≪新生トライアングル≫天音ナギサ:FILE0

アース572、2045年、9月3日。

 新名古屋、新国際連合直属対FAN特殊部隊≪U.N.I.O.N.≫本部、地下53階。

 

 だだ広い無機質な部屋に男はいた。

 短髪を整髪料で丁寧に整え、スリーピース付きのビジネススーツ姿。外見だけ見れば仕事の出来そうな、清潔感のあるビジネスマン。

 どこにでもいそうな男に対して、問題なのは彼の目の前の光景だった。

 

 移動式の台座に縦に固定された担架、それに縛られ、拘束服まで着させられた上で顔全体を覆うマスクも付けられている。両腕もクロスした上でベルトで固定、その上で担架に繋がっている。

 桃色の髪以外の露出が一切なく、指一つさえまともに動かせないだろう徹底した拘束。音階量子変換技術が発展しているアース572現在では珍しい物理的なベルトで拘束されているが、顔のマスクは耳当てを中心に機械的でもある。

 その上完全装備の兵士4人が囲んでいる。

 聞いてはいたが目の当たりして思わず男は眉を顰め、

 

『―――必要な処置だ、レインボーライン支部の指揮官』

 

 天井に備え付けられたスピーカーから無機質な老人の声が届く。

 

『彼女は強力であるが、しかし我々も手綱を握り切れない。故、全≪U.N.I.O.N.≫支部で最も成果を出すレインボーラインのプロデューサーである君に一任する』

 

「えぇ、解っていますよ。彼女の拘束を解いてください」

 

『……解放したまえ』

 

 彼女の周囲を囲んでいた兵士があわただしい動きで拘束を解いていく。

 全身を縛っていた全てのベルトをほどき、担架から外された。四肢が自由になり、しっかりとした足取りで床に降り立つ。

 彼女を開放してすぐに兵士たちは速足で走り去り、退出した。

 直後、ヘッドホンから電子音が鳴り、ヘッドホン部位を残してマスクが消えて顔が露わになった。

 

 そのヘッドホンがそのまま≪I.D.O.L.≫の歌を≪シンフォニウム粒子≫に変えるコンバーターなのだろう。

 ≪FAN≫。

 Fatal・Animus・Noxious。致命敵対有害生物。

 それに対しては十代少年少女の歌から生み出される≪シンフォニウム粒子≫を媒介にした攻撃でなければ倒せない。

 

「……」

 

 整ってはいるが随分と痩せていた。

 顔中に細かいひっかき傷があり、目元には酷い隈、薄い紫の瞳はひどく濁っている。

 

「…………裏切り、か、新型の、擬態」

 

 ぼそぼそと掠れた声の言葉が質問だと気づくのに、男は一瞬の間を有した。

 

「どちらでもない。俺はプロデューサーだ」

 

「……?」

 

 少女は眉を顰め、噛んだのだろうか、不揃いに伸びた爪でがしがしと頭を掻く。

 

「……誰の」

 

「君の、予定だ」

 

「――――――ひはっ」

 

 ひきつった笑みがこぼれた。

 

「ひ……ひひひっ、ひはははは、ひはは……っ……今更、私にP? 冗談」

 

 ぶつりぶつりと、途切れるような口調。

 声質は光るものを感じるが栄養状態か精神状態か、掠れて聞き取りにくい。

 

「こほっこほっ……ひひーーーおい、どういう、意図」

 

 少女の視線が上に向く。

 澱んだ目は鋭い。

 

『ーーーー必要な処置だ』

 

「ひひっ、そればかり」

 

 スピーカーの声に感情は無く、少女の目も笑っていなかった。

 拘束服の襟が口元まであるために口の動きが解りづらく、壊れたラジオのような喋り方のせいで声が聞き取りにくい。

 それでもプロデューサーは彼女に問いかける。

 

「……君は俺の預かりになる。構わないか?」

 

「構、う」

 

 答え、少女は息を吸い。

 そして、

 

