トリウィア・デ・ヴィル その1


「ぬぅぅぅぅ……」


 珈琲の香りが漂うトリウィアの研究室に、その部屋の主の唸り声が響く。

 定期的にウィルが片づけをしている部屋は現在小綺麗に片付いている。

 彼女の執務机と椅子はどちらも帝国産の最高級木材を使ったドワーフ製で使い心地や機能性に長け、一見して重厚な雰囲気を醸し出す逸品だ。

 しかし今、彼女は整った顔立ちをしかめ、中空に指を突き出して震わせていた。


「流石に、困ってるみたいだね」


 そんな彼女に苦笑するのはソファで本を読みながら、ノートにメモをしていたアルマだ。

 手にしていた『王国貴族史~如何にして王国貴族は王国貴族であるか。初代国王による金儲け封鎖方法あの手この手~』を脇に置く。


「手ごたえがないわけじゃないんだろう?」


「ないわけではないですが。―――アカシック・ライト。力の存在は感じますけれど、どうにも引き出すことができないですね。参りました」


「感じるだけで大したものさ。最初の一歩が一番難しいものだしね」


 トリウィアがアルマからアカシック・ライト、マルチバースにおける世界法則の干渉と限定的な現実改変による魔法を学び始めて数か月。

 アカシック・ライトという存在を感じることはできたが、しかしアルマのように引き出すことはできないという状態だった。

 当然、それは簡単ではないし、アルマはアカシック・ライトの火花を出すだけで10年かかった。

 そう思えば、トリウィアができないのも無理はないが、


「それにしても、詰まっている理由は難しい以外にもありそうだけど」


「……分かりますか?」


「そりゃあ。今朝からちょっと変だったよ。……ま、最初にウィルが気づいて、言われてみればって感じだったけどね」


「……むぅ」


 それは。

 なんというか、ちょっと嬉しい。


「そうですね……少々どう話したものか迷う所なのですが」


「へぇ。それじゃあ、その話をしてくれたら、僕からヒントを出すとかどうかな?」


「いいでしょう」


 別にそこまで隠す話でもないので頷いたら、アルマに半目で見られた。

 大した話でもない。

 一つ息を吐き、煙草を咥えて火をつける。

 煙を吸い込み、掃き出し、


「………………あ、珈琲淹れるの忘れてました」


 パチンとアルマが指を鳴らした。

 いつの間にか、目の前に珈琲が置かれていた。


「おぉ、ありがとうございます。ほんとに便利」


「いいから。変に気になってきただろ」


「大した話じゃなんですけど」


 トリウィア好みのブラックに口を付けつつ、引き出しから一通の手紙を取り出し、彼女に投げる。

 当然、人差し指と中指で挟み、手首のスナップを効かせてかっこよく、だ。

 対してアルマは呆れた顔で肩を竦めながら同じく二指でキャッチするという器用な反応を見せた。

 

「ふむ……紙質はかなりいいね。王都でもわりと高級店でしか見ないな。それにこの十字架の封蝋は……」


「実家からの手紙です」


「へぇ」


 トリウィアの実家。

 つまりはヴィンダー帝国の大貴族であるフロネシス家、そして両親からだ。


「そういえば君は大貴族のお嬢様だったね。長女だったんだっけ」


「えぇ。年の離れた弟と妹が二人がいます。随分と会っていませんし、妹二人は母親は違いますけどね」


「それは……か」


「えぇ。父は妻が三人います」


 一夫多妻制は別に珍しくもないが、扱いは国によって様々だ。

 王国では基本的に自由意志であり、当人同士が納得していれば好きにしてよいという風潮がある。聖国では未亡人や親を亡くした若い娘を保護するためや部族間の関係を作るために第二、第三夫人を迎え入れることもある。共和国では一夫一妻制なのでそこは珍しい。

 対して帝国では基本的に貴族だけのものだ。

 そこでは恋愛感情というよりも


「まぁ、政治と箔付けみたいなものですよ。家の繋がりの為というのもありますけど。基本的に帝国の貴族は暇で、金を使うか恋愛するしかないですから」


「辛辣だね。ま、貴族なんてどこの世界もそんなものさ」


「王国は随分違いますけど。何にしても一度も帰ってないですので5年ぶりですね」


「ふぅん……君はあれかい? 家とは関係良くないのか?」


「ふむ……両親と関係は別に悪くはないんですが」


 ただ、


「入学前に帝国で色々やらかして……」


「えぇ……?」


 白けた半目が突き刺さる。

 どうにもウィルとアルマ、それにフォンからはこういう視線を貰うことが多い。

 アルマはいいとして、ウィルとフォンの前ではかっこいい先輩のはずなのだが。


「あれは、私が5歳のころ……」


「ほう」


「初めて連れて行ってもらった帝国の魔法学会で、当時の学長を3時間質問攻めにして泣かせたのが始まりで……」


「ちょっと待て」


「はい」


「……なんで?」


「悪気はなかったんですが……。初めての帝国の叡智にテンションが上がり切ってしまって。おまけにその学長の発表、その時は『時代を変える!』みたいなことを言ってたのでいろいろ勉強したかっただけなんですが」


