤上に並べ、押せば対応した文字が用紙に印刷される。それでいいですか?」

 

「はい。というより、実際にご覧になったほうがよろしいかと」


 大きなカバンから取り出したのは。

 数字と共通語26字が四列に並んだ打鍵盤とそれに繋がった活字機構、紙を受けるローラーが組み合わさった個人用タイプライターだった。

 かなりの重みがあるのか、ヘファイストスは両手で持ち上げ、置けば机に鈍い音が響く。


「―――――」


 トリウィアの顔が驚きに染まる。


「どうぞ、お触りください。我が社の技術のお披露目と思ってもらえれば。あぁ、紙はこちらに装填します」


「……では」

 

 しばらくの間、トリウィアはタイプライターを見つめていた。

 そして、キーボードの「T」を押せばという音と共に機構がスライドしながら動き、紙にそのまま「T」が刻印される。


「………………」

 

 煙草が灰皿に押しつぶされる。

 両手をキーボードに置き、たどたどしい動きで文字盤を押し込む。

 「Trivia」と刻み、


「…………改行は可能ですか?」


「レバーが横にずれたでしょう。それを戻せば可能です。紙の横幅限界まで行けば、ベルが鳴る仕組みです」


「なるほど」


 言われた通りにすれば、小気味のいい音と共に紙が上にずれた。

 しばらくの間、打鍵と印字機構の駆動音だけが部屋響いた。

 トリウィアの表情は変わらず、しかしタイプライターの動きから目を離さない。そんな彼女をヘファイストスは勝ち誇った笑みで見据えていた。

 そして数行記した後、彼女は新しい煙草に火を点ける。


「ふぅぅ………………素晴らしいですね」


「ありがとうございます。こちらの打鍵機はトリウィア様のような高貴な方向けのものとして少数生産をする予定でして……」


するべきはこちらでは」


「………………はい?」

 

 再現? 妙な表現に引っかかったが、青と黒の二色はタイプライターから外れず、独り言のように言葉が続き、


「印刷機の方は大都市に専門の印刷所があれば識字教育が世界中に完了するまでは十分。しかしこれがあれば完璧な清書ができる。写本の最大の問題である書き損じや癖字による内容伝達の誤差は消えるし、文字の学習も圧倒的に早くなる。中規模以上の街にいくつか置くだけで代筆屋のような仕事の効率も飛躍的に上昇しますし、そうでなくても在野の研究者の研究の発表や伝達も正確にできる。知識や情報が正しく伝わるだけのことがどれだけ貴重か。写本の誤字が誤字と認識されず伝わり、誤字を見つけたら執筆者と写本師の著作を全て参照して訂正するだけでも膨大な時間がかかるし、それを指摘して修正版を出したら印刷所でまた間違いが出るとかも無くなる―――」


「あ、あの」


「素人質問で恐縮ですが」


「はい!?」

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