スマイルズ・ミーン その1


「全く……好き勝手やってくれましたな、御祖母様」


 王都のある貴族向けの高級宿の一室にてディートハリスは額に手を当て、息を吐きながら自らの祖母に苦言を呈した。

 対面に座る、実年齢よりも老いた老婆の顔色は良くない。


「ディート……私も彼も、貴方の立場を脅かすつもりは……」


「あれば内乱ですよ。いえ、なくても関係ない」


 青年は呆れたように首を振る。

 

「俺も数年かけて立場の土台を固めましたが、それでも今回の婚約はそれを揺らがせる可能性があるものです。離縁しているとはいえウィルは直系であり、王国の新鋭、皇国女王の婿、聖国の救世主。そんな彼がフロネシス家の長女と婚姻を結ぶ意味、想像できなかった御祖母様ではありますまい」


「……」


「…………まぁ。伯母上の一件もあり、彼に良い相手をと思う気持ちも理解しましょう。祖母を責めるのも、俺としては良い気分ではない。苦言に関してはここまでとします」


 けれど。

 ディートハリスはウェルギリアに告げる。

 

「トリウィア・フロネシスとの婚約は俺が貰います。幸いというべきか、ウィルは断っている。後はアイネス様の返答次第ですが、。これは次期当主としての決断です。……異論はありませんね?」


「…………えぇ」


 ウェルギリアは何も言わない。

 祖母と孫という関係ではあるが。

 次期アンドレイア家の当主、それも実権の大方を握る彼と現当主の妻では決定権がまるで違う。

 実際の所、ウェルギリアに一族の未来に対する決定権は持ち得ていないのだ。

 

「ウィルには……そうですね。近日中に俺から告げましょう。会うなとは言いません。ですが、婚約か家に関する話はないようにお願いします。ただ、祖母と孫として仲を深めてください」


「……解ったわ。……ごめんなさい、ディート」


「もういいです。結果的に見れば、トリウィア・フロネシスとの婚約に辿りつけました。それが我が家に与える恩恵は大きい。それでは俺は寝室に戻ります。帝国からの旅路はそれなりに堪えましたし。……おい、御祖母様も寝室にお連れしろ」


「はっ。若様は……」


「俺は良い。部屋に戻って休むだけだ。ここは帝国ではないからな。着替えも自分でやるさ」


 声をかけたのは壁で控えていた数人の使用人の1人だった。

 帝国貴族の使用人は王国の貴族が呆れるほどに多い。

 一つの屋敷に数十人の使用人がいるのが帝国式だが、王国では十人もいれば多い方となる。 

 日常生活における凡そ全ての雑務を使用人に任せるのが帝国貴族だし、雑務において自分の範囲を超える分だけを任せるのが王国貴族でもある。

 当然、ディートハリスも自分の家や領内では使用人にあれこれ任せているが、此処は王国。

 郷に入っては郷に従えという考えはアース111にも存在する。

 

「御祖母様、それでは」


 短く言い残し、使用人が開いた扉を通り自室に戻る。

 与えられた部屋は広く、ベッドやソファ、テーブルは最高級とされるドワーフ製ではないが高価なものだし、備え付けの小さいとはいえ風呂もある。

 尤もそれらは帝国のディートハリスの部屋に比べれば掛かった費用も広さも半分にも満たないのだが。

 

「……」


 1人部屋に戻った彼は、上着を脱ぎ、丁寧にクローゼットにかける。

 そしてドアにバスルームも含めて全ての窓が施錠をされているか一つ一つ確認した上で、防音の魔法を発動した。

 完全な密室になったことを確認し、



「よっしゃこれで一先ず安心だああああああああああああああああああああ!!」


 拳を天高くつき上げた。

 






「ふっふっふ……ウィル・ストレイトとトリウィア・フロネシスが婚姻とか聞いた時は最悪の可能性を想像して倒れかけたが! 帝国から馬で飛ばして未だにかなり尻が痛いが! それでもなんとか……なんとか峠を越えたと……言って、いい……!」


 不敵に笑いながらディートハリスは臀部を抑える。

 通常帝国貴族の、それも大貴族ともなれば移動は最高級の馬車だ。だが急いでいたディートハリスは数人の使用人と自ら馬を駆り王国に渡ってきた。本来まずない強行軍は彼の尻に甚大な被害を与えていた。

 正確に言うと臀部だけではなく、腰や太ももも厳しいのだが。


「ふっふっふ……」


 彼は顔に手を当て、


「はーっはっはっはっは――――はぁ」


 一通り笑った後、ソファに沈み込もうとし、


「おっと」


 いそいそと事前に使用人に用意させていたワインを自らグラスに注いで、ついでにつまみであるナッツ類の小皿も手に取ってから、今度こそと言わんばかりにソファに沈み込んだ。

