アラビアン・デート その4



 湖の向こうに太陽が沈んでいく。

 Vの字状に二つの河が聖湖に流れ込み、その根元に王宮がある。

 同心円状の都市の中央円が聖湖であり、王宮の反対側は広い公園になっていた。 ドーム状―――ウィルは素直に玉ねぎみたいだと思ったが――の独特な形の屋根がいくつかあり、そこから夕焼けが差し込んでいる。老人のおすすめの観光場所を巡った後、最後に二人は湖の目前に座り、日没を眺めていた。

 頭に掛かっていた布を肩に回し、ウィルの肩に頭を預けた彼女が呟いた。

 

「……だいぶ寒くなってきたね」


「ですね」


 砂漠の中の街では以外だが、湖周辺は芝生や木々がいくつか生えている。

 少し意外だったが、この都市には緑が多い。街の中心部になるほどヤシ科らしき木が多く見えた。

 そんなウィルの疑問には、当然アルマが応えてくれる。


「いつだったか、掲示板で文明は河川流域で発展しやすいなんて話をしたのを覚えているかい?」


「はい、勿論」


「ん。……正確に言うなら大きな河の下流域、と言える。上流から下流へ流れる過程で多くの栄養を含んだ水は下流周辺の大地に溶け込むのさ。そうすると肥沃な大地が生まれ、作物が育ちやすくなるというわけだね」


「……となると、この街の場合は」


「うん。遥か南方から幾つもの川が合流し、この湖に集結する。普通は海に流れるものだろうけど、地形の問題か、こうして湖になったわけだね。聖都や聖湖と呼ばれるのも納得だ。それだけこの湖とこの街は命が溢れているんだから」


「はー……なるほど。流石アルマさん」


「ん」


 緩く微笑む彼女が随分とリラックスしていることは、肩の重みから感じられた。

 日没が近づき、公園からはもう随分と人が消えていた。王都は夜になっても大通りは賑わうが、この国では特別な理由がない限り夜には出歩かないらしい。

 ウィルにしても、少し前に戻ろうと思ったがアルマが動かなかった。

 彼女にしては珍しく、ぼーっとしたまま太陽が沈む様を眺め続けていたのだ。

 だからウィルも同じように夕焼けを眺めていた。


「…………美しい夕陽だ」


 ぽつりと、アルマが言葉を漏らす。

 

「なぁ、ウィル。お昼のご老体の話と僕の蘊蓄、違いが分かるかい?」


「……経験と知識、でしょうか」


「ん。流石だね」

 

 くすりと、彼女が笑う。


。僕のは基本ただの事実と知識だけで、実際に見て触れたわけじゃあない。学ぶべきは実際に経験した話だと僕は思うよ」


「でも、アルマさんはそれこそ多くの経験をしているでしょう」


「……そうでもない。確かに、多くの世界を見て、多くのことを知り、多くと戦った。でも……そうだな。この千年、何かに感動したことなんてほとんどなかったな」


 彼女は笑う。

 少しだけ、寂しげに。


「アース65のデーツの話もしたけど。あの世界じゃ結局食べなかった。知識として知るだけで満足しただけだから、実はこの旅で初めて食べたんだよね」


「それは……少し意外ですね」


「ふふっ、そんなんだったよ、僕は。……あー、ほら、魔法とか使えば食事もまぁ要らなかったし。別のアースで何かを食べたりって、ほとんどしてこなかったんだ」


 それに。


「夕陽をこうして眺めることもしなかった。うん……綺麗だな。これは見ていて飽きない。この旅もそうだ、楽しかったなぁ」


 ウィルが横目で見れば、彼女は微笑みながら目を伏せていた。

 彼女は思い返す。

 ほんの2週間程度の砂漠の旅を。 

 

「砂漠を進むラクダの揺れも、遭遇した砂嵐も、服の内側や口の中に入る砂、照り付ける日光の眩しさも。寒い夜に手を掲げた焚火の火も。見上げた星々の輝きも。吹き付ける強い風も。喉の渇きさえ。何もかも―――知ってはいるけれど、新鮮だった」


 噛みしめるように、彼女は言う。

 宝物のように。

 これまでの果てしなく長い旅路で、ずっと無視して来たものを。

 

「……君のおかげだね。ウィル。君と出会わなければ、こんな風に落陽を楽しむことなんてなかった」


「だったら」


 彼女の頭にウィルも頭を預ける。 

 頬に柔らかい髪の感触と少し甘い彼女の香り。


「もっといっぱい、色々なものを見ましょう。一緒に、知っているけれど知らないものを。きっと、この世界に沢山あります。これから先ずっと」


 ウィルと出会わなければとアルマは言うけれど。

 アルマと出会わなければ、というのはウィルだって同じだ。



「アルマさんと一緒なら―――僕はいつだってです」


 

 その意思が幸福へと真っすぐに進むには。

 その魂の希望が必要だから。

 ウィルは1人じゃできないことばかりだけれど、誰かがいれば多くのことができる。

 そしてアルマがいれば、なんだってできると思うのだ。


「…………そっか。うん、君がそう言ってくれるなら、この世界に来た甲斐がある」


 彼女はゆっくりと頭を持ち上げ、ウィルの手を取った。

 優しく、慈しむように指を絡めながら手を握る。

 そして、目が合った。

 紅玉のように輝く赤い瞳。

 夕陽に照らされた彼女はあまりにも可憐で、あまりにも美しかった。

 きっと、ウィルがこの旅で見たもので最も美しいのは黄金の輝きを浴びる彼女だった。

 

「僕の幸せは」


 優しく、目を細め彼女が微笑む。

 まるで夜に優しく輝く月の様に。

 太陽の光を受け、より美しく。


「君が幸せであることだ。僕の名前が、名前通りになっていると嬉しいな」


 その言葉があまりにも嬉しかったから。

 胸の奥に甘く暖かな―――まさしく希望と幸福と呼ぶべきものが広がったから。

 その赤い瞳を真っすぐに見つめて、


「アルマさん」


「ん……っ」


 彼の方から、唇を重ねていた。

 赤の色が驚き、一瞬見開かれるがすぐに受け入れて瞼が下りる。


「―――ん……ちぅ……」


 軽く押し付け合い、そして啄むように。

 寒くなった分、互いの体温を感じ合うように。

 ウィルの唇は少し乾燥していた。

 アルマの唇は不思議なくらい柔らかかった。

 日が沈むまでのほんの少しの間、お互いの幸福を分かち合い続けていた。


 

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