アラビアン・デート その3


「ありがとう」


 突然の声にアルマもウィルも驚かなかった。

 ただアルマの背後から声をかけて来た男に視線を向ける。

 振り返った彼女は肩を竦め、


「それで、どちら様だろうか」


「いえいえ、大したものではありません。ただの商人でございます」


 ただの、というには身なりの良い老いた男性だった。

 清潔な白のゆったりとした長袖に、顔以外を覆ったスカーフ額あたりに黒のリングで止められている。見るからに高価な装飾品を身に着けているわけではないが、服の質から高価なのが伺えて来た。

 良く日に焼けた柔和な顔には深い皺が刻まれていた。

 

「ん……?」


「何か、僕たちに御用でしょうか? お爺さん」


「はい、どうやら異邦より訪れた若者の様子。されど機知に富んだ会話には感心せざるを得ませんが、老骨として1つお小言を。あまり、この聖都の歴史についてこのような屋外で話すのは控えたほうがいいかもしれませんな」


「……あぁ、なるほど」


「はい。察しが良いですねお嬢さん」


「……えっと?」


「つまり、歴史の確認といえばそれまでですが。歴史故に沁みついたしがらみと思い込みがある。この市はので問題ないでしょうが、あまり外側に行くと要らぬもめごとがあるでしょう」


 言われ、ウィルは周りを見回す。

 周囲、並んだ机には多くの人が思い思いに食事を楽しんでいる。それはまるで前世で言うフードコート――ウィルがまだ幼い頃は家族で行っていた――のそれに似ている。

 そして良く見れば7割ほどが男性だ。残りの三割の半分は見るからに聖国の外から来たであろう服装や容姿であり、残りの現地の女性は服装の様式がそれぞれ違う。

 目元しか露出していなかったり、アルマのようなサリーだが彼女とは違い顔だけしか露出していなかったり。 

 男性にしても、よくよく見れば私服の違いのように見える差異がありながら様式にパターンがある。

 即ち、それら衣類のパターン一つ一つが自分が生まれた部族の証なのだ。

 民族衣装、とはそういうことだろう。

 このマーケットだけでも十に近い種類がある。


 そして、先ほどのウィルとアルマの話はその違う部族が争い続けたという話だ。


「……すみません。無神経でした」


「確かに。謝罪をしましょう、ご老体」


「いえいえ、お気になさらず。言ったようにこの市の治安は悪くありません。それに、異国の地に好奇心が跳ね、誰かと話したくなるという気持ちは、えぇ。よく分りますとも」


「……失礼、ご老体。貴方は……」


「はい。私も元々は王国出身なのです」


 ほほ笑みと共に深い皺の奥、緑青色のおちゃめなウィンクが飛ぶ。

 アルマは気づいていた。彼の茶褐色の肌は生来のものではなく長年の日焼けの結果のそれであると。


「ふふふ……数年ごとに王国から若者が訪れるのは、老いぼれの楽しみですが今年は随分と優秀な子が来てくれたものです」


 老人は肩を震わして笑い、


「おっと、失礼しました。若人の邪魔をしてしまいましたね。すぐにお暇しましょう」


 彼の言葉にウィルとアルマは目を合わせる。

 ウィルは首を傾げてほほ笑み、アルマは顎を小さく上げた。


「いえ、お爺さん。もしよろしければこの国と、この街の話を聞かせてもらえませんか? 来たばかりで、知らないことばかりなので」


「ほう? お邪魔ではないので?」


「喜ばしいことに、今日中なら時間があります。僕も歴史に興味は大いにあるのでできれば同じ立場の先達から話を聞ければと」


「……ほっほっほ。いやはや、若者にそう言われてしまえば、老骨はついつい口が滑ってしまうもの」


 笑った彼は、一度額に手を当てた後、左手で胸の中央に手を当て頭を軽く下げる。


「昼と夜の下、感謝を」


 それは聖国式の挨拶や礼におけるジェスチャーだ。

 対し、


「昼と夜の下に」


 ウィルとアルマもまた同じ動作で返礼する。


「―――ほほほ」


 きらりと、彼の瞳が輝いた。


 




 

 その老人は20年前の大戦の際、王国と聖国の中継役、その末端だったらしい。

 そして末端故に大戦の後、聖国に残りそのまま商売を続けたという。


「聖国の民は砂漠の民ですが、しかし正確ではありません」


 ウィルとアルマが「聖国で印象的だったことは」と聞いたところ、彼はそんな風に話を始めた。

 椅子に座った彼は、高齢のわりには背が高い。

 肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せ、ニコニコと笑いながらその経験を語る。 


「私は元々この国に、この砂漠に夢を感じていましたが、かつて友人に言われました。『我々は砂漠ではなく、砂漠にある水を愛する』と」


「それは……そうでしょう。砂では生きることはできない」


「えぇ。考えてみれば当然です。痛烈な皮肉でしたな。『砂漠に焦がれるお前とは違う』、というのも頂きました。つまり、お前は何もわかっていないし、分ったつもりだ……みたいなことです、ほほほ」


 彼はよく手入れされているであろう、髭の剃り残しの無い顎を撫で、


「この記憶の共感は、同じものを見ても、外側と内側では同じものを見ているようで、そうでないということですな」


「ふむ……なるほど、至言ですなご老体」


「な、なるほど」


「ウィル?」


「あはは」


「ほほほ、なに大した話ではありません。それっぽい言い回しをしているだけですし」


 王国とはやはり文化が違うという話だと、彼は言う。

 そこには分かりやすい≪七主教≫と≪双聖教≫というものがあるが、


「そこから長い歴史ともに生まれた慣習や風俗というものは、知ることはできても理解が難しい。特に今の王国からすれば意味が解らない……自ら不利益を被っていると感じることもあるでしょう」


「例えば?」


「ふむ……そうですね。ある部族において、砂漠の旅で脱落した者は助けなくて良い。むしろその死は神の導きである、というものがあります」


「それは……あまりにも理不尽では? お互い助け合えばいいだけだと思うんですけど」


「全く以てその通り。私もそう思いました。ですが……それは今、私たちの話」


 緑青色の瞳が細められる。

 遠い記憶を振り返る様に。


「過酷な砂漠では誰かを助ける余裕もままならない。この国は水属性の系統を持つものがとても少ないですからな。そうせざるを得なかった、と言うのが実情でしょう」


「…………なるほど。すみません」


「いえいえ、素直な反応ありがとうございます。つまりはそういうことですね」


「違いにとやかく言うのではなく、違うことには意味があり、それを考え、知ること……ということですね、ご老体」


「はい。お嬢さんは実に聡明だ」


「知識だけです。実際に経験した人には及びません」


「ほほほ、その経験だけが老いぼれの長所故に。……しかし、あまり付き合わせても悪い」


 老人が立ち上がる。

 彼は最後に観光用の街のマップパンフレット――宿屋で貰ったもの――におすすめの観光場所と行かない方がいい所に印をつける。建築物として見どころのある礼拝堂や霊廟、それに川沿いの公園がおすすめのようだ。

 そして、


「それではお二方」


「はい。あっ、あの。最後にお名前をお聞きしても……?」


「あぁ……ふふっ。なに、私のような者の名を記憶にするまでもない。もしも、次に会えた時があればその時に。それでは、お二人に昼と夜の下の加護があらんことを」



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