天津院御影――誇りの象徴―― その2



 と、初めて御影の背筋に悪寒が走った。

 当たり前だが、バルマクの声ではない。自分の声ではない。

 

 はバルマクの右斜め後ろ、温かく照らされた牢の中のほんのわずかな影が差したところに、いつの間にか立っていた。

 

 小柄糸目の人影だ。

 学園の制服に似たような、真っ黒なスーツスタイル。ブラウスとネクタイ、革靴に腰当たりまでの長いポニーテールまでもが黒い。

 影の中で立つ、影のような存在だった。

 何よりも、細い目から微かに覗くその瞳があらゆる光を吸い込むような漆黒で。

 青白い肌はその黒を引き出すように不気味。

 不気味さと不吉さを象徴するような影絵がそのまま人の形をしているかのようだった。

 中性的な顔つきで身体を見ても、声だけでも男か女か判断できない。



「はいー。ヘルメスさんですよー。相変わらずザハクさんはお堅いですねー。クーデターはもう成功しててー。おまけの賞品で、この鬼のお姫様を好きなようにできるんですよー?」


「それ自体に興味はない」


「はははー。お堅いですねー。欠片も面白味もないのにクーデターとかしちゃうからおもしろいですよねー」


「面白さでクーデターをするような輩は正気以前の問題だ」


「確かにー」


「…………何者だ、貴様?」


「どもどもー、ヘルメスさんですよー。以後、お見知りおかなくて結構ですのでー」


 輪郭を掴むことすら難しい、影はヘラヘラと笑うだけ。

 瞳がほんの少しだけ開き、漆黒が覗ているのが不気味極まりない。

 バルマクとは違う意味で、感情が読めない女だった。


「ささ、ザハクさーん、やっちゃいましょー?」


「…………」


 影からと笑う影に、しかしバルマクは胡乱な溜息を吐く。最初に御影が挑発した時と同じような反応だった。

 けれど、影はバルマクの様子には構わない。


「だって、これが一番手っ取り早いじゃないですかー? 好きでしょー、バルマクさん手っ取り早いの。もお姫様と一緒に来てるとなると、ヘルメスさんのも難しいんですよねー。ランプの魔人が叶える願い事は限界がつきものです」


「……待て、貴様。お前の言う2人というのは――」


「致し方あるまい」


 何か、見過ごせないことをヘルメスが言った。

 だが、バルマクの決断は一瞬だった。


「天津院御影―――を見ろ」


 と、手にしていた錫杖を石畳みに叩きつけた。

 甲高い音。

 反響する金属音。

 鼓膜に突き刺さる音に、思わず錫杖に視線が向く。

 蛇の頭を模した錫杖。

 眼に当たる場所に、赤い宝石がはめ込まれていて。

 閉じた口には二本の長い牙が生えていた。


 ともう一度音が鳴り、その眼が妖しく光り、その口を開いた――――気がした。



「―――――っ!?」



 どくんと、心臓が脈打った。

 高温が反響し、視界が揺れ、体に、特に臍下に強烈な熱を持つ。

 気温によるものではない、汗が流れるのを嫌にはっきりと感じ取る。


「っ……はっ……何を……した……!?」

 

「なーんとなーんと! 発情モードになっちゃうおまじないなんですねー!」


「っ……はっ……なる、ほど?」


 思考を鈍らせるような臍下から全身を犯す熱は確かに性感のそれ。

 意志と反して身体が強制的に発汗し、ネグリジェが艶めかしく張り付いてく。


「うわー、えっちですねー。おっぱい大きすぎるでしょ。お尻もすっごー。どうですか、ザハクさん、興奮します? ムラムラします? その気になってきました?」


「ならない」


「えぇ……? この息を荒くして体をよじるドスケベ長乳褐色娘を見てその反応ですかー? インポなんですか?」


「生殖機能に問題はない」


「あっ……そうですかー」


「ふぅーっ……ふぅっー……はっ……この手のことは好かん類だと思ったが……?」


「遺憾ではある」


 脂汗を流し、頬を赤らめる御影に、しかしバルマクの表情は変わらない。

 黒鉄のように変わらず、蛇のように無機質な瞳で観察するだけ。


「だが、古今を問わず、女を従わせる手段として有効だろう。導師や教皇に行った暗示をするには時間が足りない。ならばこれが最も効率的だ。貞操を奪わずとも、これに関しては方法はいくらでもある」


 髪が乱れ、滝のような汗が首筋から深い谷間に流れ落ちた。

 こらえる様に太ももは震え、よく手入れされた足先の指に力が入る。

 ネグリジェしか纏ってないせいで、彼女の豊満な乳房は体の揺れをダイレクトに受け、男を誘う様に。


 世の男が見れば、一瞬で理性を失う光景。

 

「ヘルメス。鬼種の精神を屈服させる方法はあるか? 鬼種の生殖事情までは知らん」


 しかしバルマクには何の高ぶりもない。

 この男は御影の艶やかな姿にも、道端の物乞いにも同じような視線を送るだろう。


「あー? うーん、自分もあんまり知らないですけどー。やっぱ角じゃないですかー? 『龍の逆鱗、鬼の角』なんて言葉もありますしー」


「なるほど」


「っ――――触れ、るな……!」


 御影の眼に狼狽の色が濃く浮かぶ。

 他人に角を触れられるということは御影にとってそれだけ受け入れてはならないことだから。

 

「そうか。触れる」


 けれどバルマクは構わない。

 効果的だから、行う。

 ただそれだけ。

 国を変えるという意思の下に突き進む鋼鉄の革命家。

 

「っ……くっ……やめ、ろ……!」


 引き絞る様な声は激情を乗せて。


「――」


 無言で伸びる手には何も乗らず。

 その五指が御影の角に触れて、



「―――――!?」



 が振り上げられ、バルマクの掌を深く切り裂いた。



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