ワッツ・ハプン その3


 

『我を軽んじるか、人の子よ』

  

「いいや。不敬者と呼ばれる身なれど、龍には敬意を表さないわけにはいかない。だが、これはこの国の問題だ。亜人連合が極西、神話の霊峰、天高き宮殿、偉大なる≪龍の都≫にまつわる話であればともかく、この国は人と砂と水の国だ」

 

 龍の威圧を一身に受けながら、バルマクは最早動じなかった。

 

「太陽の如き生き物よ。貴殿の陽は熱せられた砂よりも熱く、その翼は聖湖のように恵みを与えるだろう。だが愚かなる人の謀り事に関わる余地はない。人種の国は人種が回すべきだ」

 

『――――なるほど。口が回るな』

 

「それが仕事だ」

 

 ゴロゴロと、落雷のような音がする。

 カルメンが喉を鳴らして笑っているのだ。

 パールとバルマクが互いを毛嫌いしている理由が良く分かるから。

 

『それでは我が、我が名の下に真実と認めた2人の言の葉を無碍にするか?』

 

「―――――否」

 

 叩きつけられる熱波と存在感と反響する声に、ゆっくりと首は振られる。

 

「偉大なる龍よ。我々人は、お前たちに比べれば愚かで弱き者であり、我々には我々の仕組みがある。そのうちに龍がいる余地はない。人種にはお前たちのような爪も牙も翼も鱗もないからな。されど、最も偉大なる隣人の言葉に傾ける耳はある」

 

 だから、

 

「私の導師継承式への中止命令と私に対する審問を受け入れよう。それが気高き翼を持つ者へ、私ができうる譲歩だ」

 

『――――』

 

 数秒、彼女は何も言わず――――威圧が消滅した。

 

「うんむ。まぁこんなところじゃろう。それで手を打つぞよ」

 

「感謝する。……その口調はなんだ?」

 

「威厳があるじゃろう?」

 

「いいや」

 

「!?」

 

 首を傾げながら、カルメンは軽い動きでバルマクの前から去り、ウィルたちに並び立つ。

 

「パール」

 

「えぇ―――虫唾が走るでしょう」

 

「いや、わしはそこまでじゃ……」

 

 彼女は大きな胸の下で腕を組み自分の親友はこんな性格だったか? と再び首を傾げた。

 場の空気が緩む。

 事前に打ち合わせをしていたウィルたちはともかく、参列者からすれば空から龍が現れるなど青天の霹靂だったし、その威圧は強烈が過ぎる。

 龍の威圧を前にして平生でいられる者は少ない。

 

「―――ウィル・ストレイト」

 

 カツンと錫杖を鳴らしながら、バルマクは嘆息と共に呼びかける。

 流石の彼もほんの少しだけではあるが、疲れが見て取れた。

 

「はい」

 

「この場合、お前たちの陳情のうち一つは受け入れられた。一先ず継承式は中止にしよう。だが、婚姻は別だな。ウィル・ストレイト、お前の話を保証する者は変わらず存在しない」

 

「そちらは私が保証するとしましょうか」

 

 その声は、また一人。

 新たなる者だった。

 

 

 

 

 

 

 カランカランと、下駄が石畳を叩く音がする。

 ウィルたちの背後からその人物はゆったりと歩みを進めてくる。

 質のいい若草色の着物に身を包んだ、カルメンと同じくらい場違いな、背の低い少女だった。

 カルメンとは違った意味で目を引く少女だ。

 ただ歩くという行為ですら洗練され、柔らかく咲く花のように。

 見るからに高価な扇子を添えた口元に称えた笑みには確かな品が。

 肩あたりに切りそろえられた黒髪は漆のような艶があり、覗く首筋は白磁のように白く美しい。

 

 そして額には――――ほっそりとしながらも美しい両角が。

 金細工の角輪がそれぞれ嵌められた白い角は、それだけで最早芸術品に等しい。

 

「――――!?」

 

「……なに?」

 