「ふ」

 

 一言目はただの単語。

 たったの一文字。

 

「ふぅぅぅぅぅーーーーー」

 

 それは長い吐息、肺の息を残らず吐き出すような長いブレス。

 

「ーーーーすぅぅぅぅぅぅ」

 

 そして息を吸い、

 

 

「っあ」

 

                        『あ』

 

「うぅぅうううう」

   

              〈あ〉

 

      <あ>

 

                   《あ》

 

            「うぅぅうううう」

 

   ≪あ≫

 

     「うぅぅうううう」

 

 空気が、音が、空間が、軋んで、撓んで、割れていく。

 ただの「あ」という言葉が吐き出されるだけなのに。 

 発声の際の喉の震えが合間に唸り声となり声と唸りが重なり、一つ一つの音量と音階の違いがあるものを生んでいく。

 

 それは音楽だ。

 それも世に楽器も、言葉さえない原初の時代。

 人がまだ霊長の長ではなかったころ。

 風が産み、星が叫ぶ産声のように。

 ただの音が連なることで音楽が生まれていく。

 

「これは……!」

 

 男は思わず瞠目する。

 ≪IDOL≫の力は歌を≪シンフォニウム粒子≫に変換して様々な力を引き出していく。そのために必要なのが彼女の耳にあるヘッドホンであり、さらに本来は全身に装着した音階増幅装置やインナースーツが≪シンフォニウム粒子≫によって身体強化を行う。

 だが彼女は最低限のコンバーターのみで空気が軋むほどの≪シンフォニウム粒子≫を発生させている。

 

 それは≪スプレッドタイプ≫の力の発現だ。

 

 彼女たち≪アイドル≫は歌いながら戦う都合上、スタイルが三つに分かれる。

 歌いながら徒手空拳や武器で戦うストライカースタイルか。

 歌そのものが攻撃手段になるスプレッドタイプか。

 歌によっての様々な強化や回復を主とするサポートタイプか。

 この3つのタイプは先天的な適正によって分かれ、原則的に3タイプを揃えた3人1ユニットとして構成されている。

 

 そのうち、この原初の歌だけでこうなるのならば間違いなく≪スプレッドタイプ≫。

 100人に届こうという≪IDOL≫のプロデューサーである彼だからこそ直観的に判断。

 

「ぬぅ……!」

 

 思わず拳を握る。

 男のプロデュースに対して、少女は拒絶で答えた。

 つまり男の指揮下に加わるつもりはないということであり、それゆえの戦闘態勢。明らかに精神的にまともではなさそうだったし、戦闘の可能性も事前に織り込み済み。

 

 何より、彼女の経歴からすればこうなっても仕方がない。

 

 故に握った拳を構え、

 

「!」

 

 次の瞬間、超高速で跳んできた少女に蹴り飛ばされた。

 空気の破裂音と重く鈍い打撃音が男に炸裂し、十数メートルはぶっ飛ばして壁にめり込ませた。

 

「………………馬鹿」

 

 音もなく着地した少女は、ただ一言だけを呟いた。

 広い部屋は戦闘訓練も可能な強化プラスチック素材だ。それに亀裂を入れるほどの勢いで激突したのなら全身の骨の半分くらいは折れているだろう。

 

 少女はプロデューサーが嫌いだ。

 仲間も嫌い。

 ≪IDOL≫も嫌い。

 ≪FAN≫も嫌い。

 ≪UNION≫も嫌い。

 歌だって、嫌いだ。

 この世界さえも。

 

「……最、悪」

 

 そう呟いた瞬間だった。

 

「―――そうでもない! 良い蹴りだった!」

 

「!?」

 

 張り上がる声に仰天する。

 声の発生源は吹き飛ばした壁。土煙が舞う中、男がゆっくりと歩いていく。

 彼はジャケットを脱ぎ捨て、腕をまくる。

 

「ふぅゥゥゥ――――やるじゃあないか」

 

