天津院御影――誇りの象徴―― その3
「―――――ハッ! このアホどもが! 全く何も知らんな!」
鮮血を顔面に直接浴びながら、しかし御影はひるまなかった。
手の傷を抑えたバルマクはわずかに眉をひそめながら後ずさり、ヘルメスは信じられないものを見たようにその漆黒の瞳を見開いた。
「……え? ちょ、まじ? 本人の経験上、興奮の最大値を強制的に引き起こすはずなんですけどー……?」
「天津院御影、性的興奮は覚えているか?」
「正面から聞くなそんなこと! だが応えてやろう、血の匂いで覚めた!」
角から伝わる肉を裂く感触と顔面に降りかかった血。
御影という半鬼にとって、性的興奮を闘争本能に置き換えるのには十分だった。
「ふぅー……」
息を吐き、
「3つ、お前たちに教えてやろう」
彼女は嗤う。
「……聞こう」
「1つ、確かに鬼は強さを何よりとする。強きを焦がれ、強きを欲する。最も重要視するのは強さだ」
だが、
「我々鬼種が最も嫌悪するのは自らの強さに溺れた者だ! 今のお前のようにな!」
歯をむき出しに。
息は荒いままに、それでも琥珀の瞳を爛々と輝かせて彼女は告げる。
「そうでなければ! 我々のような蛮族はとっくに滅びている! 強さを希うが故に、強くあるのと同時に正しくなければならん! 強さとは他者を押しつぶすものではなく、他者に魅せつけるものだ!」
その在り方こそが、鬼種の根幹だ。
ただ、腕っぷしの強さだけを求めていたのなら彼女の言う通りとっくに絶滅しているし、国として成立するはずがない。
力の強さというものは、精神の高潔さを前提とするのが鬼という種族である。
故に彼ら彼女らは強いから好きになったり、尊敬されることはあるが、弱いから嫌われたり、迫害されることはない。
「やり方を間違えたな! こんな企みをせずに、最初から協力してくださいと私に頼めばよかったんだ! だったら、一考してやったというのに! どんな理屈か全く知らんが、何もかんも思い通りにできると思うからこうなる!」
「そうか、残念だ」
「納得が早い! 最後まで聞け!」
「いいだろう」
「えー……?」
ちょっと面白くなってきた。
バルマクは表情は変わらず、ヘルメスは微妙に引いていた。
「2つ! そもそも鬼種というのは、生涯を添い遂げると決めた相手以外に股を開くどころか! ましてや角を許すことなどありえん! 我々の体は、そういう風にできている! 端的に言って、惚れた相手以外には勃たんし濡れん! そもそも死ぬほど酒を飲むせいか、毒物の類も全く効かん!」
それは鬼種の生殖事情だ。
鬼は一度決めた相手以外に発情することもない。亜人種によっては時期により発情することがあるが、鬼種は極めて珍しい個人が発情条件という種族である。そうなってくると肉体的、精神的、思考も含めてその手の考えがなくなってしまう。
例え相手と死別したとしてもそれは変わらない。
鬼種は男であろうと女であろうと、浮気や不倫も絶対にない。
一方が一方を囲むことは別の話だとしても。
文字通り、一生涯をかけてたった一人を愛するのだ。
「特に角は! 勝手に触れたら殺されても文句は言えんぞ!」
人種と鬼種のハーフである御影にしても、それは変わらない。
角とは、魂なのだ。
家族であっても軽率に触れさせることはない。
ただ一人愛する者以外は。
「なるほど。知らなかった。一途な種族のようだ」
「ハッ! そうだそうだ! 私は純愛路線でな!」
そして、
「3つ目! 一番大事なことだよく聞け!」
先ほど、今の自分は自らの肉体を強制的に発情させられた。
個体としての上限値として、頭がおかしくなりかねないほどにと。
なるほど、それは確かに苦しい。
だけど。
だとしても。
《b》「私は婿殿にいつも発情している! そして、我慢もし続けている! 故に私を発情させてどうこうなんぞは無駄というわけだ!」《/b》
はっはっは、と。
仮にウィルが聞いていたら筆舌にできないようなことを大声で言い放った。
あまりに声量故に、地下牢が揺れるほどだった。
「…………えぇー……?」
「なるほど。言葉通り純愛路線のようだ」
「ザハクさん、反応絶対変ですよ」
「些事だ。……だが、どうやらこの段階で、この女を支配下に置くのは不可能なようだ」
「えー? いやもうちょっと粘れば」
「これを見ろ」
バルマクは手の血は構わず、数歩歩みを進めた。
向かった先は御影ではなく、彼女を捕らえる鎖。その鎖と壁を繋いでいる接合部に触れ、
「入ってきた時は問題なかった」
軽く指で押せば、接合部の下にある大きな煉瓦がぐらりと揺れた。
「…………えぇ?」
「外れかけている。角の振り上げの勢いでな。素手で壁の一部を引っこ抜く様な女を襲えば命がいくつあっても足りん」
「はっ、目敏いな。このまま引っこ抜いて頭をカチ割ってやろうと思ったが」
「そうか。危なかった」
バルマクが指で押し込めば、接合部が壁に沈み元通りになる。
土属性の魔法か何かだろう。
「ここまでだ、ヘルメス。ここでできることはもうない。この女を支配するのは婚姻を結んだ後とする」
「……ちぇー、残念」
「私が大人しくしているとでも?」
「物理的に大人しくさせることは不可能ではない。時間の問題だ」
「皇国と戦争をするつもりか?」
「否だ。そうしないためにお前を手中に収めた。時間は掛かるだろうが、お前を利用することはできる。教皇や導師のようにな」
「大丈夫ですかねー。明日が何の問題もないか、自分にも読めないんですよねー。お姫様はともかく余分なのも来てるせいでー」
「もはや賽は投げられた。多少の問題には目を瞑り、都度対処していく他ない」
「その手の傷みたいにー?」
「そうだ。鬼種に関して、もう一度学び直すとしよう」
そこで話は終わりと言わんばかりに、バルマクは御影に背を向けた。
彼はもう御影を意識の外に追いやって、ヘルメスと共に牢を出ようとして、
「おい、バルマク」
「なんだ」
御影の声に振り返らず応えた。
その背に向けて、彼女は薄く笑う。
「この国を、嫌っているんだろう? 女には結婚の自由がないみたいな話があったな」
「然り」
「なら――――まさにお前が象徴じゃあないか」
「そうだ」
御影の挑発に、しかし彼は揺らがなかった。
ただ彼は、誓う様に言葉を吐く。
「だから、造り替えるのだ」
●
「ウィル、改めて君に言っておこう」
導師継承式及び結婚式前夜。
生徒会とアレスの面々で止まっている宿屋の屋上にウィルとアルマはいた。
冷える気温に肩を寄せ合う二人は、共に星が輝く夜空を眺め、
「僕にとっての幸福は、君の幸福だ」
アルマの言葉をウィルは聞く。
彼女の静謐な言葉と夜風だけが耳に届ていた。
「ただ……彼女は、君の幸福に必要な人だ」
「……はい」
その言葉の意味を噛みしめて、彼は頷く。
パール、トリウィア、アルマが考えた御影を救う方法。
それを為すには最終的にウィルの意思が必要だったから。
彼は拳を握る。
もう何も、幸福を失わないように。
アルマはもう何も言わない。
だからウィルは、自らと彼女に誓う。
「――――御影さんを助けましょう」
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