「子供の質問だろうと面白がって聞いていたら永遠に終わらず、しかし答えないのは学者としてのプライドが廃るからと答えていたら、気づいたら突かれたくないところを徹底的に深堀された?」


「おぉ……流石アルマさん、見て来たかのように!」


「いや、うん。大体想像できる」


 彼女は嘆息しつついつの間にか手にしていた珈琲を飲む。

 おそらくあれは尋常ではなく濃いやつだ。アルマの珈琲の趣味だけは理解に苦しむ。

 自分の分の珈琲に口を付けつつ思い出す。

 髭を蓄え、豪奢なローブに身を包んだ老人がべそをかいて舞台から引っ込む光景は今思い出すとちょっと面白い。その後すぐに引退してしまったらしいが、どうなったのだろうか。

 

「はぁ……それで終わりなのか?」


「いえ。それから学会に足を運ぶたびに質問攻めをして発表者を泣かせていたら、いつの間にか『トリウィア・トイフェル』……つまりは悪魔のトリウィアと呼ばれるようになりまして」


「ちょっと語呂がいいの腹立つな……」


「その後帝国の軍学校に飛び級で入って同じように先輩を泣かしていたら『悪魔のトリウィア』という歌がプチ流行して」


「ほんとに嫌すぎる……」


「速攻で卒業したら今度は『さらば悪魔よ』という曲が大流行して、今では帝国の学会では研究発表が終わったらそれを歌うのが習わしだとか……」


「い、陰湿……」


 わりとレアなアルマのドン引き表情だった。

 別にそれ自体はちょっと面白いので、トリウィア的には構わないのだが。


「つまりあれかい? 学会で暴れ過ぎて居場所がないと?」


「それもあります」


「まだあるのか」


「まぁ、はい。とにかくそんな感じで10歳で学校卒業して、こっちに来るまでは個人で色々してたんですが。フロネシス家は帝国の七大貴族……特殊な立ち位置ですが、大貴族は大貴族ですし。それなりに縁談が舞い込んで来たんですよね」


「…………まさか、縁談相手の貴族のボンボンも泣かしたのか?」


「結論から言うと」


「君さぁ」


 半目とか呆れとかと通り越したような目だった。

 そういうので興奮する趣味はない。

 御影ではないのだ。


「ふぅ」

 

 煙を吸い、吐き出し、


「いずれにしても、当時では最多系統の持ちということもありましたし、自分で言うのもなんですが、そこそこの人気でした。ただ、じゃあ誰にするかという話になった時、貴族の政治戦面倒だな……と思って」


「思って?」


「申し込んできた縁談相手全員並べて面接をしたんですよね」


「アホなのか?」


「それこそ学会の発表状に並べたら面白かったですね。私より幼い子もいればもう30超えてる大人もいましたし。優越感」


「今初めて君が大貴族の長女だと実感したな……」


 遺憾ではある。

 最も、貴族はそういう恋愛ゲームが好きなのだが。

 それにしたって、面談相手を面接というのは当然異端だった。


「私と討論を行い、当時研究していた魔法理論についての意見を求め、将来設計を聞いて……結局全員泣かしてしまって帰宅しました。やっぱりみんなで『さらば悪魔』を歌っていたそうですね」


「滅茶苦茶広まってるじゃないか……ちょっとしたいじめか?」


「笑えますよね」


 ものすごい口をへの字に曲げると言う珍しいアルマの顔を見れた。

 新しい表情を知れた頃に喜びつつ、


「幸いにも両親は私のことを思いやって、結婚相手を選ぶチャンスをくれました。ですがそんな感じで候補が徒党を組んで私とのさよならを歌い出して、慌てて別に見繕いだしたのですがその時はもう遅く、私の相手に名乗り出るような相手は現れませんでしたと。正直、そういう貴族同士の陰湿なり遠回しなやり取りはうんざりでしたし」


「………………なんというか。君らしいというか。あれか。御影の政略結婚の話で怒ってたのそういうことかい?」


「あれは……少々感情的になりすぎましたね」

 

 少し恥ずかしくなって肩を竦める。

 政略結婚というのは自分自身にとって時間の無駄という印象しかないし、そうでなくてもあの奔放なお姫様が訳の分からない男と結婚なんて面白くなかったという話だ。

 聖国の一件は振り返ると、丸く収まったのでいいのだが。

 ウィルと御影の婚約のことは、トリウィアにとって素直に、そして心から嬉しいことだ。

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