「………………どうして?」

 

 人間相手ならば確実に入院ものの一撃だった。

 弱い≪FAN≫なら消滅していたし、実際≪UNION≫の兵士を何人も病院送りにしていた。

 なのに、その男はまるで意に介していない。

 

「知らいでか!」

 

 彼は笑い、拳を再度構える。

 

「俺の名は大和猛! レインボーライン支部の指揮官!」

 

 そして指揮官の役目とは、

 

「武闘、歌唱、装備、作戦、連携! その全てを教導指揮すること! ならば――――プロデューサーである俺が! 一番できないわけがないッッッッ!!」

 

「その理屈は、おかしい」

 

「さぁ―――天音ナギサ!」

 

「っ」

 

 真正面から名前を呼ばれ、少女の、ナギサの肩が跳ねる。

 

「君に光るものを感じた! さぁ―――一緒に! トップアイドルを目指そうじゃあないかッ!」

 

 

 

 

 

 

 初対面で3時間。

 殴り合った猛とナギサだったが、結局ナギサが根負けして頷くこととなった。

 そして一週間後、レインボーラインプロダクションに所属した時は、

 

「にゃにゃ~! 天音ナギサ、サイキョー無敵アイドルを目指すのでよろしくにゃ!! ちなみにいわゆる必須キャラだと思うから、ちゃんと使って欲しいにゃ!」

 

 猫耳を付け、にこやかな笑みを張りつけた天音ナギサとなっていた。

 史上初の3タイプ網羅したアイドルとしてプロダクション内に激震を走らせ、瞬く間に戦闘参加数がトップとなり、本来3人一組のユニットを二つ編制して6人で任務を行うにもかかわらず、ほぼ全てを単騎出撃でトップ層の戦果を叩き出す、「サイキョー」の名に恥じないアイドルとなった。

 

 他の≪IDOL≫との関係も悪くなかったし、誰とでも仲良くできたので妙な嫉妬を買うこともない。

 ただ、誰にもレインボーラインプロダクションに来る前はどのような経歴だったのか。

 どうして3タイプを網羅しているのか。

 内心何を考えているのか。

 そういったことを決して口にせず、他人に深入りをすることはない――――というよりも、強いは強いが、どういう人物なのか誰にも分からなかった。

 それはプロデューサーである猛も同じだった。

 初めて出会った時の彼女は一度も顔を見せることなく、彼女は彼女のアイドルの仮面を被り続けていた。

 

 彼女の仮面が剥がれたのは、プロダクションに訪れて1年後。

 休暇の海水浴に特殊個体の≪FAN≫が現れてからだった。

 そこで初めて猛は本人の口から聞いた。

 彼女の、この世界への怨嗟を。

 彼女が、この人生で失ったものを。

 ずっとボディシールで隠していた喉と心臓の手術痕も。

 本来1人に1つのタイプのはずなのに、3人分のタイプを持っている理由も。 

 彼女が≪IDOL≫として戦っていることは奇跡に等しいことを。

 

 天音ナギサという少女のことを大和猛と数人の仲間たちはこの時やっと知ることができた。

 

 そして。

 猛は願わずにはいられなかった。

 彼女が幸福を手に入れることを。

 そして。

 

 

 

 

 

 そして、今。

 

「うわ……ちょ……マジ……? うぅぅ……ずずっ……私の世界、ウィル、アルマ……二人、デュエットソング……? そんなこと……ある? ……ずずっ。現実……? 死……てぇてぇ……幸せ過ぎ……死ぬ……うぅぅぅ……ありがとう……ありがとう……!」

 

 世界の存亡をかけた≪IDOL≫たちの最終決戦。

 突如現れた少年と少女から隠れて涙と鼻水を流しながら、どこからか持ち込んでいたサイリウムと『≫1天てぇてぇ』、『ウィルアル最高。僕が君の希望だよ♡』と書かれたうちわをこっそり振っていた。

 

 

 

 

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