 彼女を見て、御影がぎょっとした表情で仰け反り、バルマクでさえ初めて端から見てわかる狼狽を見せた。

 

「甘楽お姉様!?」

 

「えぇ。御影、久しぶりですね」

 

 ころりと笑う鬼の少女。

 彼女は一歩だけウィルたちの前に出て、

 

「天津皇国第一皇女、皇位継承権第二位。天津院甘楽。我が父、天津院玄武の名代として参りました―――私の妹がお世話になっているようですね」

 

 御影の姉、その人に他ならない。

 現在皇国で最も強い鬼の女が御影ならば。

 最も鬼の女らしいのが甘楽と呼ばれる少女。

 叩きつけるような威圧を放ったカルメンとは違い、その場を寿ぐような気配を持つ花のような鬼の姫。

 

「……ありえない」

 

 呻く様な声はバルマクから。

 彼はカルメンを相手にした時よりも狼狽えていた。

 

「この都から皇国の首都まで一月は掛かる。砂漠を超え、王国を通り、≪切っ先山脈≫を超えるのは簡単ではない。一体、どうやって彼女がここに――――」

 

 自ら問うような呟きは、ある一点を見た時に止まった。

 それは、

 

「あっ、気づいた?」

 

「―――鳥人族のフォン」

 

「うん、そう。凄いな、頭の回転が速い」

 

 揺れる黒に見据えられたフォンは疲労を滲ませながら肩を竦め、

 

「私が飛んで連れて来た」

 

 そんなことを言う。

 大半の者は理解できなかったし、御影は引きつった笑みを浮かべたし、バルマクは目を見開いた。

 飛んで連れて来た。

 つまり、フォンが陸路ではなく空路で。

 聖国の砂漠を、王国の草原を、皇国の山脈を超えて。

 あらゆる地形条件を無視してアース111最速、超音速の翼が甘楽を連れて来たのだ。

 だから彼女は疲れていたのだ。

 いかにフォンといえど、一晩で数百キロを往復して飛んで疲れないわけがない。

 最悪本当に時間がなければ、帰路はアルマの転移門を使うことも想定されていたが、結局フォンは実現してしまったのだ。

 

 御影を助けたいがために。

 フォンもまた自らの最大の長所で最大の貢献を。

 後でウィルと御影に羽繕いをたっぷりしてもらおう。

 

「さて……バルマク様。御影とウィル様の婚姻、こちらは私が保証いたしましょう。これは去年の段階から御影から聞いていますし、我ら天津院家も概ねそれを了承しています」

 

 えっ、そうなの? とウィルが甘楽の背中を見たが気づかれなかった。

 無言でトリウィアが彼の肩に手を置く。

 

「…………だが、彼女には聖国の血も流れている。この国の掟では彼女の夫の選択権はない」

 

「えぇ、らしいですね。我ら鬼種からすれば考えられませんが……えぇ、無碍にするのも、という所」

 

 ころころを笑う甘楽の黒曜石にような瞳はしかし笑ってはいなかった。

 

「ですので、折衷案といたしましょうか。聞けば聖国には婚約者を奪い合い、おのこが決闘する風習があるとか。良いものですね、これは鬼のそれにとても良い」

 

 笑みが変わる。

 アースゼロであればまさに大和撫子なほほ笑みから。

 口端が吊り上がり歪む――――血と闘争を希う鬼のそれに。

 勢いよく扇子が開かれる。

 振り返り示すのは、

 

「ウィル・ストレイト様」

 

 そしてもう1人、その反対を示すのは、

 

「ザハク・アル・バルマク様」

 

 二人の男を指し、

 

「――――我が妹を懸けて、決闘をされると良い」

 

 腕を広げ、寿ぐように。

 くすくすと甘楽は嗤う。

 ウィルは真っすぐにバルマクを見据えていた。

 バルマクは苦々しげに甘楽を見ていた。

 

 そして御影は。

 ペロリと唇を舐めて、

 

 

「―――――拙いな、ちょっと興奮するぞこれ」

 

 

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