スマイルズ・ミーン その2
「……………………なんて?」
「ふっ……聞いていなかったか? 俺は童貞だ。なので閨を共にすると本気にするぞ。立場上第一夫人はトリウィア・フロネシスになるので第二夫人か愛人にさせることに……」
「いえ。いや、そうではなく」
ヘファイストスは困惑した。
目の前の男が何を言っているのか。
笑う所か? と思い、
「…………貴方が? 七大貴族の次期当主でもあるディートハリス様が? てっきり使用人や社交界で遊んでいるものと……」
「何を言うか。避妊魔法は極めて精度が高いが絶対ではないのだぞ。避妊魔法があるからと気を抜いて、親族に手を付けて流血沙汰になったり、それこそ跡継ぎ争いになった話なんていくらでもあるからな。俺は結婚相手としか閨には招かんし、夜の手腕に関しては相手に手ほどきしてほしいと常々思っている」
「そんな妄想は聞いてないのだけれど……」
「というわけで俺にその手の誘惑はやめてくれ。理性が揺らいでしまう」
「揺らぐんだ……」
「君は美人だから。揺らぐとも」
「……そう」
褒められて悪い気はしないが、想像していた空気は全く違うものになってしまった。
気を取り直すように彼女は首を振り、
「こほん……何にしてもトリウィア嬢と婚姻し、その後はどうするの?」
「うん?」
「あれだけの美女。それこそ卒業相手にふさわしいのじゃないのかしら。すぐに帝国に連れ戻したりとか」
「ふむ。確かに彼女は実に良い尻しているが」
ゆらりとグラスの中のワインが揺れる様を見たディートハリスは小さく頷く。
「――――そんなことはしない。俺は、彼女の行動を縛るつもりはないよ」
「…………どうして?」
「簡単だな。彼女は俺の器に収まる女ではないよ」
応えは、大貴族の次期当主としては聊か情けないとすらいえるもの。
彼の言葉にヘファイストスは眉を潜め、たいしてディートハリスは彼女に対して肩を竦めた。
「確かに俺は23系統を持ち、アンドレイア家の当主として鍛錬を積んだ。学園の生徒会に食い込める可能性も高かっただろう」
だが、
「トリウィア・フロネシスには全く届かんな。ついでにいえばウィル・ストレイトにも。全く、彼らの見合いに口を出した時はビビったものだ。正面から戦えば、俺は数分とかからず彼らに屈し、その靴を舐めて許しを請うしかなかった……ふっ」
「…………全く笑えるような話ではないのではなくて?」
「知らんのか? とりあえずこうして意味深に笑っておけば精神的だけでも外面を保てる時もある。どうせ他人の靴を舐めるなら惨めに舐めるよりも優雅に…………フッ!!!!!」
「………………えぇと。とにかく、トリウィア・フロネシスに関して結婚しようと貴方は放置しておくと?」
「うむ。是非好きに研究をしていてくれればいい。系統魔法の互換性の普及、大いに結構。課題は多いが時間をかけて世界はより発展するだろう。跡取りさえ生んでくれれば、彼女がどうしようと構わん」
トリウィアを物として扱うというよりは。
ただの事実を並べる様に、彼は言う。
支配欲や独占欲は欠片もない、ただの義務感だけの言葉。
「子を為すことは我ら帝国貴族に課せられた義務なのだからな。俺も、彼女もそれからは逃れられん」
「……純粋な疑問で、私が言うのもなんなのだけれど。彼女の研究、平民の魔法を強めてしまう。それは帝国貴族にとって都合が悪いのではなくて?」
「うん?」
「だって、帝国は仮にも実力主義を謳っている。平民が力を付ければ、或いは地位が逆転することも……」
「それで逆転する貴族など、貴族ではないよ」
つまらなさそうに彼は答えた。
どうしてそんなことを聞くのかと言わんばかりに苦笑し、
「我々帝国貴族は数百年の時かけて血統を収束し、読み書きや計算、平民では一歩踏み出すことさえ難しい高度な教育を受け、それぞれがそれぞれ貴い血として相応しい実力を身に着け、発揮した―――だから我々は、帝国において貴族足りうるのだ」
貴いから貴族なのではなく。
実力があるからこその帝国貴族であると彼は言う。
感情を基にしない婚姻と品種改良。
平民では受けられない高度な教育。
貴族同士は政略を以て足を引きあうが、見方を変えればそれはある意味淘汰にも等しい。
強い者だけが残り、そしてその結果が現在の七大貴族に他ならないのだ。
故に、トリウィアの研究が平民に実力を付けようなどと関係ない。
「むしろ、我々がより力をつけるだけだ。富は富を、権力は権力を、力は力を生み、特権は継承される―――それが貴族というものだからな」
そして彼は苦笑し、
「ともあれ、トリウィア・フロネシスは俺の手に余る。俺は俺の実力と権力を把握しているが、しかし彼女はそれを上回る傑物だ。だから、別になにをしようと構わん」
「……そう」
「うむ……あぁ、そうか。彼女との商談の心配か。うぅむ……それは……現状では口利きできるかどうかだな。紹介は勿論できるが……」
「あぁ、いいえ。いいのよ、それくらいは自分でやるわ。なにも問題はない」
問題がないわけがない。
ヘファイストスは内心歯噛みする。
彼女には彼女の目的がある。
ディートハリスをそそのかし、トリウィアとウィルの婚姻を潰したとこまではいい。
けれど、これで終わるのはダメだ。
ただ婚約を邪魔し、新たな婚姻を結ぶのだけでは足りない。
―――――ヘルメスの≪水銀蛇の杖≫があればよかったのにと、彼女は思う。
少し前、聖国で石油を手に入れる為にクーデターを起こそうとしていた同胞とは、ウィルとバルマクの戦いの日から連絡が取れなくなった。
それも問題だが、現実的に直面する難題として、相手を洗脳し思い通りに動かす洗脳の魔法具≪水銀蛇の杖≫を失ったのは大きな問題だった。
ディートハリス・アンドレイアと改めて話して見て分かったが、それなりのアホだ。
だが、しかし愚かかどうかと言われると困るし、色仕掛けもできる気配がない。
帝国貴族らしい物言いはするし、貴族らしくない言動も平気でやる。
彼なりの基準があるのだろうが、まだ付き合いが浅いので判断もしきれない。
ここまで厄介だとは思わなかった。
だが、しかしヘファイストスにはヘファイストスの目的があり、それにディートハリスが最も都合が良かったのである。
故に、
「ふふっ」
「? ―――ふっ」
ヘファイストスは今後の策略を巡らしつつ妖艶に笑い。
ディートハリスは笑みの意味が解らなかったのでとりあえず不敵に笑っておいた。
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