ワッツ・ハプン その2


 

 ウィルの宣言に、一つの大きな音と一つの小さな音が発生した。

 一つは参列者たちの動揺の声。

 もう一つは、

 

「うそでしょーこの人ー、鬼というかゴリラじゃないですかー……?」

 

 重なった布の下の鎖に亀裂が入った音だった。

 ドン引きしているヘルメスの視線の先、

 

「―――――」

 

 爛々と琥珀の瞳を輝かせた御影は、真っすぐにウィルを見つめている。

 浮かぶのは喜びか、それこそ情欲か、感謝か、或いはその全てか。

 

「ふむ」

 

 事実上の宣戦布告を受け、バルマクは一度目を閉じた。

 数秒後、開いたのは変わらず黒鉄の色。

 

「それは継承式とは関係ないな?」

 

「ないわけないでしょう! この不敬者が!」

 

 我慢ならんとばかりにパールが叫ぶ。

 彼女は端正な顔立ちを怒りで歪め、普段の学園での彼女を知る者が見たら目を疑う勢いで吠えた。

 

「お前には導師閣下と教皇猊下の洗脳容疑が掛かっている! そもそもの前提としてこの継承式自体認められない! 早急に審問を行う必要がある! その時点で、この式典は中止よ!」

 

「私が不敬者であれば貴様は愚劣だな、パール・トリシラ。証拠はあるのか?」

 

「その確定をするために、まず式を取りやめろと言っているのよ!」

 

「理解した。筋は通っているな。愚劣と言う言葉は取り消そう、精々愚鈍あたりにしておくか」

 

「……!」

 

 赤くなって、青くなって、紫になって、そしてまた赤くなって。

 時に糾弾を受け入れられるというのは、逆に癇に障るというものだ。

 

「……ふむ。ウィル・ストレイト。婚約に関しては真実か?」

 

「えぇ」

 

「いつから?」

 

「入学直後には!」

 

「ほう……なるほど。純愛路線だな」

 

「……?」

 

「ふむ」

 

 カツンと、男の錫杖が石畳みを叩く。 

 

「――――認められんな」

 

「バルマク!」

 

「叫ぶな、愚鈍な女。愚劣に格下げしたいというのなら望むところだ」

 

 彼は息を吐き、

 

「婚約も容疑も所詮、口だけのものだ。聖女といえど式に遅参し、乱入した者の言葉を信用できるはずもない。時に、この中庭までは私の部下の精鋭を配置していたが」

 

「少々眠ってもらいました」

 

「そうか、大したものだ」

 

 王宮から中庭までの短くはない道のりにはバルマクの言う通り、実力行使にて排除された。立役者は主にトリウィアとアレスだった。彼女は言うまでもなく、アレスの超高速の移動と居合は奇襲に適しているための橋渡し役である。

 本人はそれで帰ろうとしたが残念ながらこの場でウィルとバルマクの会話に唸り声を上げているが。

 

「いずれにしても、お前たちの言葉には説得力がない。発言の信ぴょう性を保証する者がいなければただの戯言であり、私も教皇猊下も導師閣下もそれを受け入れないなら戯言以下だな、そうでしょう?」

 

 問われた相手は静かに頷くだけ。

 全てバルマクに任せたと言わんばかりだ。

 その様子に疑問を思う者もいるが、元々導師は高齢により引継ぎは間近であったし、教皇に関しても自ら発言する役職ではなくなっている。

 結局のところ、今この国を支配しているのはバルマクなのだ。

 彼自身、無理を通しているのは解っている。

 だが、この国における二大トップを意のままに操る彼は大体の無理筋を通すことができてしまう。

 

「残念だな、ウィル・ストレイトと隣の愚鈍な女よ。この国に、この砂漠に、この地にお前たちの言葉を保証する者は誰もいない」

 

 

『然り! だが、この空にはいる!』

 

 

 

 

 

 

 