 ワインを一口。


「ふぅん……王国産は少々深みが足りないが、気分が良いので良いとしよう、フフフフ……」


 そして、


「ご機嫌ねぇ、ディートハリス様」


 完全に脱力した彼に女が声をかけた。

 密室だったはずの部屋にいつの間にか現れていた。

 ダークスーツに、ワイシャツを第二ボタンまで空けた妖艶な雰囲気を滲ませる美女。炎のような赤い髪、艶めかしい右目元の泣き黒子。長身かつ豊満な体つきは、仕事のできる、けれど女としての魅力も最大限に保たせていた。

 街中で歩けば、男なら誰もが振り向く様な美貌をしているのに、ディートハリスはいつからいたのか、いつ現れたのかわからなかった。


「―――ヘファイストス」


「はぁい。お邪魔しているわ」


「ふっ……いきなり声をかけるな」


 彼は笑みをこぼし、


「――――びっくりしてちょっとワイン零した」


「え? あ、その……失礼? 弁償しましょうかしら」


「構わん。フッ……知っているか? 衣類のシミは柑橘の果汁と洗うと落ちるらしいぞ? 使用人が言うのを聞いてた。良い機会なので俺もやってみるとしよう」


「はぁ」


 とりあえず水につけておくか……と、フリル付きのワイシャツをバスルームに持っていき、しばしの間待ち、簡素なシャツになっただけのディートハリスが戻ってくるのを待ち、


「……いいかしら?」


「うむ。いいだろう」


「こほん―――おめでとうございます、ディートハリス様。一先ずの目的は達成できたようで、ビジネスパートナーとしては嬉しい限りよ」


「ふっ……こちらこそだ。ヘファイストス、君が御祖母様の独断を知らせてくれなければ、俺がこの件に手を出せなかっただろう。感謝している」


「いいえ、いいえ……私の相手をしてくれたのはディートハリス様だからこそ」


 何故なら、


が社長の我がヴァルカン商会―――もはやどこも相手をしてくれないもの」


「ふむ」


 自嘲気味のヘファイストスに、ディートハリスは小さく頷いた。


「確かに。各国では秘匿されているが彼の英雄の真実について、噂というのは出回るものだ。―――魔族信仰派やそれに類するものとの関係を疑われても仕方あるまい」


「正確に言うと養子ですらないけどね。あの人が後見人だったというだけ」


 ヘファイストス・ヴァルカン。

 大戦の英雄にして、その後、魔族に体を奪われ王国の魔法学園を襲ったゼウィス・オリンフォス。

 彼女は彼が保護した子供の一人である。

 魔族に乗っ取られてはいたが、表向き彼は英雄として相応しい行動をしていた。学園の学園長として見込みのある子供をスカウトすることもあれば、孤児を保護し、生活の支援や仕事の斡旋もすることもあった。

 そういう子は何人かおり、ヘファイストスはその一人。


 息子と呼ばれたのは――――ただ1人だけだ。


 勿論、英雄の真実は最重要機密であり、帝国でも七大貴族の当主級の地位しか知りえない。

 

「だけれど、人の噂は防げないもの。当事者である王国やこの手の噂話に疎い連合や聖国ならともかく、帝国でも真偽不明の噂は広がった。噂でしかないとしても、同時期に我が社が査問されたのは事実。状況的に判断しても不思議じゃない。実際うちの商社はあっちこっちと契約を切られたもの」


「だが、正義を司るデュカイオス家の憲兵が調査をし、法と審判のソフロシュネ家が問題ないと判断した。ならば、今更お前たちを怪しむのは両家に対する侮辱というもの」


「ふふふ、そう言ってくれる人は中々いなかった。ま、我が社なんていいつつ設立してまだ数年でやっと軌道に乗り始めたばかりのペーペー会社だったのだけれど」


「ふっ……万里の道も一歩からというものだ。そしてその一歩目を踏み出せるかどうかは貴賤を問わず、賞賛されるべきものよ。実際俺はヘファイストスが声をかけてくれたから助かったわけだしな……おっと、お前も飲むか?」


「いただくわ。七大貴族の次期当主からお酒を注がれるなんて、人生分らないものね」


 機嫌よくディートハリスは、新しいグラスにワインを注ぎ彼女に手渡す。

 

「ふふっ……ディートハリス様の成功に」


「ふっ……ヘファイストスの成功に」


 乾杯と、軽くグラスを鳴らし、共にグラスを傾ける。

 そしてヘファイストスはペロリと唇を舐め、囁くようにディートハリスに語りかけた。


「どうかしら、ディートハリス様? せっかくの祝いごと。少し……そう、少しばかり、楽しんでも」


 言いながら彼女は自らの太ももをゆっくりと撫で、タイトスカートを少しだけめくる。

 黒のスカートとは対照的な真っ白な肌と肉感的なむっちりとした太ももは男の情欲を誘うもの。もとより開けられたシャツから覗く深い谷間も言うまでもなく。

 そんなあからさまの誘いに対して、


「ふっ……ヘファイストス。あまり挑発してくれるな」

 

 笑みをこぼし、


「――――俺は童貞だ」



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