 その出現にいち早く反応したのは、やはりと言うべきかバルマク、御影、ヘルメスだった。状況を理解しきれず戸惑っていた参列者たちも一瞬遅れて気づいた。

 否、気づかずにはいられなかった。

 晴天だったはずなのに、太陽が消えてしまったのだから。

 正確に言えば、大きな何かが中庭上空に出現して影を生み出していた。

 にも関わらず、気温が数度一瞬で上昇した。

 

 それは、龍だった。

 

 頭から尾までたっぷり全長30メートル。広げた翼はそれよりも長い。

 真紅の鱗は陽の光を己のものと言わんばかりに輝き、その上その巨体自体がもう一つの太陽の如く熱を生み出している。

 

 人知を超えた生物はこの世界にも数多く存在する。

 魔族ではない魔力を持った獣――魔獣は言うまでもなく、各国、各地域に神話や伝説の生き物がいる。

 

 帝国最北の山脈に眠るという冬の巨人。

 

 聖国砂漠の地下奥底にいるという超大型のサンドワーム。

 

 皇国の三大聖域に封印されたという三大神獣。

 

 王国地域の天空、青い空のさらに上にいるという嵐の蛇。

 

 そのどれもが伝聞系であり、伝説であり、神話であり、現在において存在は確認されていない。

 『昔、そういう超越存在がいて、今は眠るなり大人しくしている』という曖昧な、けれど誰だって知っているような御伽話の生き物。

 

 しかし、そこに例外がある。

 それが龍という生き物だ。

 遥か古代の歴史から境界に立ちつつ、時に人の敵に、時に人の味方となり、全ての種族の頂点に君臨し続けて来た。

 尤も、現在学園では彼女が3年前に入学したことにより、彼女を知る者は、その人となりから「神話の超越種」よりも「希少な亜人」という認識にすり替わっている。

 寝物語に聞かされた御伽話よりも、目の前で高笑いする本人の印象が強まるのは当然だ。

 

 だがそれは、現在この世界において最先端、或いは次代を担うアクシア魔法学園故の認識だ。

 聖国においては未だ神話であり、伝説であり――――それが、今、天に翼を広げてて空から降ってくる。

 反応は劇的だった。

 ある者は悲鳴を上げ、ある者は腰を抜かし、ある者は神に祈り始め、ある者は睨み付けた。

 

 灼熱の巨体が落下し、中庭に激突しようかという瞬間。

 中庭の石畳を砕き、焦がしながら背の高い女は降り立っていた。

 陽熱を全身から漂わせた燃えるような赤髪を無造作なポニーテールにした女。頬や首筋の鱗から変わらず熱が生み出され、側頭部から伸びる赤黒の角は赤熱してさらなる熱量を。

 彼女だけがこの場において、聖国風の儀礼服ではなく龍族の民族衣装。

 

『大いなる龍エウリディーチェが孫、カルメン・イザベラ』

 

 名乗りは簡潔に。

 しかし喋るだけで空気が震え、声が反響するかのようにこの場全員の耳に叩きつけられる。

 龍というのは数多のアースにおいて変わらず神話であり、伝説であり、尋常ならざる高位存在。それはこのアースでも変わらない。

 存在の情報密度が大きすぎて、立って喋るだけで空間が歪むのだ。

 

『砂漠の男よ、この我がパール・トリシラとウィル・ストレイトの言葉を保証しよう』

 

 告げるのは最早ただの言の葉ではなく、宣託に等しい。

 溢れる存在感によりこの場の中心は一瞬でカルメンに掌握され、その燃える金眼はバルマクへと向けられる。

 流石の彼も、その熱量に汗を流し眉を顰め、口端を歪めていた。

 龍の女に、逆らえるはずもない。

 細かい理屈を丸ごと無視して、上位存在だと叩きつけてくるのだから。

 本能へとかかる龍の威圧。

 現状をまるで理解していない参列者たちは、それでもバルマクが終わったと思った。

 

「偉大なる龍よ」

 

 彼はゆっくりと口を開いた。

 

「―――――御身は偉大ではあるが、偉大であるだけだ。政治的な発言権はない」

 

 参列者のうち、少なくない人数が泡を吹いて倒れて、

 

「人の世の政に口を挟むな」

 

 数人は失禁することになった。

 

 

 

 

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